えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・破片の後先

2016年04月23日 | コラム
 棚の奥からマグカップをグラスと二つを重ねて置かれていた湯呑の隙間を通そうと、取っ手に人差し指と中指をかけて引いた。当然のごとく湯呑は奥から抜き出されるマグカップに押され床に落ちて割れた。フローリングに落ちる甲高い音にカウンターの向こうから人が振り向く気配がする。バツが悪くなり謝った。返事を避けるように棚の下へ屈み込むと陶器の湯呑だったものが二つ転がっていた。

 幅広の笠間焼マグカップはグラスの脇をすり抜けつつ腹で湯呑を押した。棚から半分ほど飛び出した湯呑は前にかしいで、手を出す間もなく一段目の口辺あたりを始点に落ちた。咄嗟に避けて引っ込めた爪先の床に湯呑は重なったまま胴を床にぶつけて水滴のように破片を細かく飛ばした。

 片方は白地に茶褐色の斑点と棒線を描いて口辺に緑の釉薬が垂れた穏やかな色合いの器で、もう一つはやはり白地に茶の釉薬をかけて焼かれた廉価品だった。緑の湯呑は曲面を残して丸みを帯びながら尖ったかけらとなり床へ散らばり、茶の湯呑は形こそ保ってはいたが口辺の大方は欠けて中を覗くと全体にか細いひびが走っていた。力をこめれば潰れてしまいそうなほど手触りが脆い。ビニール袋を二重にして茶色の方を手早く入れてしまうと緑色の方の破片を大きなものから素手でつまんで入れた。
破片を袋に落とすたびに中でかちかちと硬い音がする。指でつまめるほどの大きさの破片は拾いちり取りと箒で細かな屑をかき集めガムテープで針のように鋭い粉をフローリングから剥ぎ取りまとめて袋へ詰め込むと口を二重回しに結ぶ。燃えないゴミ用に設えたプラスチックの容器へ袋を放り投げて最後、元湯呑の塊は他のゴミを重みで潰しながらゴミ箱の奥へ沈んでいった。

「何を割ったの?」無表情な言葉がキッチンカウンターの外から飛ぶ。
「湯呑を二つ」反省を込めた無表情な声で答えて私はまな板へ載せたままにしていたマグカップを取り上げて電気ポットから白湯を注いだ。
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・桜の蠢く街

2016年04月09日 | コラム
 二拍間を置いて気温が二十度を超えた日、桜は揃って花を開かせた。幾つかのつぼみを余韻に残して川べりに垂れる枝先まで桜独特の白とも紅とも言い難い花色に染めて水に浸している。日をまたいで桜は咲く。昨日まで黒々とした幹とつぼみの茶色で膨れた枝を寒々しく風に曝していた樹が次の日、手まりのような花の塊をつけて現れる。もって一週間の眺めであるそれは高架線の窓を通り過ぎる町並みへヤドリギのように主張する。ビルと家の狭間に枝を伸ばすもの、杉の緑を抱きしめるように枝が絡んでいるもの、そこに毎年のようにいたのだろうが冬の枝と夏の緑に花を忘れた一年後唐突に現れるのだ。

 吉祥寺から三鷹を下る列車が十五秒路線を走った左手に見える枝垂桜の濛々たる桜色が薄明りの夜に浮き出でる様はこの時に限られるもので、やがて窓へ背を向けたり窓に近づけないほど人に埋もれて日が過ぎると緑の図々しい押し出しが場を占めてそこは無くなってしまう。樹木よりも背の高い建物が当たり前にはびこる街で、墨よりも黒い枝が桜色の花を掲げている姿は先の夏を示してどこか寒々しい電燈を思わせながら散り始めている。
 
 アスファルトの石の隙間へ花弁が入り込み人に踏みしだかれた。中央線に面した堀に沿って植わる桜の枝が風になびくたび、花が散っていった。三人連れの先頭を歩く中年婦人が「桜の花は下向きに咲くのよ、だから見上げるときれいなの」と連れに言った。そう言われると桜を基にした模様は花が正面を向いてよく書かれている。少し前の季節を飾る梅が横を向いていたりつぼみのままだったりと表情が多彩な一方で桜は、五枚の花弁の揃った花か牛のように先が二つに割れた花弁のみかのどちらかに分れる。咲くか散るかの二択である。形の独特さから花びら一枚を描いてもそれが桜だと分かるほど散る姿を記憶されている木もそうはないだろう。
風が強く吹いた。桜はがくを残しながら気ぜわしく若葉を伸ばし、振り落すように花を散らし続けている。少し茶色がかった並木道には春の名残のぎりぎりに間に合った人たちが川辺の喫茶店に列を成して並んでいた。
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