えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・引き継ぐ命を糧にして

2022年11月26日 | コラム
 目標を立てて達成するというサイクルを十五分おきに繰り返すよう『俺の屍を越えてゆけ』は構成されている。ユーザーフレンドリーをゲームがまだ実現出来ない時代だからこその設計だと思う。今から見れば、たとえば迷宮を攻略している最中に中断することが出来ないことなど、ユーザーのしたいことがゲームに制限されることに抵抗を覚えるかも知れない。一度迷宮に入れば制限時間いっぱいを使って冒険するか、引き返すかのどちらかしか選択肢はない。冒険を中断することは出来ないのだ。オートセーブでは無いだけましかも知れないが、案内役のキャラクターからそれとなくリセットをしないよう求められて知らず知らず気が引けるようにデザインされている。失敗も含めてプレイヤーそれぞれのプレイングの結果を綴っていくゲームと叙情的に書いてしまえばそれまでだが、その面倒な心の運び方をプレイヤーが行えるように物語そのものはシンプルに出来ている。語られることは世界観やプレイヤーが操作する「一族」に秘められた謎といった外堀と、「一族」が倒さなければならない敵について時々刺激される程度だ。プレイングそのものが物語となる二次の想像をプレイヤーが行わなければいけない点が、長く愛好されていた理由の一つかもしれない。
 一応本作には続編が存在するものの、ある意味ではゲームクリエイターがプレイヤーにさせたい行動を強制するシステム自体は完成されているが、そのシステムが残念ながらプレイヤーの望んでいた方向性とは大きくかけ離れてしまったために一騒ぎを起こしてしまった。ゲーム性自体は前作と変わりなく、代を重ねながらランダム数値に一喜一憂し、そのときユーザーが取ったリソースで状況を打開しなければならない。だが肝心の物語を形作るための要素がいろいろといけなかったらしい。少なくとも情報のかけらを視る限りでは、「一族」が物語の主軸ではない物語はいただけないだろうと思う。
 一回のプレイに時間がかかるため周回は難しいものの、コツを覚えダンジョンを覚え何度も挑戦したくなる点はローグライクゲームに似ているかもしれない。ケースまで購入した病が膏肓から抜け出る日は来るのだろうか。古い人間だけに離れがたい。
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・あなたの屍は超えたくない

2022年11月12日 | コラム
 PSPを購入してメモリの有無やダウンロードコンテンツのサービス終了などに悩まされながら、『俺の屍を超えてゆけ』のリメイク版にのめり込んでいた。本作は初出1999年のプレイステーションのゲームで、まだゲームの表現を巡って規模を問わずメーカーが群雄割拠していた挑戦の時代に生まれた作品だ。『GARAGE』と世代は似ている。表現したいものも一部の見かけ程度とは言え何となく表現の行き先のグロテスクさは似通っている。「人間ダビスタ」と評された本作はあけすけに言えば短い寿命の人間の交配を行い、より強い遺伝子を少しずつ次の世代へ引き継いで強化し、「一族」として各地の敵を倒してクリアを目指すRPGだ。ゴールは決められているが、そこに到着するまでの過程はプレイヤーに任されている。要所要所で世界観や主人公一族の謎は語られるものの、それがプレイの内容を直接左右することはない。プレイヤーは各ユニットに割り当てられた時間と能力を勘案し、リソースの塩梅を考え、各地の討伐を主体的に計画しなければならない。感覚としてはRPGよりはシミュレーションのそれに近い。

 案の定シミュレーションが苦手な私は早々にリソース切れや管理に音を上げかけたものの、本作では救済措置としてゲーム中でも難度を自由に変更することができるため最後の最後で助けられた。難度を変更すると取得経験値や敵の体力、ダンジョン内の経過時間の速度が調整されるため、慣れたプレイヤーはダンジョン攻略中にも頻繁に難度を変更することでより効率的にゲームを進めることも可能だ。他にもゲームが単調にならないようランダム性をストレスにならない程度に配置し、適度にプレイヤーはゲームに振り回されることとなる。PSP版のリメイクではインタフェースやリソース周りが改善され、より遊びやすくなったらしい。残念ながらリメイク版とPS版のアーカイブはまだ発売されていないが、プレイヤー自身の物語を組み立てて行きつつ、ストレスの少ないゲームはなかなかないので、このゲーム自体が次の世代に引き継がれることを願ってやまない。
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