ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

私のアトピー体験談

2009年09月01日 12時44分10秒 | 自己紹介

私がアトピーになったのは、幼稚園の頃に打った予防接種の後でした。
両腕の上の方と両肘にジュクジュクとした痒いものが出て、包帯を巻いてた記憶があります。
薬は何も塗らなかったと思いますが、自然と治りました。

その後、小学生の間は、毎年冬になると、必ず右腕の肘の部分にジュクジュクした痒い皮膚炎が出ました。
子供なので、思い切り掻いてましたから、よく下着に汁がべったりついてましたね。
つけてた薬は、ガマの油みたいな、よくわからない軟膏でしたが、治りませんでしたね。
ただし、きまって7月に入る頃には治ってました。

中学時代は、肘のアトピーは出ませんでしたが、顔ににきびがたくさん出ましたね。

そして、悪夢の高校時代。
一年の夏に、突然顔に赤いぶつぶつが出てきて、おまけに汁まで出てきたのです。
こんな顔では学校に行けないと思い、近所の薬局から「ベトネベートクリーム」というやつを買ってきてつけましたら、三日ほどで赤ちゃんのような肌になったのです。
しかし、そのクリームをやめるとすぐに、また赤いぶつぶつが出てきたので、ずっとクリームを使ってました。
そのクリームがどんなに恐ろしいクリームかも知らず、注意書きを読もうともせず。

最初は綺麗になった顔でしたが、どんどんクリームが効かなくなり、塗る量も増えた割には、段々肌は汚くなっていきました。
その上、なぜかすごい食欲で肥り、顔もまん丸状態でした。

そして、20歳の時、ある雑誌で、ステロイドの副作用の記事を読んだのです。
驚いた私は、その日から、四年間も塗り続けたベトネベートクリームをストップしました。
案の定、お決まりのものすごい離脱症状。
(ベトネベートクリームは、ステロイド剤と抗生物質の混ぜたものなので、耐性菌や真菌の問題とか、本当に恐ろしい薬です。)
それでも、仕事は一日も休まずに頑張って行きましたね。
働かないと、食べていけませんからね。
接客業じゃないのが幸いしました。

離脱症状はほんとにひどくて、一度は皮膚科にかかり「アンダーム軟膏」という非ステロイド剤で良くなったものの、薬に頼りたくなかったため、それも三日ほど使ってストップして、自力でがんばりました。
だけど、青春まっただ中だったため、精神的にも追い詰められ、死んだ方がましだと、何度も思いましたね。
周りの人の視線も気になり、心ない言葉に傷つきました。
ほんとに、私の青春なんて、華やかな思い出はあまりありません。

あの頃、母のことを恨みましたね。
母は働いてましたから、私が高校生の頃、何をしているかは全然わからなかったし、興味もなかったと思います。
だけど、母親なら、どんなに忙しくても、最低限、子供の体調や行動に気を配らなくてはならないと思うのです。
もし、母が、私の塗っていたベトネベートクリームを注意して見ていてくれたら、あんなに何年間も使い続けることはなかったのではないかと思いますね。
でも、逆にベトネベートクリームの代わりに皮膚科のステロイド剤を使っても、同じ結果になっていたかもしれませんが。

20歳からの五年間は、大中小の離脱症状の波はありましたが、それでも、25才になる頃には、ほとんど顔の離脱症状も治まり、結婚もしました。
子供も生まれ、アトピーに悩まされることもほとんどなくなりましたが、二人目を出産後、また顔から汁が少し出てくるようになりました。
しかし、それも数カ月で徐々に治まってきました。

そして今現在、突然腕に日光皮膚炎ができたりしております。
顔には四年くらいATPゲルやホームスタイルゲルを塗ったりしておりますが、たまにプツンと赤く出ることはあっても、ひどくはなりません。
ただし、ATPゲルをやめると顔はガサガサになるようですが。


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