えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・Android版『Garage』所感

2022年09月24日 | コラム
 胎児のような機械が廃材と鉄屑と廃水の組み合わさった世界を動き回っているスクリーンショットを見て、何も知らずに面白そうだとAndroid版を買ったゲームが『Garage』だった。昔ながらの探索型アドベンチャーで、プレイヤーは閉じられた箱庭を探索することで少しずつ開拓し、同じ場所へ何度も通ったり住民たちと会話を重ねたりすることでその世界への理解を深めていくという懐かしい形式のゲームだ。初出は1999年のためよりそう見えるかもしれない。発売会社の事情によりわずか3千本しか出荷されなかったり、当時のデータが欠損していたため描き下ろしたり、センシティブな基準に引っかかって一部画像が差し替えられたりと盤外の話題も多いがまずはタイトル画面に浮かび上がる整頓された廃墟のような俯瞰の眺めに惹かれた。
 心を病んだ「ヤン」という男が「ガラージュ」という機械に身を委ねるところから物語は始まる。医師らしい人間の言葉に促されるまま歯医者の椅子に機械を取り付けたかのような椅子に腰掛けると、視界は暗転して気がつくと鏡の前にプレイヤーは正面から見た蛸のような奇妙な姿で鏡に映る自分を発見する。正面こそ蛸のようだが外に出て移動した横の姿は運搬台に乗せられた胎児のような頭でっかちの歪つな機械になっていた。兎にも角にもこの世界から脱出しないことには始まらない、と彼を操作して物語を進めていく。生きている人間らしいものはいるにはいるが、世界の住民は自分よりも整った形の機械達ばかりだ。
ある一定の行動を取ると章が進むため時限式のイベントに警戒をしながら進めていたものの、集中力が切れて案の定取りこぼしが多かったのはご愛嬌だ。これもまた懐かしいしくみだが、やり直す度胸はなかなか出ない。そんなことも楽しいと思えるほど没頭していた。マルチエンディングなので周回プレイが推奨されるが、他人のパートナーを横取りしようと悪巧みをした結果一番重要なストーリー分岐にいきなり入ってしまったため、他のルートでシナリオ補完をしようかどうかはまだ迷っている。集中して遊ばなければいけないゲームだが、同時に今プレイしている自分の指が溶け込んでしまうような不思議な寛ぎを覚えた。一方でゲームとして能力の上昇やアイテムの収集、ストーリーの進捗などを早回しで遊んでしまったため、二周目を遊ぶならばもう少し落ち着いて世界を歩こうと思っている。
 静かなゲームでほっとする。常に不安を煽るような演出こそあるものの、ゲーム自体は素直な探索アドベンチャーなので、あれもこれもと新しいゲームへ久しぶりに触れた勢いであちこち探っている間にすぐ慣れてしまう。昭和の見世物小屋のような根明の陰惨だ。なぜ望んで入ったはずの世界から必死で脱出しようとするのか、なぜ主人公は「ヤン」ではないのか、「自分とはなにか」という問い掛けを繰り返しながら精神の深みへ手を入れて探ろうとする物語は同時代の『シリアルエクスペリメンツレイン』や『パーフェクトブルー』の不気味さも連想させられるが、新たに追加された本作の終わりはそう暗くはない。
「ガラージュ」と「ヤン」により作られた精神世界から、主人公は主人公として脱出できる。ただしもとの「ヤン」として脱出できたかは定かではない。その辺りの読み解きはゲームをひっそりプレイしてひそやかに自分の体の中で思考すれば良い。この精神世界はあまり気持ちの良いものではないが、居心地の悪いものではない。
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:読書感『返校 影集小説』ノベライズ 李則攸 巫尚益 監修 公共電視 訳 七海有紀  角川ホラー文庫 二〇二一年七月

2022年09月11日 | コラム
 昨年の映画公開に合わせて出版されていたことに気が付かず、書店の台湾フェアの棚の一番下にひっそり置かれていたところを見つけてようやく読んだ。奥付を見ると初版だったので何とはなしに不安を覚えたがそんなに稀なことでもないのでそのまま本を開く。『返校 影集小説』はNetflixで放映されていたドラマ版の『返校』のノベライズ版だ。ドラマは未見だが原作のコンピュータゲームや映画版の三十年後の学校が舞台となり、主人公も方芮欣から劉芸香という少女が中心となる。方芮欣が幽霊であることや基本的な登場人物の立場は原作と共通しているが、印象が大きく変わるような細部を変えることでまた別の方芮欣の物語を作り出していると思う。
 物語は劉芸香が引っ越しと共に翠華高校へ転入するバスの中から始まる。前の学校で問題を起こしたために母親と二人で田舎の金鸞に越すことになったものの、母親との関係は強張っている。一点の汚れもない秀才の高校生の姿を形作るため、母親が劉芸香の髪を整えてカチューシャをはめる場面はまるで拘束具のように重苦しい。だが当の本人はキーホルダー型のライターやタバコを持ち込み、転校早々に喫煙所となる隠れ家を探して立入禁止の校舎に入り込むほど根性がそこそこ座っている。その校舎に入る門には御札が貼られており、幽霊が封じられていると専らの評判だが気にしない。案の定かつてその校舎で命を絶った方芮欣の幽霊に惑わされて取り憑かれる羽目になる。
 重苦しいのは家も学校も同様で、既に方芮欣の悲劇の遠因となった言論弾圧政策から解放されたにも関わらず辺境だからかまだ昔の慣習が遺されており、当時と同様に構内では軍服姿の白國峰が威勢を振るっている。そんな学校の中で劉芸香が支えを見出したのは詩の同好会を主催する教師沈華だった。
 ほとんどはドラマのなぞり書きなのかもしれない。所々、ゲームと共通している描写やセリフは見逃されないよう書かれているものの、どうしても決められた語数にまとめるには多い情報量は切り捨てざるを得なかったのか、たとえば劉芸香の母親が病む原因である父親が突然現れて絶対的な高校の校長と対等に張り合いだすなど唐突な切り返しが多かった。話のほうも幽霊である方芮欣がまるでルームメイトのような存在感のため、原作や映画版のそそけ立つような恐怖よりも人間社会のしがらみの泥臭い居心地の悪さのほうが目立つ。
方芮欣と張先生の二人と対象的に描かれることで、原作の方芮欣が自身の影と「私はあなた、あなたはまだ私ではない」と問答して真実を思い出す場面に重ね合わせている工夫がわかるようにはなっているのだが、劉芸香に対して相方の沈先生の影が後半になるにつれて薄くなり、最後は祟りの巻き添えで敢え無く散ってしまうためどうにもずれて見えてしまった。才能あふれる方芮欣と盗作に手を出す劉芸香、命を賭けて生徒を守った張先生と保身のために生徒を利用して切り捨てた沈先生と、立場を違えることで二人の女生徒同士の問答の答えに意味が出てくるとはいえ、原作に引きずられ過ぎたための違和感が最後まで拭えず本を閉じた。
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