えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・去年追憶来年想起

2020年12月31日 | コラム
 八か月ほどで日本全国、変化に耐えきれない、と言うにはあまりにも拙速で酷な現実に街のあちこちが潰され、人手が戻る日を虎視眈々と狙うご新規様の得体は知れず、「保つ」「続ける」ことの純粋な難しさが突きつけられている。四月の緊急事態宣言により一時的に止まった人出がそう簡単に戻るわけはなく、冬の乾燥に乗じて病魔はさらに勢いを増し、年末年始の人出をもう一度きつく締めたことであきらめを悟った東京都内のあちこちには空白が生じている。入れ替わる時はいつか来るのだと高みから見下ろし、かつて街を作っていた店たちの跡地は新しい新しい錦の御旗でまったく飾りつけられようとしている。新しくなることは良いことらしい。新しい年を迎えられることはありがたい。それを迎えられないことはありがたくはない。矢鱈めったらな変化の押しつけに街が悲鳴を上げている。
 病気感染の合間をかいくぐって出かけた先は、自分の狭い行動範囲ですら行きつけの店が喫茶をやめてしまったり営業時間を変えたり、メニューを減らしたりと生き延びるための工夫が何とか功を奏して青息吐息の状態だった。それから夏場を経た頃から重体の病人が恢復の兆しを見せ始めたかのように人通りがぽつぽつと戻り街は息を取り戻そうとした矢先の冬、感染者は増加して都道府県の知事たちは我先に会見を開いてもう一度街の首を絞めた。今は耐えるときですと号令をかけるだけで肝心の救済策は国に放り投げ、国が間違えば批判するだけの繰り返しの報道から逃れるためにだいたいの人はインターネットで内閣府や都道府県の公式ホームページへ行く。小さな画面へ向かい合っている間に街はまた息を止めたかのような沈黙に落ち込んだ。
 歩けば歩くほど月を跨ぎその街が涙を流しているような街を歩いた。勤務先から命じられて通勤も無くなる今日、電車で遠くに出かけることは大きな贅沢と化したが、それだけ(特に東京は)繁華街に出かける人も回数も大幅に減った中で、観光客のために調整されていなくともあっさりとドーナツ化する都内には大きな穴が空いている。目に見えるシャッター街だけではなく、そのシャッターが開いていたころに通い詰めていた人々の思いごと大きな穴があちこちに空いている。
 それでも、何度でも言われているがそれでも、人の体は生きるように作られている以上、毎日を目に焼き付けながら誰にでも平等に訪れるその日までを生きるように走らなければならない。ただ、走り続けられなくなるほど傷ついた人、街、失った場所に対して、差し伸べられる手を今は願い求め、その跡地を引き継ぐ人々にせめて街というものを意識してその土地に生きようとする志を求めるのみである。

 本年は地球が沈黙したかのような厄災が訪れました。数年、あるいは数十年かかるであろうと言われていた変化が圧縮された八か月により街も人も強制的な順応を求められ、大鉈を振るわれたかのように明暗が分かれました。誠実に生きていても暗闇に叩き落とされる。終わりなき夜に突き落とされることが身近になりつつある中だからこそ、そこに陥った人を責めることなく、自分だけに引きこもることなく、視野だけは広く保ちたいものです。
 年々言葉という伝達する道具の役割は増えたような減ったような、書く人は増えても読む人は減っているという奇妙な話も耳にいたします。今年は特に個人の発信媒体としてブログと言う形式もまだまだ現役であることを見せつけましたものの、書き手過多の時代にことばはどのように生き残るか。そうしたところを陋巷にて思い巡らせつつ、今年のまとめといたします。本年も一年、ありがとうございました。来年は苦しんだ人にこそ、より希望の光が多く差しますことを願っています。
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・さよならの年お別れの月

