えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・歳末を歩いて

2021年12月31日 | コラム
 人通りの多い年末を意外に思うのは、去年の年末の平日のような混み具合を覚えているためだ。近くのショッピングモールでは人がみなマスクを着けているほかは歳末の買い出しに忙しい。五人前ほどの握り寿司の大きなパックをかごの上に乗せた家族とすれ違う。去年の春から初夏にかけてのマスク争奪の狂奔が静まって人々は好きなマスクを身に着け、不織布のマスクすら豊富なカラーリングを取り揃えて服に合わせている人もいる。同じ値段でつい数ヶ月前まで三十枚入りの箱マスクが気づくと六十枚入で売られていたので幾つか買い求めたが、よく考えなくても外出の機会は露骨に減っているので宅にとっては余分が過ぎたかもしれない。
 二十九日を皮切りに休みに入る会社員の財布は、二十九日から三が日にかけて掻き入れ時の繁華街に吸い込まれていくようだ。それで構わないし健全なお金の動きだと思う。去年はあまりにも物事が停滞し過ぎた。今年は少しずつでも息継ぎの出来る間隙を縫って、泥濘に嵌まり込んだ車輪を押すようにあらゆる立場の人々が出来る事を拡張し、模索する一年になったと思う。宅も、大きな転換を迎えて家族と向き直り、お互いのことを確認し合った転換点だった。
 そうした家の中の混沌を省いて久方ぶりに外へ出ると、他人が多く屯していることに落ち着かなくなり、結局は家へ戻る時間を早めてしまう。弱った体をまともにするために来年は少し意図的にならねばならない、と、帰路を歩きながら見上げる空は今年も真っ青に澄み切っている。

 本年も拙ブログにお越しいただきありがとうございます。強制的に転換を求められる時代、それを抜けられなくとも人は生きていかなければならないことを突きつけられる一年でした。そうした時代にことばはどのような役割を果たすのでしょう。文章という形はどのような役割を果たすのでしょう。
 こうした文章だけの塊のブログですらかつてと比較すると明らかに影響力を増している中、駄文を書き連ねることにどれだけの意味合いがあるかはわかりませんが、まずは今年一年の締めくくりの御礼をさせていただきます。良いお年を迎えられますように。
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・クリスマスには沈黙を

2021年12月25日 | コラム
 さも常識のように「クリスマスは12月25日」「クリスマス・イヴが12月24日」と言われ続けて長いが、実際クリスマスの祝い方を記憶の底からほじくり返してみれば24日の夜にまとまったチキンやケーキをいただき、クリスマス当日はツリーの下に置かれたプレゼントをあくせくと開いて後は正月という味気ない日々を送っていたと思う。25日から正月休み明けまでの休みが憂鬱だった。25日は誰もが疲れていた。24日の夜に気分のピークは訪れて、25日の朝はその支度が報われたあとの疲労に苛まれて31日までのゴミの回収日のカレンダーを眺めて間に合わない掃除の予定に呆然とするといった、24日の夜だけのイベントに成り下がっていた。
 今日も静かに部屋へ籠もって眠っていた。仕事終わりまであと2日を残して無理矢理に昨日を終わらせ、面倒事は来年に先送りして眠り続けたい気分のまま家族に贈り物を渡して後はそれぞれの時間を過ごしていた。ケーキもツリーもいつからか無くなった。子供と親との間に生じるきしみに磨り潰されたかのように消えていった。街は光で賑わっていても、家によっては家自体をツリーのようにイルミネーションで装飾していても、私の周りはいつからか31日を見据えて皆々予定を立てて溜息をついている。
 近所のショッピングモールには臨時のケーキ売り場がケーキ屋の前に設置され、どの店にも大人たちが並んでいた。それを食べ終えた25日の朝、雨のちに晴れている今日は、まったくらしいクリスマス日和だ。
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・とうとう登場

2021年12月11日 | コラム
 製品ライフサイクルという見た目だけで無味乾燥な言葉がある。製品の市場流通における栄枯盛衰の流れを簡潔に表すために作られた言葉だ。言っていることは分かりやすい。資本主義の市場に金銭で流通する製品である限り、最初の導入から成長と成熟を経た最後は「衰退」なのだということをパワーポイントなどで説明しやすくする言葉だ。PVPゲーム『Dead by Daylight』のプレイ動画を何気なく眺めているだけでもそういうことは実感として得ることが出来る。
 本作がヒットしてから類似のPVPゲームはそれなりの数登場したものの、次々と有名ホラー映画や著名なホラーゲームとのコラボレーションを続けるほど成長した牙城を揺るがせられるほどの爆発力のある後発作はなかなか現れなかった。たまに類似ゲームを取り扱うプレイ動画があってもパロディとして笑いのネタにされるのがせいぜいという状況がそれなりに長く続いたように思う。それが今年のハロウィン前後から崩れ始め、本格的な崩壊は『PropNight』というゲームの製品版が発売された12月から顕著になった。あくまで見物客としての意見だ。
 見物客の視点からしてもハロウィン前に発表されたアップデートは拙いだろうと感じていたが、それがより明らかになったのは『PropNight』の発売でプレイヤーの移動がよく見えるようになってしまった現実だと思う。『Dead by Daylight』の特異性は当面続くだろうと思われるものの、そう遠くないうちにDBD実況者が一人ずつ『PropNight』へ軸足を動かすように見えてならない。ほぼ似たルールで多様な遊び方がある方がプレイヤーにとっては理想的だが、今が油断できないときだということを逆手に取るような流れも見てみたい。
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