えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・煮卵の転がる鍋

2020年09月26日 | コラム
 封を開けていない卵のパックの底に、結露よりも不透明な汁が溜まっていたので慌てて中身を取り出した。宅配サービスで届いた時からそうなっていたのか、冷蔵庫に入れる途中でそうなったのか、度重なる開閉の末にそうなったのかは不明だが、卵のひとつがぱっくり割れて白身が流れ出し他の卵も目を凝らさずして分かるほどのひびが入っていた。うち二個は亀裂ともよべるほど胴に沿ってひびが入っており、揺らせばそのまま白身が垂れてしまいそうだった。割って何かをする勇気はなかったので鍋に水を張りそのまま火にかけた。

 湯が沸騰すると白い不透明な泡がメレンゲのように表面へ浮き出た。何が起きているのかはあまり見たくはなかったが吹きこぼれの始末をしたくなかったので鍋の前に行くと、散らしたばかりの菊の花のように黄色く細い物体が湯の対流に乗って鍋の底から浮き上っては沈み、浮いては沈みを繰り返している。白身よりもゆで卵を作る最中の殻のほうが生ぐさい。どうせ後で殻を洗うからと粗雑に洗ってまだ落としきれなかった白身が殻にからみついているのだろうか。いずれにせよ鍋から立つ蒸気からは鼻の奥へ粘りつくような臭いがする。卵が煮えたのでザルにあけると、ほとんどの卵からは固まった白身がひびからせり出して白いものが見えており、まっぷたつに割れかけた一つからは黄身がこぼれて固まっていた。水で冷やして卵の殻をむくとけろっとした白身が顔を出した。

 殻から取り出した卵をジップロックに放り込み、醤油をたっぷりとみりんをその半分入れてジップロックの口を閉じて冷蔵庫にしまう。レシピ上は10分漬けるだけでも良いそうだがだめになった一つの身を処分するのに頭がいっぱいで、結局その日は冷蔵庫の中で液に浸かってもらうことにした。ゆでている最中に黄身が流れ出した卵は塩を振って食べた。きれいにくりぬかれたかのように白身だけが卵の形を留めていた。後は中身を鍋にあけて煮るだけだった。

 一日ほったらかしにした卵はなぜか茶色がかった鼠色に染まっていた。まだらなのは液に浸かっていた個所とそうでない個所の違いなので仕方ないが、鼠色なのは理由がわからない。わからないまま鍋にあけて火にかけると、みりんと醤油だけが火にかけられたときの焦げ臭く甘じょっぱい匂いが周囲に漂う。レシピ上では中火で10分とあるが前回作った時は五分ほどで汁がふっとび鍋に九曜紋のような卵のあとがついたので、鍋から目を離さずに柄を握った。沸騰した茶色のおいしそうな泡が立つ中、卵はいつまでも鼠色で、湯気は白身の生臭いにおいを立て始めていた。
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・『Another』雑感

2020年09月19日 | コラム
 アニメ化、続編、スピンオフと幅広く世界を広げる綾辻行人の『Another』の薄暗がりは夜見山市の人形ギャラリー館「夜見のたそがれの、うつろなる青き瞳の。」の地下二階へとその落ち着き先を見出してとどまる。二〇〇九年に角川書房から発売された673ページもの大著は、怪奇談であり謎解きを含めたミステリーであり、子供たちのひと夏の物語の三層、細かな発見を含めれば何重にも重ねられた層の上で物語られてゆく。

『Another』の時代背景は一九九八年と携帯電話の普及の直前であり、無論パソコンやインターネット回線と子供たちは縁が薄い。それは町全体をある「現象」に閉じこめるための思い切った手段であり、逆に「現象」が町に留まるために必要な時代の流れである。その現象は物語の二十六年前に死んだ一人の中学三年生の生徒にまつわる弔いともいえない奇妙な儀式をきっかけに始まり、それ以来夜見山市の通称夜見北中学校では何年かに一度、三年三組に関係する生徒や保護者や教師たちのうち、毎月一人が死ぬという「現象」が起きることとなった。

 それなりに短くはない期間を開けて一年にそのクラスの関係者が十二人も死ぬという「現象」を回避するため、大人たちは様々な対策を講じた。対策の中で唯一有効とされたものが、クラスの生徒一人を「いないもの」として扱い、一年間その生徒を三年三組の生徒と教師は無視し続けて学校における存在を消すことだった。運悪く三年三組に転校した主人公の少年はそんなしきたりを知らず、「いないもの」とされている生徒に話しかけてしまう。「いないもの」にされた彼女の実家が、彼女の母親の作る球体間接人形のギャラリー「夜見のたそがれの、うつろなる青き瞳の。」だった。

