えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・平日の立ち寄り

2019年11月23日 | コラム
 ほろ酔い機嫌で電車に乗るころの時間二十二時を過ぎていて、駅に止まるごとに家へ帰る人が増えてゆく。それも新興のベッドタウン駅を境にまた人がゆっくりと減り、暖房の温度が変わるころの車両は座って居眠りする客がまばらだ。金曜日の夜はそれでも日付が変わるぎりぎりまで人の量は変わらないが、そこをふっと降りて改札を通り、人通りの少ないコンコースから郊外の街に降りる人気のない感覚は涼やかだ。下りの電車は日付が変わっても十分か十五分に一本のペースで動いているので、乗り過ごさなければ途中で降りてしまっても帰宅のめどは十分に立つ。

 夜更けのゲームセンターの閉店は、しばらく来ないうちに一時間前倒しの二十四時に変わっていた。帰れないとだだをこねる客がいたのかもしれない。そういう客のために居酒屋では御不浄などの壁に終電の時間がでかでかと貼られているのだが、時計もなく特定の立ち寄り場所もないゲームセンターではそうもいかない。つけっぱなしのアーケードゲームが暗い部屋で騒がしくディスプレイを光らせている。店員のほとんどはクレーンゲームのあるフロアに待機しており、チェーン店ではない小さなそのゲームセンターでは入り口近くのカウンターで黄色いジャンパーの二人が帳簿と向かい合っていた。

 昔と言ってもたった二、三年程度だが、クレーンゲームの筐体は細かな調整をアルバイトに覚えさせる面倒を省くためなのか「トリプルキャッチャー」という三本爪のクレーンの台がずっと増えた。引き換えに、二本爪のクレーンを利用した橋渡しやDリングといったゲームの遊び方について交渉交じりの雑談がおもしろい店員は減った。某所のゲームセンターに通う人間には有名な、やけにねちっこく嫌みの利いた解説をする眼鏡の店員は現在も健在だが、あの舌鋒で客を苛立たせつつ的確に取りやすい位置へ景品を動かしたり、クレーンを動かして狙う個所を具体的に教えてくれる彼の技術が生かされる設定のゲームはぐっと少なくなった。理由は諸事あるだろうが、景品を思い通りに動かして狙いをつけるといった客側の楽しみも減った今、ゲームセンターでなにかおもちゃを取ろうという場合、そこに生じるのはどちらかといえば遊びではなく作業だと思う。

 と、トリプルキャッチャーの思い通りにいかない動きにレバーをがちゃつかせていると、景品の下に敷かれたプラスチックのボールに景品がはじかれてあらぬ方向へ行ってしまった。店員を呼び出すと彼はごくにこやかに、昼間では絶対にやらないような、どう動かしても一回でとれる位置まで景品を移動させた。お心遣いそのままに景品を取って時計を見ると、閉店まであとニ十分だった。追い出すためのサービスらしい。申し訳ないながらも目的は果たせたので、「蛍の光」をかけだした他のゲームセンターの前を通り過ぎながら明かりを落とす街中をぶらついた。酔いはとうの昔に冷めているが、光がなくなればなくなるほどビルの合間の夜空がくっきり青く澄むのがうれしくて、駅のコンコースへ向かう足取りはゆっくりになっていた。

 電車に滑り込む。まだ下りは何本も後がある。一方で上りのホームはコーンとロープで立ち入り禁止の看板がかけられている。乗り直した電車で眠らないようにドアの傍へ立ち、見慣れた夜を通り過ぎて家路が近づいた。乗り過ごしてもそれはそれで、夜の街のたまらない沈黙に迎え入れられそうな気がする。
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・レヴューの炎

