えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:「萬狂言 夏公演 祭三昧 『煎物』」 二〇一五年七月二六日 国立能楽堂

2015年08月22日 | コラム
・型の所作、所作の場

 「萬狂言 夏公演 祭三昧」のトリを務める祭りは京都の祇園祭だ。山鉾に白鷺の舞を行うと決めた野村万蔵の頭屋が町人を集めて祭りで歌う謡を練習する傍から、洛中洛外図屏風から抜け出したような浅黄の小袖の担ぎ売りが荷茶屋を担いでしずしずと幕から現れた。

 この狂言はほぼ最初から最後まで謡の中で演じられ、間の掛け合いも謡の流れる中行われる。つまり物語を理解するに手っ取り早い台詞が謡に紛れ聞き取りづらく、公演冒頭の解説で野村万蔵が「本公演で最もわかりづらい演目」と述べた通り、演者の一挙一動へ話の進行が任せられているのだ。祭りとは全く関係のない強引な煎物売りが祭りの練習に現れ、笑いを誘う構成になっているが、声を張り上げる謡に台詞がかき消されて『千鳥』のような掛け合いからのおかしみを引き出すことが難しい。かといって野村万蔵の「五十の私が側転して退場します」と予告された大仰な仕草は最後の最後に持ち越され、白米を釜で炊くように釜の中で煮える米の音を聞きながら火の強弱を加減する微妙が、祭りの練習の和やかな場に緊張を与える。

 担ぎ売りの野村萬は傘を外すと、揃えた右手で柄杓を持ち、左手を添えた碗に湯を注いだ。右手を高く上げて注がれる見えない水が細くしぶきながら注がれてゆく。出来た薬湯を両手で捧げてワキ柱に沿って並び謡の練習をする頭屋の野村万蔵から順に進めてゆくが、あるものは薬湯の匂いに顔を顰め、あるものは袖を顔の前で払い、全員に異なる仕草で拒否されてしまう。それでも懲りない煎物売りを太郎冠者が追い出そうとするものの、奥の廊下で太郎冠者と威勢よく喧嘩をしてしまう。練習を乱す騒ぎにとうとう頭屋が説教をし、謡の邪魔にならないよう売るよう煎物売りへ忠告をする。本意は出て行って欲しいのだが野村萬は謡の調子に合わせて薬湯の効能を謳いながら踊るという荒業で商売を続けてしまう。謡は野村萬の足取りに合わせるように続けられ、すっかり煎物売りのものにされてしまう。

 その流れを変えるのは頭屋の野村万蔵で、鷺舞の練習をするため鞨鼓を胸に下げ烏帽子をかぶり袴も足首がつぼまった動きやすいものに着替えて現れる。今度は頭屋の舞の真似をしようとする煎物売りは商売道具の土器の盆を腹に括り付け、もっと優雅な手振りも軽々とした跳躍もできる人が、わざと紐にひっかかるようなかくかくとした動きで真似を続ける。たたらを踏もうとして踏み外し前へ気持ち体が飛び出す失敗の演技は名人の余裕である。ここから一切の言葉は消えて観客の視線は野村父子の動作と野村萬の顔つきに集中する。煎物売りはあくまで真面目である。見よう見まねをしようと頭屋を見上げる目は真っ直ぐだ。側転を真似しようとするが躊躇し、床に尻を付け両手を上に、横へ転がろうとする。最後は大きく転がったかと思うと舞台へ身体を叩きつけるように勢いよくうつぶせになり、腹に括り付けていた土器の盆が砕ける。ゆっくりと起き上がりながら欠片をかき集め、捧げ持って「数が増え申した」と舞台中央で顔を真っ赤にしながら張り上げた一声で見えない幕は下りた。
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:「萬狂言 夏公演 祭三昧 『千鳥』」 二〇一五年七月二六日 国立能楽堂

2015年08月08日 | コラム
・仕草の間合い

小笠原匡の太郎冠者が全身で歌う「ちりちりや、ちりちり」を聞いてコンピュータゲーム『戦国無双』が思い浮かんだ不届きものはたぶん私だけだ。ゲーム内では「千鳥の香炉」の千鳥にひっかけて登場するこの言葉が狂言『千鳥』における役割は、差し詰め「抜き足差し足、忍び足」だろうか。『萬狂言』夏公演の演目は副題の『祭三昧』の通り祭が関わる狂言の演目を集めた涼風の吹く舞台だった。『千鳥』に始まり『煎物』で終わる二時間半ほどの時間は濃厚でゆったりとした、私の知らない「むかし」を偲ばせる趣があった。それは『千鳥』で酒屋から酒を騙し取る太郎冠者の図々しくも後ろめたい足取りにも、『見物左衛門 深草祭』の相撲で手ひどくやっつけられた情けなさにも、『煎物』中ひたすら謳い続ける町内会の人々の立ちっぷりにも、祭りを迎える浮かれ気分を仄めかしながら一定の律動として現れていた。

「ちりちーりや、ちーりちり」太郎冠者の小笠原匡が歌う度に舞台正面に置かれた漆塗りの酒樽へ一足ずつ近づく。その度に大きく剥いた眼で酒屋の能村晶人に彼の目論見がばれていないか睨め上げる。酒屋が掛け声をかければ太郎冠者が歌い返して樽へ近づく。ついに諸手を挙げて太郎冠者が樽に覆いかぶさり手を掛けた。早口で駆け戻ろうとする太郎冠者へ酒屋は一拍置いて「何をしやる」と顔を向ける。悪巧みがばれて樽を持ち去られても太郎冠者は性懲りもなく、シテ柱からスタートするフラッグレースのように樽を狙って慎重に歩みを進める。酒屋も酒屋で、太郎冠者の嘘に付き合いながら肝心の企みを絶妙な具合でおじゃんにして遊ぶ。綿の塊を中空へ投げるように柔らかく飛びあがり着地する小笠原匡の鋭い身軽さと抜け目なさを、柔和な能村晶人が受け止めつつぴしゃりと返すやり取りが心地よい。

六月の『融』のアイを務めた時もそうだったが能村晶人は雰囲気を和らげつつ混ぜっ返す呼吸が上手い。太郎冠者と一緒にやり込められる気迫があり互いの間合いに緩急がつく。太郎冠者が樽を奪って逃げ去る距離は徐々に伸びてゆく。舞台を出て二の松まで逃げた。しかし酒屋に見つかってしまう。最後は酒屋がかざした扇を太郎冠者が裏拳で顔に打ち付け目つぶしした隙に、「御馬が走る、御馬が走る」と樽を持って駆け去り、「やるまいぞ、やるまいぞ」と酒屋が追いかけて幕。あざやか。
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