そんなことを書いていたら唐突に月曜、雪の予告が成されて火曜のおやつ時にはしんしんと音を立てず小さな粒で少しずつ地面を冷やしその上に積み重なろうとする雪が降り出した。一時間二時間と時間が経つにつれて公園の木々や植え込みは雪化粧を纏い、道路の日陰となる隅々にはひそやかに白い雪の塊が積もり出す。アスファルトを覆うにはまだまだ温度が足りなさそうだが、時間の問題だろうと四時の明るさを遮るようにシャッターを下ろした。シャッターを下ろしてもガラス戸は冷たい。カーテンを引いてようやく暖房が肌を温めだした。その上へさらに上着を重ね、膝掛けをひいて、かじかまない指先で仕事用のキーボードを叩き続ける。月初は油断がならない。いつ何が飛び込んできても驚かないよう指をキーに滑らせている。物音は聞こえない。勝手口の窓が薄く明るい。夕方の光をまめに跳ね返して青白く外が光っている。雪景色は嫌いではない。足跡のない真っ白な道路は美しいと思う。それを歩かなければならない時にようやく疎ましく思う。降り始めの雪は氷の本性を隠して白く、ぼたん雪のような塊は見かけとは反対にすっと溶けてしまう。粒のきめ細かい雪は髪へ染みこむように溶けながらもしたたかに頭を冷やして積もる。シャッターを下ろすときに歩いていた人はまだ傘を差していなかった。今は窓の外で傘を差しているのだろうか。今日もまた予報が半々に当たり止んだり降り出したりを繰り返して今は雪に近いみぞれが窓を叩いている。
今年は雪が降っていない。山脈の反対側に降り積もる豪雪の雲がこちらまで伸びることはなく、共通試験の時も寒いと言われる日も降らなかった。このまま雪かきとは無縁の一年になるのだと勝手に思いながらテレビの天気予報を見ると、三連休は寒くなりそうだとアナウンサーが両腕を身体に回して震えるジェスチャーをしていた。次の日の朝は晴れていたが、窓枠を超えた寒さが部屋を浸していて布団から出る決意を固めるのに時間がかかる。約束もある。雪が降らなければよいがと思いながら晴天を喜ぶのもつかの間、気がつくと重い雲が空を埋め尽くして白くちらつきながらそのまま垂れて落ちそうな曇天と化していた。窓から道路を眺めるとアスファルトは点々と黒ずみ始め、その黒ずみの上に白い切れ端がちらりと舞っていた。雪だった。
夜の憂鬱を想像しながら窓を閉めて引きこもり、しばらく過ごしていると雪は止んでいた。これも小春日和に伴う詐欺のような春の手前の一時しのぎかもしれない。今夜の夜半にまた白いものがちらつかないことを祈りながら明日の予定を考えている。外には出なければならないが、積もらないことをとにかく願うばかりである。外には出なければならない。寒さは嫌いではないが、豪雪地帯の雪を見る度に脅されているようで憂鬱になる。まだ空は晴れない。日は射している。雪は降らない。
夜の憂鬱を想像しながら窓を閉めて引きこもり、しばらく過ごしていると雪は止んでいた。これも小春日和に伴う詐欺のような春の手前の一時しのぎかもしれない。今夜の夜半にまた白いものがちらつかないことを祈りながら明日の予定を考えている。外には出なければならないが、積もらないことをとにかく願うばかりである。外には出なければならない。寒さは嫌いではないが、豪雪地帯の雪を見る度に脅されているようで憂鬱になる。まだ空は晴れない。日は射している。雪は降らない。
「アニメに出ていたけれど行ったことがないから」と神田明神への案内を頼まれたので出かける。会社の先輩曰く車ではよく前を通り過ぎるので気になっていたとのことだが、目的地の秋葉原から神田明神へ戻るには上り坂を歩かなければならないため、多分億劫出会ったのだと思う。手頃な駐車場もない。湯島聖堂を覗き見して曇り空の御茶ノ水を歩く。とろりと歩くとすぐ着いた。参道前では甘酒屋が紙コップ一杯350円で甘酒を売っている。後で飲みましょうと先輩をせっついて鳥居をくぐると、一月の終わりであるにも関わらず手水から列が続いており、がらんどうの湯島聖堂とは対象的に参拝客が大勢並んでいた。