2019年11月09日 | コラム
 知人と食事を済ませて上野から山手線で新宿に向かった。八時を過ぎた新宿の花園神社へ続く歩道は並ぶ屋台が幅をせばめ、酉の市へ行く人と熊手を掲げて駅に戻る人とでごった返していた。片手にチューハイやストロングゼロ、ウーロンハイの缶を携えてちびちびやる人たちと少なからずすれ違ったが、皆にこにこと神社へ続く大行列に並んで流れに身を任せていた。新宿伊勢丹本店の向かいに面した脇の入り口には狛犬と共に警備員が立ち、「ここは現在出口専用です」と叫んでいる。列は正門に近づくにつれて進みが遅くなり、参拝する列と見物の通り道の二手に自然と分かれ、私と知人は歩道を外れて道路をカラーコーンで仕切った間に合わせの通路に移った。大寅興行社の見世物小屋は毎年正面入り口から向かって左側に小屋を建てている。

 屋台の屋根より高くつるされたのぼりには橙色に白で染め抜いた「女」「レヴュー」「奇術」という文字が並んでいた。昨年の「樺太から来た野人」「やもり女」「狂ったOL」「伝説の女番長」に比べると若干インパクトが薄く昭和のピンク劇場といった風情に少々がっかりしたものの、本殿を目指す善男善女を突っ切った先の看板のべったりした緑で描かれた今年のテーマ「河童」に希望を抱きながら入場を待った。
時間帯のせいか昨年は入り口付近で写真を撮りながらもためらう人が目立っていたが、今年は待ちの列が外にはみ出るほどの盛況だった。のぞき窓の前で口上を述べる役の男はバーコードヘッドの脇だけを長く伸ばしておさげにしたヘアスタイルを「かわいいー」とはしゃがれて調子に乗り、女性たちとのツーショットに応じていてろくに仕事をしていない様子も風情だろう。寄ってらっしゃい見てらっしゃいの立て板に水の口上を楽しみにしていたのだが、昼間からぶっとおしでここに座り続けなければいけない見世物小屋のしょうばいの仕方を知っていると文句も出ない。のぞき窓からは白い網タイツの足がときどき跳ね回っていた。ぼんやり手書きのベニヤ板を眺めていると列は入り口の暖簾まで進んでおり、さあどうぞどうぞと招かれてこうこうと照明のともる小屋へ案内された。

 今回はテーマが女河童のレビューということで、頭に河童の皿を模した帽子をかぶりおしろいをこってり塗ってつけまつげを盛り上げ、かぼちゃ型のホットパンツをはいたお嬢さんたち四人がピンク色のプラスチックの皿で皿回しの芸を披露していた。何度も失敗委して皿を取り落とす女の子へオレンジ色の道化服を着たおかっぱのかつらの女が「あんた失敗しすぎでしょ!」と喝を入れる。舞台の上の待機場所には簡単なバンドセットが組まれ、半裸の男たちがなかなかにうまい歌謡曲を演奏していた。照明の近くでドラムを叩くスキンヘッドの男がちらりと見上げる一部の人間を特に感慨もなく横目で流すと演奏に戻り、舞台の上では次の演目が始まろうとしていた。

 ちょうどのぞき窓の正面にあたる奈落の前に茣蓙が敷かれる。そこに残る灰色の跡に胸が躍った。そして司会の男が叫ぶ。「ハイ、お客さんたちは柱の脇に。そっちのお客さんの方は入り口に。ハイ、ずーっと詰めて詰めて。危ないですからね、ハイ」私の脇で中年の夫妻が「危ないっつったってなあ」「前で見たいわよね」とのんきに身を乗り出そうとしている。他の客も半信半疑といった様子で、あまりしっかりとよける気配はなさそうだった。照明が落ち、奈落から五十本の火のついたろうそくの束と共に切れ長の目と黒髪の小雪太夫が登場しようやく客の間に緊張感が走った。太夫は変わらない笑顔でろうそくを傾け蝋の解け具合を確かめると、優雅にろうそくの束を片手で掲げて水あめでも流し込むかのように蝋を口の中へ注ぎ込んだ。口から吐き出された炎の熱気は額をかすめ、小屋の中は拍手で包まれた。私はどことなく安堵しながら、拍手をめいっぱいに小雪太夫へ送った。
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