 人形館そのものは天野可淡の球体関節人形からインスピレーションを受けて造形されたヒロインの見崎鳴のための部屋である。儚げな古木のように華奢ながら力強い瞳でこちらの思いを引きずり出す人形たちのように、見崎鳴もまた人形のようなたたずまいながらその目で主人公と共に「現象」の起こす死の謎を見通してゆく。スピンオフの作品では彼女が主人公となり、やはり「目」を利用して死にまつわる謎によりそう。

「現象」自体は作中で長文を割かれているように原因を取り除いてまったく無くすことはできない。仮に無くす手段があるとすれば夜見北中学を廃校にして二十六年前の死者とのつながりを絶つことくらいだろうが、そういう味気ない想像は一旦外しておくことが本への礼儀である。途中で唯一「現象」が起きてしまった場合の真の対抗策を主人公たちは知ることになり、そこから彼らは「犯人当て」を読者と共に進めてゆくこととなる。人形ギャラリーは最初の掴みを終えてから徐々に主人公たちから遠ざかるものの、個人的には最後まで読み続けるための歯車とばねになったその醸し出す雰囲気をゆるやかに楽しめた一書だ。
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・『エフィー・グレイ』雑感

2020年09月12日 | コラム
 顔だけを別のモデルに差し替えたという青いドレスの女は胸の下で手を組み合わせ、分厚い天蓋の奥のベッドを眺めている。窓から差し込む光が床を水色に染める中、女の赤銅色の髪が昼の光のように輝いている。ふっくらした胸元からコルセットに絞めつけられたウエストに流れる体の線はまろやかながら、緊張に張りつめているようにも思える。ジョン・エヴァレット・ミレイの『聖アグネス祭前夜』が発表された当時の彼女はこれでも「痩せている」という評価を受けたそうだが、彼女の体は豊かに豪奢な部屋の真ん中の空間を文鎮のように占めている。その、体のほうのモデルを務めた女性は妻のエフィー・グレイだ。

『エフィー・グレイ』は、ジョン・ラスキンの元妻でありジョン・エヴァレット・ミレイと連れ添った女性の伝記である。片や著述家で批評家、片やイギリスを代表する画家の偉業は彼女の人生と重なり合い、彼女は彼女の目で二人と暮らしてゆく。著者はエフィー・グレイが家族や友人たちと交わした膨大な書簡から一人の女性を確実に浮かび上がらせる仕事に成功し、なおかつ二人の男性の仕事を彼女を通して批評して見せる。

 スコットランドの広大な敷地を持つ家と多くの弟妹に囲まれたエフィー・グレイがジョン・ラスキンに見初められたのはわずか十二歳の頃だ。一回り以上歳の離れたラスキンはあけすけな言葉を使えば少女が趣味で、一人っ子の育ちが災いしたのか両親とは異常に仲が良く、妻となる人間には過剰な理想を抱いていた。結果、十九歳で彼に嫁いだエフィーは彼のお眼鏡にかなわず、義理の両親たちは過剰な干渉を続けたあげくに妻を残して夫を長い旅行へ連れ出す始末で、五年もの間不幸な結婚生活を送ることとなる。そこから脱出することをエフィーと彼女の家族は選び、裁判所へ離婚を訴えたことが彼女の人生に大きな影響を及ぼした。

 二人目の夫ミレイはラスキンの紹介でエフィーと出会った。けれどもその出会いは単なる友人の紹介ではなく、あわよくばエフィーへ汚名を着せるために用意されたいけにえとも呼べるものだった。ラスキンの妻であるエフィーに恋したミレイはラスキンの思惑を薄々感じ取りつつ……と、エフィーの離婚はここだけで一冊を使い切りそうなほど複雑な時代背景と人間関係のしがらみに満ちているが、著者はエフィーの辿った道筋から脱線することなく人生航路の前半として相応しい分量にとどめている。彼らの生きた十九世紀では女性側から離婚を申し立て、それが受領されることがきわめてまれなことであり、エフィーはその先陣を切った女性だった。

 劇的な離婚ののちミレイと結婚したエフィーは母親として、子どもが大人になれば祖母として役割を変えてゆく。かつての離婚が尾を引きヴィクトリア女王から謁見を拒まれるという不名誉を与えられた彼女が、夫ミレイの最後の懇願により謁見を許され、社交界にデビューして以来数十年を経て女王に謁見する場面は圧巻のひとことだ。そして夫を失った彼女はロンドンの自宅を売り払い、幼き日を過ごしたスコットランドに帰郷する。誰にも手紙を送ることのなくなった余生を後世に残すことなく、静かに息を引きとり、静かにグレイ家の墓所へ埋葬された。
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