えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・溜まり場というところ

2015年05月23日 | 雑記
 商店街がゆるやかに店仕舞いし団地から人がすっかりいなくなった跡へやってきたショッピングモールは、自分が街に馴染むのではなく周りを自分へ馴染ませようとする図々しさで幅を利かせている。今日も堂々とした大広間のような入口は、そのほとんどを占める階段ではなく脇のか細いエスカレータで人を定期的に売り場へと運び込んでいた。エスカレータを下りて右手にはスターバックスが待ってましたと店を構えており、新味のお菓子のようなクリームたっぷりの飲み物を色鮮やかに描いた黒板へ制服姿の少女が目を留めていた。天井が高いので席数よりも店は広々としている。

 平日の昼は老人か主婦が大体複数名で差し向かいにおしゃべりをして、夕方から夜にかけては学生服や背広姿、リュックにスニーカー姿がノートやPCを思い思いに広げて空になったプラスチックのカップにも構わず机に向かっている。街の空気がきれいに昼と夜で老いと若さに分かれていた。少し頭を回せば、近所には中学校があり駅は大学の最寄駅で街自体の構成は都市部から離れたベッドタウンとして作られている。通り過ぎる人と帰ってくる人を迎える行き来の入り口の、駅前という立地は河の流れのよどみのように人を溜める機能があって当然だろう。それを見渡せるほどの空間が今までなかったから、気づかなかっただけなのかもしれない。

 もらい物のチケットでコーヒーの一番大きなサイズを頼み壁際の奥の席へ座った。前のテーブルでは耳栓のように音楽を聴いている学生たちが参考書を開いて盛んにノートを取り、窓に面したカウンター席の左手には椅子に背広をかけて男がPCへカタカタとデータを打ち込んでいる。丁度向かいの、人が指の第一関節くらいに見えるほど離れた席ではコーヒーと鞄を持った茶髪の女が座ろうとしていた。誰が通り過ぎる者で誰がこれから街へ帰る者かは一切区別がつかないが、とにかくこの街がゲートボールをする人々だけの街ではないことにどことなく安堵した。

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