えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『オッペンハイマー』クリストファー・ノーラン監督 二〇二四年三月 日本公開

2024年06月22日 | コラム
 広島の原爆の被害者とオッペンハイマーの非公式の対面で通訳を務めた方の、当時のオッペンハイマーについて語られた映像が広島で見つかったために映画『オッペンハイマー』の解釈にはまた新しい考察が浮かんでは消えるのではないだろうか。原爆の被害者と対面したオッペンハイマーは滂沱たる涙を流し、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と「ごめんなさい」を三回繰り返したとのことだった。通訳の方がオッペンハイマーの言葉として謝罪の日本語の中から「ごめんなさい」を選んだのは、あとから彼の涙を振り返っての心の混乱と表現を飾れないほど縁までいっぱいに迫り上がった感情を示しているようで、ふさわしいものだと思った。映画では時間の都合上オッペンハイマーの内心を強く描くまでは行われなかったが、この「ごめんなさい」の一言が、もし映画の撮影時にクリストファー・ノーランの耳に入っていたらなにがしかの影響は与えたと思う。映画のオッペンハイマーは人々から内心が分からず本音を掴めない、かといって掴み所はそれなりにあるややこしい人物として描かれてはいるが描写は淡く、彼自身というよりは原子爆弾を取り巻く時代背景を彼の口を通して語りかけているようだった。戦後の赤狩りに巻き込まれた失脚のための密室の尋問も、イギリスに留学して精神的に追い込まれた末に指導教師のおやつのリンゴに青酸カリを仕込む学生時代も、マンハッタン計画に参画してロスアラモスの巨大プロジェクトの責任者として働く戦中も、原子爆弾という理論が人間の手で現実に現われるまでを描いている。最初は特別な教育を受けた一部の人しか分からない文字列で表されていたものが、大学の一室で計器を使った観測に現われ、各国が競う中でいち早く世界に脅威を示すために場所と人員を集中的に集めた二年間で原子爆弾は形になり、そして日本へ投下されて数式は現実になった。おおぜいの学者がこのプロジェクトに関わる様が描かれてゆくが、オッペンハイマーがとくに取り上げられるのは計画の責任者というその立場ゆえである。原子爆弾を使用したという事実はその後のアメリカに取って有利なカードか不利なカードかわからない。いずれにしても当時の旧ソ連はアメリカが使うことを見越してしれっと自国で原子爆弾を完成させていたことはこの物語の裏拍として知るべき知識だと思う。なぜなら映画の最後にオッペンハイマーは「我々は世界を破壊した」と呟くが、それはアメリカだけではなく世界中の学者が世界を破壊したともいえることで、アメリカが最初の使用国にならなくてもいずれは原子爆弾の保持を各国は顕示したと考えれば、理論の時点で世界は破壊されていたのかもしれない。
 映画の中でも現実のエピソードとしてもオッペンハイマーは原爆の「結果」である広島の写真を直視できず目を背けていた。目を背けた彼が、死の一年前の1964年に「結果」そのものである被害者との面談に望み、「ごめんなさい」と繰り返した意識の変化は、彼の孫の精神に引き継がれていると思いたい。
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:『関心領域』マーティン・エイミス著 北田絵里子訳 早川書房 二〇二四年五月

2024年06月08日 | コラム
 一九四〇年頃、ドイツに占領されたポーランドの一角にはユダヤ人の収容施設と、収容所の職員の家族などが暮らす区画が設けられた。『関心領域』の原題はその区画を意味する言葉である。ドイツ将校、収容所所長、収容されたポーランド系ユダヤ人の三人が順番に自分のことを語る中で始めは薄らとしか見えなかったその場所が次第に色を帯び熱を抱いて、最初からそこに入れられている収容者を管理する側の将校と所長を死の臭いが絡め取っていく。将校は国と自分達が何をしているかを理解しながら他人事のようにそれを眺め、収容者は逃げ出すことも死を自ら選ぶことも許されず苦しみを慫慂と受け入れて人間らしさという砦をアイデンティティで守っていく。その合間で収容所の所長は「関心領域」の中では絶対的な権力者として振る舞いながら、彼の地位を簡単に揺るがせる上の階級の一挙一投足に怯えている。自分が絶対的に強い人間であることを他者の口から証明してもらうことで彼の自尊心は保たれ、つかの間怯えと不安を忘れることが出来る。相手が将校であろうと収容者であろうと妻子であろうと、彼には自分の地位を失う事への恐れから生まれる不安が執拗につきまとう。収容者への罪の意識などは欠片もない。自分の思い通りになる限りは妻子も可愛いと思う。いつ転地させられるか分からない将校など今握っている権力の前ではそう大したことはない。けれども不安である。物言わず常に望めば望んだだけの酔いを与えてくれる酒は信頼できる。戦況が変わるにつれて不安の強まる所長の姿が収容所の惨状と重なるように二人の目から観察されていく。所長の美しい妻にしか目をやらなかった将校も次第に劣勢となり所長の権力の寿命が具体的にわかるにつれて、所長に巻き込まれる形でそこに居る妻を本気で愛するようになってしまう。愛すれば愛するほど彼女を通して所長が見える。収容者は所長の不安定な気まぐれによる嗜虐的な命令を風のように聞き流し、収容所へ送られてきた同胞達と逮捕されていない妻へ思いを馳せる。終盤になるにつれて二人の目からも所長は孤立して、自分の大きな飾り物であった妻も波のように遠ざかり、自尊心を保たせてくれる他人がいなくなったところで語りをやめてしまう。彼ら三人の戦後は物語の最初からある程度仄めかされる流れの通り終わり、彼らのいた「領域」から皆離れてゆく。緻密な幕が下りた沈黙の後に読者が何を残すかを試されているような静けさは、もう一度物語の最初へと指を誘うのだ。
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