堂内への参拝の列はさらに長く続いており、一定の人数をまとめて堂内に上げては次の客を呼ぶ様子はどこかのテーマパークに似ていた。堂前の賽銭箱に先輩と並ぶ。神田明神は色が華やかで社務所とは別に地下を含めた三階建ての土産物売り場がある。声が鳥のように頭の上を掠めていた。先輩の並んだ列はすいすい進む。私の並んだ列も同じペースで進む。けれども私の列はやがて止まってしまった。前を覗き見ると『モンスターハンター』に登場するロゴをプリントした布のショルダーバッグに柿色のコートを着た背の低い男が頭を下げて熱心に祈っていた。彼が祈る間左右の列の人はどんどんと進み、私の背中には怪訝な視線がじりじりと刺さっていく。彼は祈り続けていた。ショルダーバッグには『ラブライブ!』のキャラクターのストラップがぶら下がっており、内心少々呆れた。推しへの祈りがよほど強いのだろうか、正味三分ほど彼は頭を下げて祈ると、突然かくりと一礼して列を離れた。
幼さが多分に残る彼の頬には文字通り大粒の涙が流れていた。柿色のコートの下の学生服はあっという間に絵馬の並ぶ土産物の方に消えていき、私の前に並ぶ女性はパンパンと弾みよく柏手を鳴らしてきびきびとお祈りを済まして場所を空けた。とうにお参りを済ませた先輩も柿色のコートの行き先を見ることなく眼で追いかけている。私が参拝を済ませて頭を上げた頃には、境内に彼の姿はなかった。
堂内への参拝の列はさらに長く続いており、一定の人数をまとめて堂内に上げては次の客を呼ぶ様子はどこかのテーマパークに似ていた。堂前の賽銭箱に先輩と並ぶ。神田明神は色が華やかで社務所とは別に地下を含めた三階建ての土産物売り場がある。声が鳥のように頭の上を掠めていた。先輩の並んだ列はすいすい進む。私の並んだ列も同じペースで進む。けれども私の列はやがて止まってしまった。前を覗き見ると『モンスターハンター』に登場するロゴをプリントした布のショルダーバッグに柿色のコートを着た背の低い男が頭を下げて熱心に祈っていた。彼が祈る間左右の列の人はどんどんと進み、私の背中には怪訝な視線がじりじりと刺さっていく。彼は祈り続けていた。ショルダーバッグには『ラブライブ!』のキャラクターのストラップがぶら下がっており、内心少々呆れた。推しへの祈りがよほど強いのだろうか、正味三分ほど彼は頭を下げて祈ると、突然かくりと一礼して列を離れた。
幼さが多分に残る彼の頬には文字通り大粒の涙が流れていた。柿色のコートの下の学生服はあっという間に絵馬の並ぶ土産物の方に消えていき、私の前に並ぶ女性はパンパンと弾みよく柏手を鳴らしてきびきびとお祈りを済まして場所を空けた。とうにお参りを済ませた先輩も柿色のコートの行き先を見ることなく眼で追いかけている。私が参拝を済ませて頭を上げた頃には、境内に彼の姿はなかった。
知人から「遊んでほしい」と言われ、年末年始の緊張感の解消のために新しくゲーム機ごと今更のゲームを買った。今振り返れば他のことに使った方が良さそうな金だが、その時は気持ちの余裕もなく、手持ちのゲームは遊び尽くしてしまったので興味本位で手を出した。難易度は「オリジナル」を選択した。
