このところ、数ヶ月前に急にサイババを思い出してから、以前読んだことのある、青山圭秀さんの著書を、もう一度読み直しております。
青山さんの最近の状況が気になり、「神々の科学」を読みましたが、なんと数年で離婚されてたんですね。
ということは、アガスティアの葉の予言は当たらなかったということなのでしょう。
それで、ちょっと分からなくなってしまったわけです。
青山さんは、自分の体験を著書にしなかったら、大学の先生として安定した人生が約束されていたはずなのに、あえて自分の体験を著書にして世の人々に知らしめた。
そうしたのは、青山さんが、なにか深いところから動かされるものがあったからだと思います。
しかし、アガスティアの葉の予言がはずれて、離婚となってしまった。
生涯の伴侶であり、一男一女をもうけるはずだったのに、かなわなかった。
勝手な想像ですが、青山さんも、アガスティアの葉を世に知らしめただけに、随分と苦しまれたのではないかと思います。
結局、アガスティアの予言は、完璧ではなかった。
しかし、まったくの出鱈目でもなかったということなのでしょうか。
当たっている部分もたくさんありますし。
または、アガスティアの葉は、読みに来た時点での予言なので、その予言を読んだ後の人生は、その人の努力と心がけで変わりうるということなのかもしれません。
青山さんは、自分でそれを実験し、その結果を世の人々に伝えているのだと思います。
そういう意味では、私のような読者は青山さんの今後に興味が尽きないわけです。
青山さんのように、自分の体験したことや結婚に至ることまでを、著書にすることは、ある意味では大変な危険を冒すことだと思うし、予言どおりに行かなかった場合のことを考えると、なかなかこのように自分の体験をさらけ出せる人はいないと思うのです。
離婚したとはいえ、現在の青山さんは、アガスティアの予言どおりに、ある意味、成功した人生を歩んでおられるようです。
それは、アガスティアの予言如何にかかわらず、青山さんの人徳と努力の賜物なのではないかと思えます。
アガスティアが偉大だとしても、予言にとらわれることなく、日々努力することが大切なことなのでしょう。
そういう意味では、予言は読まない方が良いのかもしれません。
あえて読みに行き、そのことについて著書を書き、その後の著者の人生を含めて、読者に神や予言について考えさせる青山さんの功績は、偉大だと思います。
私は、たとえ、アガスティアの予言が100パーセント当たらなかったからといって、神のような存在がいないとは思えません。
例えば、生き物に備わる自然治癒力を見ただけでも、そこに神のような存在を感じないわけにはいかないからです。
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