えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・急ぎの願い

2019年10月26日 | コラム
 日本民藝館の白い壁と灰色の瓦屋根は秋の空の高さに似合う。正面玄関の真上の格子窓には廊下の暗がりを通して壁の一部のように黒が張り付いている。展示は古丹波で、玄関を入って右手には赤茶色の肌、左手には海鼠釉の甕がずんと置かれていた。スリッパが入っているわら籠の隣には黒い布の袋を入れた別の籠が用意されていた。以前は客の数だけ靴が散らばっていた三和土はすっかり空っぽで、取り違えのないように靴は袋に入れて持ち歩くよう注意書きが張り出されていた。見上げると踊り場からゆっくりと二階へ上る人影と、新館の廊下のベンチで男女連れが座っている。

 六古窯のひとつでありながら丹波の焼き物は、何気なく新品の瀬戸物屋に並べられていても平然と棚に座っていそうな、良くも悪くもクセのない顔があると思う。鮎の塩辛「うるか」を入れるうるか壺も泥からそのまま取り上げたようなどろりとした土や、浅黄色の地に縦の線を引いたモダンな柄、石をくりぬいたように締まった小さな壺など、一地方のなかにおける枝分かれがよく見える。腰を据えて真っ赤な赤土部の船徳利や、自然釉が肩口から肌にかかる壺はおだやかに棚へ収まり、黒いリュックを背負った男がしゃがみこんでしげしげと見入っていた。だが、記憶の大半は玄関から右手奥の部屋に集中している。

 その部屋には珍しく絵馬が並んでいた。説明書きを読む限りひとりの女性の収集の寄贈らしい。かみつきそうな表情の馬は鞍を放り出す勢いで身体を大きく曲げたり、立派な尾を見せびらかすようにこちらへお尻を向けていたりと活きがよい。素朴な地蔵がちらほらと目を細めて暖かい表情をしている。ここに並ぶ絵馬のおそらくすべては何か願いをこめられて神社へ奉納されたもので、納めた人の気配のなにがしかがまだうっすらとまとわりついている。絵馬の裏へ願いをひっそり書くよりも直球に届くよう、絵そのものに願いを込めることもままあるだろう。だから相当に切羽詰まっていたに違いない。当時は代わりの利かないものだっただけにその願いはいたましいだろう。けれども「乳だし」と、日本民藝館独特の赤字で「乳だし」と書かれたその図は一線を飛び越えていた。

 おだやかに祈りをささげる母娘図や健脚を祈ったのか腰から下の足だけを書いた「腰下」図、技芸か手指の病快癒か「双手」図など、かろがろと丁寧な筆さばきで描かれた絵馬はどれも初めて見るものが多かった。「乳だし」図も、母親が生まれたての子どもを育てるために必死な思いで乳の出が良くなる願いが込められていることは想像がつく。それだけに、もろ肌脱ぎに豊満な乳房を両手で支え、絶妙に離れたところへ置かれたスープ皿のような器へ母乳を(しっかり白い絵の具で)注ぎ込む女の絵は、母性を通り越してたくましく映った。目鼻口だけが妙に薄く表情がつかめないのは経年劣化のせいだと思いたい。

 とにかく隣の部屋の染付も上の部屋の漆器も作家ものも、それらを修める棚もガラスにも建物にも柳宗悦の目が利いているこの館の中で、「乳だし図」絵馬はひっそりと異質でいた。絵自体は朴訥でまったくいやらしさはないのだが、こちらも経年の煩悩のせいか周囲に子供を産んだ友人が多いせいか、その後の部屋を回っても母乳を勢いよくロボットアニメのビームのごとく吹きだす絵馬の図はついて離れなかった。そういえば母乳を牛のように絞り出して冷凍する機械というものがアリソン・ゴプニックの『思い通りになんて育たない』に書かれていて、知人連中は持ち歩き用の粉ミルクを花見の席に赤ん坊と共に持ち込んでいてお乳の心配はないと話していた、着物の合わせを豪快に広げた薄白い女のCの字二つ並べた胸元が切れ切れに頭へよぎらせる自分の脇を、民藝館へこれから向かう客がすり抜けていった。
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・非計画的計画

2019年10月12日 | コラム
 十二時がタイムリミットだとJRが公示していた。「どうしても」という予定がかぶっていた。台風の前の日、職場の席を立って給湯室のそばの掃除用具入れのドアを開けて電話する。階層によってはとっぱらわれてしまったが、ここはまだドアがある。白い陶器の流し台があるものの、畳一畳ほどの余裕がある空間で昔、私の勤め先のフロアが改装される前はよく昼寝をしていた。明かりがセンサー式に変わりドアが外されていなければ、今もドアを閉めれば真っ暗になるそこを愛用していたかもしれない。ともかくこのビルの中で電話をしている姿を見られたくなければ、非常階段の踊り場よりは少なくともこちらの方が安心できる。ドアから声が漏れ聞こえてもまず、まあ開けられないだろう。

 予定を聞くと明日のことはわからない、と受付の女性が答えた。時計は11時半で、インターネット上ではだいたいの企業が明日の予定を提出している。「今まで突然のキャンセルを行ったことはなく、上のほうの指示を待っているところです」初めて出くわす緊急時の組織はどこも似たような状況らしい。またかけなおします、と時間を告げて電話を切った。壁にもたれてじっとしていたので、センサーライトはとうに消え真っ暗な中で話を終えた。電話から耳を離すとぱっと明かりがつく。ドアの外からは昼食に出かけるらしい男性の声が、土曜日の台風の勢いを茶化しながら聞こえてきた。しばらくして折り返しの電話が、三十分の繰り上げを連絡した。予定を逃すと平日、朝はまだ交通機関が止まらない予定を勘案して朝一番の予約を入れた。風雨よりもその先に取得できる休みの数の不安にその時はさいなまれていた。

 帰宅してこまごまを済ませて目覚めると、窓の奥の雨戸がふるえている。少しだけ玄関を開けると文字通り滝のような雨がアスファルトを乱暴に叩いていた。公園のケヤキの梢が揺れている。最近は心を入れ替えてひとなみに災害の時の仕事をさせなくなった会社ならば迷わず行かないと決めていたが、こればかりは「どうしても」外せない。電車はまだ動いていたので、雨合羽を着込み小学生以来のテルテル坊主のかたちになって駅へ向かった。用事は滞りなく済み、眠れないほど気にかけていた帰りの電車もそれなりに乗り込む人たちに紛れて拍子抜けするほどあっさりと帰宅した。往復する車窓から見える河は午前中既に川岸を飛び越えて、高く盛られた堤防のほうを目指していた。駅に着く。雨合羽を着る。周りは買い物袋のビニールを抱えたり、サンダル履きにビニール傘だったり、長靴にTシャツの楽し気な少女だったりと、テルテル坊主は誰もいなかった。風もなく、テルテル坊主は吹き飛ばされずにスニーカーとジーンズの裾だけをびしょぬれにして帰宅する。

 外を風が過ぎてゆく。上陸までは五時間を切った。

 明日のことはわからない。
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