本作は1993年に発売されたスーパーファミコンの『ロマンシングサガ2』をフルリメイクした作品で、帝国の皇帝となり自身の技術を後継しながら凶悪な七体のボスモンスターを倒すのが目的だ。原作の基本システムを踏襲しつつ「アビリティ」や「連携」という新しい要素が追加されている。グラフィックは3Dとなり、ダンジョンの探索にはジャンプや視点の移動の要素が追加された。最初の難易度は「カジュアル」「ノーマル」「オリジナル」の三種類で、特定の条件を満たすと「ベリーハード」「ロマンシング」の難易度が追加される。ゲーム上の説明では「オリジナル」は原作の難易度を再現したものと書かれているが、先の新システムの導入により原作とは主に戦闘のバランスが大きく変化しているため、原作をプレイした知人からは実質「ノーマル」が本来の難易度に近いと聞いた。「オリジナル」を選んだのは興味本位だ。飽きてしまうかもしれないと感じたためだ。
実際プレイした所、自分のプレイングが悪いとはいえ想像や言われているよりも自由度は低めだと感じた。まずチュートリアルが「オリジナル」の場合は非常に長く感じられる。本作ではドラクエなどの「とくぎ」に該当する「技」の習得が非常に重要な鍵となるが、習得した技を登録していつでも使えるようにできる施設の開放にはボス戦を最低三回こなさなければならない。さらに使えるユニットを増やす為には追加でボスを一体倒さなければならないのだが、これがまたやたら手強い。まだゲームのお作法に慣れていない私は早速難易度の洗礼を浴びて実質初代皇帝を戦死させてしまった。当然ながら覚えた技は泡と消え、仲間は激しく傷つき、ほぼ一からの再スタートとなってしまった。
『俺の屍を超えてゆけ』は似たような状況になっても地道に稼げばいくらでも取り返しは利くが、本作は戦闘回数を重ねれば重ねるほど敵が強くなるので、安易な再スタートは詰みのもととなりかねない。かといって戦死を重ねてもユニットの補充に限界があるため、何度かリトライを繰り返して次の皇帝で撃破した。こんな調子でボス戦はほぼ毎回死んで覚えることが多い上、地方によって敵の強さが変わるため、気まぐれに各地を探索した結果大惨事に陥ったことは枚挙に暇が無い。またイベントも制限時間が設けられているため、これも安易にいろいろなイベントをクリアしてしまうと肝心のイベントを取り逃してしまうこともある。それを踏まえると攻略ルートはかなりきっちり考えなければならない上、「オリジナル」の場合は敵の強さの振れ幅が極端なので、安牌を取ろうとすると必然的にルートが絞られてしまう。そしてミスは許されない。
どんなゲームでも効率を求めれば最適解の末にルートは固定されざるを得ないが、取りあえず自分の場合は『風来のシレン』や『俺の屍を超えてゆけ』のように、失敗からの挽回や立て直しを楽しんできたフシがあるため、全てを成功させなければいけない『ロマンシングサガ2』とは若干相性が悪いのかもしれない。ゲームは一切悪くはない。
本作は1993年に発売されたスーパーファミコンの『ロマンシングサガ2』をフルリメイクした作品で、帝国の皇帝となり自身の技術を後継しながら凶悪な七体のボスモンスターを倒すのが目的だ。原作の基本システムを踏襲しつつ「アビリティ」や「連携」という新しい要素が追加されている。グラフィックは3Dとなり、ダンジョンの探索にはジャンプや視点の移動の要素が追加された。最初の難易度は「カジュアル」「ノーマル」「オリジナル」の三種類で、特定の条件を満たすと「ベリーハード」「ロマンシング」の難易度が追加される。ゲーム上の説明では「オリジナル」は原作の難易度を再現したものと書かれているが、先の新システムの導入により原作とは主に戦闘のバランスが大きく変化しているため、原作をプレイした知人からは実質「ノーマル」が本来の難易度に近いと聞いた。「オリジナル」を選んだのは興味本位だ。飽きてしまうかもしれないと感じたためだ。
