ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

老衰死について

2015年09月25日 14時11分03秒 | 言いたいこと
先日、NHKで、老衰死の番組をやってましたね。
番組の中の老人ホームでは、高齢で食べられなくなったら、自然な死を迎えていました。
点滴や酸素吸入もしないので、食べられなくなって、一週間くらいで亡くなっていました。
ずっと穏やかに眠っていましたが、最後は呼吸が荒くなって少し苦しそうでした。
でも、それを過ぎると、呼吸は段々と少なくなり、静かな死を迎えていました。
番組では、痰の吸引をやっているかはわかりませんでした。
番組の中の医者に診てもらえた人は幸せだったのではないかと思います。
なぜなら、食べられなくなれば点滴をしたり、鼻から管を入れられて無理に栄養を入れられたり、痰が溜まれば吸引し、呼吸が苦しければ酸素吸入するか、人工呼吸器を付けられる人もいるからです。
そうやって無理やり生かされるのです。
少しでも長生きさせる事こそが正しいのだという信念から来るのでしょう。
でも、人間はやがては必ず死を迎えます。
苦しいだけの治療を受け長生きさせられても、本人は幸せなのでしょうか?
家族の精一杯やったという自己満足は、本人を苦しめてるだけなのではないでしょうか。

私の祖母は、自宅で亡くなりましたが、苦しむ事なく、眠るように亡くなりました。
点滴も、酸素も、痰の吸引もしませんでした。
家族に看取られて、とてもいい最後でした。

今、旦那の母は、酸素吸入し、2時間に一度は痰の吸引をされ、胃瘻をしたので、OS1を胃に入れられて、生きています。
経管栄養はもう受け付けず、点滴も血管がもろくて入れる事が出来ず、それでも生きています。
この状態で、本人が幸せだとは、私にはとても思えません。

若いうちから、自分がどうしたいか、意思表示をしておく事が、とても大切なのです。
胃瘻をするか、人工呼吸をするのか、延命治療をするか、点滴をするか、決めておかなければならないのです。
ボケたら、何もわからなくなるのですから。


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