えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>番外編:町のクレーンゲーム

2014年07月26日 | コラム
「姉さん、手本やってみせましょうか」
 背の低い金髪に染めた若い男の店員へ苦笑いで首を振り、寺町通りの広い通りに紛れ込むように小さな店構えのゲームセンターを後にした。ぎっしりとクレーンゲームの筐体が並ぶ店内は暗く、すれ違う通路は互いに肩をすくめながら通らなければならないほど狭かった。入り口前では私の背丈ほどの、店内に設置されているものよりは一回り小柄な筐体に中学生くらいの女の子たちが山積みにされた掌ほどのぬいぐるみを取ろうと台にしがみついていた。眼鏡をかけたひょろ長い男が、愛想よく安っぽいざらついた手触りの、切符ほどの「一回無料券」と書かれた紙切れを渡して「どうぞ」と声をかける。そんな光景はたぶん東京へ戻ってもどこかで見かけるものだろうが、店内の様子は表の楽しげで開放的な雰囲気とはどうにも離れていた。

 一歩足を踏み入れると薄暗い。天井の蛍光灯よりも筐体から洩れる光の方が明るいほど店内の明かりは少なかった。壁を埋め尽くすように背の高い筐体が延々と、向かいの入り口へ続く通路にも敷き詰められている。入り口の可愛いぬいぐるみの詰まったクレーンゲームの気安さにつられて店に入ると電子音が響き誰一人口も利かず液晶画面へ黙々と向かってボタンを押していた東京の店とはまた違った異様さだった。筐体の明かりに照らされて商品が見える。縁日のくじ引きの屋台のように乱雑に、フィギュアを始めマグカップやバスタオルなどの景品が箱の天井一杯に積み上げられている。それを背景に手前には、箱の上に縁の広いよくUFOの特撮にでも使われそうな底の浅いコンクリートのようなグレーの灰皿がぴったりとした紙皿に包まれて置かれていた。

 筐体のガラスに貼られた説明書きを読むと、クレーンを動かして灰皿を落とせば箱の中に飾られている中で好きな景品を一つ手に入れられるという仕掛けとのこと。見渡すとそれぞれの筐体には少しずつ違った景品が入っており、近くでは大学生と思われる二、三人が仲間の一人を見守るように台を囲んでいた。あるものは野球帽、あるものはサングラスと台ごとに落とさなければならないものも違っている。華やかな景品とは対照的に、景品よりも光を浴びている灰皿や野球帽達は本来なじみ深いだろうものだけれども、ゲームの仕掛けとして置かれている姿はどうにも地味で居心地が悪そうに思えた。一旦店を出て、そう離れていない隣のゲームセンターに入り込む。そこでもやはりサングラスや灰皿が並んでいた。元の店に戻る。

 灰皿でもサングラスでも野球帽でも、そう簡単には取らせてくれるはずもないだろう。貰った無料券を近くにいた私よりも背の低い店員に渡し、ライトを浴びる灰皿の幅に比べて大仰な長さの腕を持つクレーンを動かした。爪の先が灰皿の縁へかかるように狙いを定めてボタンを二回適当に押す。狙い通りに片方の爪の先が灰皿の縁をひっかけた。灰皿が持ち上がり、底が浮き上がる。しかし予想通り持ち上がったはものの爪が外れた途端、がたりと元の位置に戻ってしまった。広がったアームは灰皿の直径よりも狭く、灰皿を直接持ち上げることはできない。丁度の位置へ当たらなければどうしようもない。チケットを渡した店員がすっと近づいて見本を見せようと持ちかけたが、諦めて店を出ることにした。
外へ出ると商店街のアーケードよりも高く、入り口も堂々と広く明るい照明の大きなゲームセンターがあった。東京と同じ仕掛けのクレーンゲームがデパートのように並び、親子連れや壮年のカップルの二人連れ達が誰にはばかることなくのんびりとゲームを楽しんでいた。
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紅を挿す

2014年07月12日 | コラム
 高さ十センチほどの磁器の三段重を、表参道と六本木の間の紅屋伊勢半のショールームで見つけた。それはかつて白粉を溶かすための器だった。一段目と二段目にそれぞれ水と白粉を入れ、三段目で適度に時併せて顔へ塗るための小さな重箱である。掌に乗りそうなほど小さなそれを、江戸時代の女たちは傍らに置いていた。そして白地に点景を彩るのは唇の赤である。

 伊勢半は現在の日本で最後の、ベニバナから搾り取った紅で作る口紅を扱う店だ。意匠の凝った平たい磁器の小皿や空気に触れさせないための蓋付きのまりのような磁器の細工へ、緑がかった金色の紅が塗られている。この金色を称して玉虫色と呼ぶそうだ。玉虫色に輝くのは質の良い紅の証だ、と、紅色の唇の店員が語るのを小耳に小さなギャラリーを一巡りした。紅の作り方、玉虫色に唇を染めた芸者の浮世絵、塗るための刷毛、紅皿と、唇の化粧にまつわる品々の傍らにひっそりと白粉のための器物があった。流れている映像ではファンデーションの肌色の女性が唇へ紅を挿されているが、白塗りに載せられる紅はさぞや明るい肌に見えたではないか、と蝋燭の火を思い浮かべながら赤絵の小箱を観た。

 時代が下るにつれた化粧の変転を一通り学び入口へ戻る。見本に置かれた玉虫色の紅皿を改めて眺めいっていると、店員が「よろしければお試ししてみては」と声をかけた。否やもなく美容院のような鏡の前に座った。
紅は肌を染めない。その人自身の肌へ紅の方で色を調整するので、似合う色をいちいち考えなくて済む。「本当はピンクにしたい」という店員の、その赤い唇は彼女の白い肌へ良く似合っていた。自分一人は自分の色にしか染まらないが、つける人によって紅は様々に色を変える。

 店員のことばを聴きながら、紅を筆で挿してもらう。水を含ませた筆を店員が紅皿へ置くと、急に華やかな赤が筆先に付いた。紅筆が唇を往復するたびに唇がほんのりと赤みを増してゆく。肌を色づけるというよりは、肌の色を地に水彩絵具のように少しずつ赤が重ねられた。塗り重ねられた赤に、唇が明るいサーモンピンクへと染まった。水と紅だけで染められた口紅はそのまま肌へ沁みとおりそうな付け心地である。唇が明るくなるだけで、鏡の中の日焼けした他の肌まで明るくなったようだった。
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