実際プレイした所、自分のプレイングが悪いとはいえ想像や言われているよりも自由度は低めだと感じた。まずチュートリアルが「オリジナル」の場合は非常に長く感じられる。本作ではドラクエなどの「とくぎ」に該当する「技」の習得が非常に重要な鍵となるが、習得した技を登録していつでも使えるようにできる施設の開放にはボス戦を最低三回こなさなければならない。さらに使えるユニットを増やす為には追加でボスを一体倒さなければならないのだが、これがまたやたら手強い。まだゲームのお作法に慣れていない私は早速難易度の洗礼を浴びて実質初代皇帝を戦死させてしまった。当然ながら覚えた技は泡と消え、仲間は激しく傷つき、ほぼ一からの再スタートとなってしまった。
『俺の屍を超えてゆけ』は似たような状況になっても地道に稼げばいくらでも取り返しは利くが、本作は戦闘回数を重ねれば重ねるほど敵が強くなるので、安易な再スタートは詰みのもととなりかねない。かといって戦死を重ねてもユニットの補充に限界があるため、何度かリトライを繰り返して次の皇帝で撃破した。こんな調子でボス戦はほぼ毎回死んで覚えることが多い上、地方によって敵の強さが変わるため、気まぐれに各地を探索した結果大惨事に陥ったことは枚挙に暇が無い。またイベントも制限時間が設けられているため、これも安易にいろいろなイベントをクリアしてしまうと肝心のイベントを取り逃してしまうこともある。それを踏まえると攻略ルートはかなりきっちり考えなければならない上、「オリジナル」の場合は敵の強さの振れ幅が極端なので、安牌を取ろうとすると必然的にルートが絞られてしまう。そしてミスは許されない。
どんなゲームでも効率を求めれば最適解の末にルートは固定されざるを得ないが、取りあえず自分の場合は『風来のシレン』や『俺の屍を超えてゆけ』のように、失敗からの挽回や立て直しを楽しんできたフシがあるため、全てを成功させなければいけない『ロマンシングサガ2』とは若干相性が悪いのかもしれない。ゲームは一切悪くはない。
年明け前に駐車場へ滑り込んだ。角の街灯の下でダウンジャケットに身を包んだ四人連れがにこにこ笑いながらタバコを吹かしているのを見て弟が眉を顰めた。「路上喫煙禁止だって知らねえのかよ」「さあどうだろうね。知らないんじゃないのかな」「んなわけねえだろ」車の窓は閉じていた。彼等が何を待っていたのかはわからない。近くの焼き肉屋はまだ光が灯っていたが、終業は二十三時だった。とうに過ぎている。今年も空から星の光が突き刺すように輝いていた。深夜の頂点の今時分が好きだった。かつては境内で火を焚き、一年それぞれの家庭を守って役目を果たしたお札や破魔矢を空へ帰していった。それが無くなってこれからもう五年になるというのに、参拝の列へ並ぶとふっと境内の暗みに眼を向けてしまう。火が焚かれて木々がはぜる音の幻が聞こえる。思い出の中から反響する音は頭の中にこだまして殷々と眠りかけの頭を揺り起こす。新年が訪れるまであと二〇分ほどだった。除夜の鐘が響く。気にせずごんごんと鳴らしてほしい。音が列に沿って煩悩を吹き上げていく。それを迎え入れる空は雲一つ無く開かれている。この時間だけは唯一忙しない年末年始の中で沈黙と落ち着きを感じる時間だ。本殿が開きご神体が御簾の影から姿を覗かせている。神職が祝詞をあげて同じ灰色のダウンジャケットを着た四人の壮年の男が頭を下げている。いつの間にか年が明けた。ハッピーニューイヤーと列のあちこちから声が聞こえる。ふと振り返ると列は随分と伸びて鳥居の外まで続き、蛇のようにもぞもぞと前へ詰めようと蠢いていた。明るい拝殿へ飲み込まれるように人の列が動き出した。「何をお祈りしようかな」「今年もいい年であるように、とか、他に何かあるかな」とすぐ後ろの女性二人が高く声を上げている。私と弟はとりとめのないパソコン新調の話をしながら前へ進み、参拝を済ませて社務所へと向かっていった。