2020年12月26日 | コラム
 誰かと会い、口を開けば「今年」のあとに「コロナ」が続く二〇二〇年もわずかとなり、来年に願いを込めた挨拶には心情がこもる。一二月の今頃に人と交わす挨拶は特別で、誰に逢っても後ろ髪を引かれるような寂しさとともに次の年への想像をゆるやかに膨らませる「良いお年をお迎えください」の定型文が暖かい。遠出は出来ないながらもささやかな顔なじみのあちこちに今年との別れを告げてようやっと一月一日を迎える心の支度が整う。
 それでも今年はお別れを告げる以上に、さよならを多く告げていた。緊急事態宣言を皮切りに六月一気に職場周辺の行きつけの店が無くなり、ひっそりと七月に京都の櫛屋「二十三や」は数百年の歴史に幕を引き、あちこちの商店街はシャッターを下ろして静かになった。お別れを告げる暇もなく、街は静かになり新しい店が次を狙い土地を買い集めている。ふと見かけた「地上げ」の文字が薄れる間もなく、今年四月までの普段に別れを告げて見たこともない来年へと向かう。
「潰れるべきところは潰れるんだよ」
 と、縁日の元締めはさらりと言った。
 その辺りをさらりと言えるほど、まだ人生で別れを経験していないのかもしれない。
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・『追憶の東京――異国の時を旅する』 雑感

2020年12月05日 | コラム
 アメリカ人の著者、アンナ・シャーマンからの東京への恋文がこの一冊らしい。70ページ近い原注には英語の研究書の引用の訳も多く含まれ骨太だ。東浩紀と華厳経が並列するアンナ・シャーマンの視点の根元はどこか振幅が極端な気もする。日本「おたく」と呼ぶには距離が遠く、研究者と呼ぶには抒情的で、随想とまとめるには何かが欠けているとページをめくるごとに首を傾げながら読み進めていった。

 吉村弘『大江戸 時の鐘 音歩記』に影響を受けた著者はかつて東京中の時間を知らせていた「時の鐘」の存在に惹かれ、音で時間を定めていた寺を拠点に東京を巡り歩く。原題『The Bells Of Old Tokyo』の通り、著者の視点は時の鐘がその役目を果たしていた江戸時代に重きを置いている。特に人の都合と季節の廻りで変化する鐘から歯車の西洋時計に切り替えられる幕末のその時、廃仏毀釈が進み鐘も寺も無くなるその時への思いは多少感情が混じり熱っぽい。

 並行して各章の終わりには著者が日本滞在中に行きつけにした大坊珈琲店という店のロゴと、店の中で交わされる禅問答のようなやり取りが記される。直接章の内容と関わるものはごく少ないが、この小さな章を通して著者の思考は緩やかにまとめられてゆく。東日本大震災後に岩手出身の店主から投げかけられた「……逃げたの?」の一言に「逃げました」と返す瞬間の緊迫と、その後に店主が普段通り彼女へ珈琲を注ぐ穏やかな切り替えの落差は、おそらくそのままこれを読む日本人との距離にも等しいと思う。

 取材のためにインタビューした相手は多種多様で、有名な寺院の貫主はおろか徳川家の現当主、芸術家と錚々たる面子が並ぶ。無論そこには本の目的である「時の鐘」にまつわる以外のことも多く交わされているものの、本文には残念ながら反映が薄い。たとえば光格子時計の研究者の香取教授に「あなたはノスタルジックな人ですか?」と、脈絡なく自分の頭の中に収められているルールからの質問を投げかけ、ちょっとした困惑を投げかけたり、といった、外国人だからこそ「お客様」で許されている俗に言えば「失敬な」問いも多い。「丸の内」の章などは戦後直後の皇室批判が目的なのかもわからないほど、半ば強引に元号の変化を時を決める「過去の」手段と紐づけ、ひたすら皇室のことばかりを書いている。北砂では第二次世界大戦で焼却された東京の被災者に話を聞きながら、「どこか安全な場所は見つけられたのですか」と尋ねる無神経さはいただけない。

 本質は日本おたく向けに話題を拾い小奇麗にまとめられた街歩きの地図であり、少なくとも日本好きの本ではないのではないだろう。そう感じてしまうこちらに日本文化の素養がないと言われてしまえばそれまでの話だが。恋文にしても、もう少しお義理な好意は示していただきたい次第。
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