本年が無事迎えられましたことをまずは感謝いたします。去年の今頃何が起きたか、何が起きてしまったか、一年過ぎてもまだ記憶に新しく残るのではないでしょうか。「それでも」と私たちは書かざるを得ません。死ぬまで生きることしかできません。年を取ると共にそれがいかに苦しみに満ちた道であるかを知る人も居れば、苦しみを知らずに楽しめる人、苦しみを知りながらも楽しみを足りる人、生き方はそう定められてはいないのかもしれません。
徒然と書きましたが本年もこのような調子で改めてお願い申し上げます。そろそろ二十年選手が見えて参りましたが、プラットフォームがなくならない限りはここで書くと言うことは止めないでいようと思います。
本年が無事迎えられましたことをまずは感謝いたします。去年の今頃何が起きたか、何が起きてしまったか、一年過ぎてもまだ記憶に新しく残るのではないでしょうか。「それでも」と私たちは書かざるを得ません。死ぬまで生きることしかできません。年を取ると共にそれがいかに苦しみに満ちた道であるかを知る人も居れば、苦しみを知らずに楽しめる人、苦しみを知りながらも楽しみを足りる人、生き方はそう定められてはいないのかもしれません。
徒然と書きましたが本年もこのような調子で改めてお願い申し上げます。そろそろ二十年選手が見えて参りましたが、プラットフォームがなくならない限りはここで書くと言うことは止めないでいようと思います。
今年もひるねが長かった。会社と同じ時刻に起きて、気分がずんと落ち込んだ鬱を言い訳にしようと考え二度寝して二度寝を止め、着替えて準備していた掃除道具を手に取る。脚立を上り下りして作業。背が届かないのでどうしても脚立との共同作業となる。運動不足の身体にはどんどんと堪える。バケツに溜めたぬるま湯はあっという間に冷えるが、去年の寒さに比べれば全然ましであった。今年は通年の平均最高気温を更新したらしい。確かに朝も突き刺さるような寒さとは無縁で、通勤の通り道の公園の土を踏んでも霜柱の高さは低く、風も冷たくはない。髪が邪魔だった。
弟がガレージで車を洗っていたので、この掃除が終われば一番大変な
玄関掃除を手伝ってもらえるだろうかと薄ら期待していたが、最後の掃除に移る頃には車ごと姿を消していた。昼頃には戻ってきていたがどこへ行ったのかを訊ねるのも面倒になるほど疲れていた。玄関掃除は一人でやりたくない理由は、玄関扉を大きく開けなければならず、昨今の時勢柄少しでも眼を離したら誰かが入ってきそうなのがただ恐ろしく、人がもう一人居てくれれば安心になるのだが、肝心の労働力は消えてしまった。仕方ないので、少しでも休んだらもうそのまま動かなくなりそうであったので、左半身をきしませながら玄関の土間にあるものを外へ出していった。今年は出かける人はおらず文句も無かった。デッキブラシでこすっても取れない汚れが増えていく。自分の人生と同じように増えた取れない汚れをこすって水を流すとまあまあ見栄えはましになった。泥靴の靴跡が往復する。あまりにもホースの水圧が低いのでホースは全て出してしまった。途中で酷く折れて水圧が減っていたようで、ホースを全て出してしまうとまともな水圧に戻り、水圧でだいたいを掃除して水洗いを終え、あとは腰を溜めてデッキブラシにもたれかかるように力を込めてこするだけだった。雑巾で玄関のドアを拭き終えるとやっとこさ掃除が終わる。たった三時間だが左半身がひび割れたように疲れていた。毎日はできない。毎年一度だから何とか責任感でできるだけだ。いつまでも続けなければならない。いつまで続けられるだろうか。歳を重ねていく。私たちは老人になりつつある。
休んでいると弟が帰ってきた。母と姿を間違えて声をかけると野太い声が返ってきたので身をはね起こすと、昨日母が仕込んでいた唐揚げ用の肉を冷蔵庫から取り出そうと難儀していた。「おかえり」「ただいま」これくらいの距離が年齢の適切なのだと思う。
本年も一年お付き合いいただきましてありがとうございました。こちらでは時事について書くことは慎んでおりましたが、毎月のように国や世界が変わりかねないニュースが飛び交うとても忙しない年であったと思います。来年もまた早々にアメリカ大統領の交代という大きな転換が訪れますが、国に絶望せず個人に埋没しすぎず、己を尽くすことが人にできることではないかと思わされた次第でした。
とうとう二十年近くここに居座っておりますが、また来年も年を積み重ねるため、何卒よろしくお願い申し上げます。よいお年をお迎えください。
弟がガレージで車を洗っていたので、この掃除が終われば一番大変な
玄関掃除を手伝ってもらえるだろうかと薄ら期待していたが、最後の掃除に移る頃には車ごと姿を消していた。昼頃には戻ってきていたがどこへ行ったのかを訊ねるのも面倒になるほど疲れていた。玄関掃除は一人でやりたくない理由は、玄関扉を大きく開けなければならず、昨今の時勢柄少しでも眼を離したら誰かが入ってきそうなのがただ恐ろしく、人がもう一人居てくれれば安心になるのだが、肝心の労働力は消えてしまった。仕方ないので、少しでも休んだらもうそのまま動かなくなりそうであったので、左半身をきしませながら玄関の土間にあるものを外へ出していった。今年は出かける人はおらず文句も無かった。デッキブラシでこすっても取れない汚れが増えていく。自分の人生と同じように増えた取れない汚れをこすって水を流すとまあまあ見栄えはましになった。泥靴の靴跡が往復する。あまりにもホースの水圧が低いのでホースは全て出してしまった。途中で酷く折れて水圧が減っていたようで、ホースを全て出してしまうとまともな水圧に戻り、水圧でだいたいを掃除して水洗いを終え、あとは腰を溜めてデッキブラシにもたれかかるように力を込めてこするだけだった。雑巾で玄関のドアを拭き終えるとやっとこさ掃除が終わる。たった三時間だが左半身がひび割れたように疲れていた。毎日はできない。毎年一度だから何とか責任感でできるだけだ。いつまでも続けなければならない。いつまで続けられるだろうか。歳を重ねていく。私たちは老人になりつつある。
休んでいると弟が帰ってきた。母と姿を間違えて声をかけると野太い声が返ってきたので身をはね起こすと、昨日母が仕込んでいた唐揚げ用の肉を冷蔵庫から取り出そうと難儀していた。「おかえり」「ただいま」これくらいの距離が年齢の適切なのだと思う。
本年も一年お付き合いいただきましてありがとうございました。こちらでは時事について書くことは慎んでおりましたが、毎月のように国や世界が変わりかねないニュースが飛び交うとても忙しない年であったと思います。来年もまた早々にアメリカ大統領の交代という大きな転換が訪れますが、国に絶望せず個人に埋没しすぎず、己を尽くすことが人にできることではないかと思わされた次第でした。
とうとう二十年近くここに居座っておりますが、また来年も年を積み重ねるため、何卒よろしくお願い申し上げます。よいお年をお迎えください。
放出台だった。会社の近くのゲームセンターは殆どが一回200円であったことを踏まえると一回100円の台は当然ながら放出台と見るべきで、かといって以前随分前の景品を2000円きっかりの確立機で掴まされた覚えもあり、放出台といえどもクレーンゲームの筐体の設定は店側の良心にかかっている。繁華街のゲームセンターだった。隣ではのび太とスネ夫を足して二で割らないような小柄な男に、ジャイアンを小粒にしたような男が「次失敗したら殺すぞ」と脅しをかけていた。若い二人連れだった。「こつがあるんだよ。おまえは全然できねえな」と筐体の横から景品を覗き見ながらも指示はせず、どこにアームを入れるか考えているようだった。隣で私は引きずられるようにゲームを遊んでいた。珍しくきちんと動く橋渡しの台で、景品は今年頭に流行ったアニメの主人公だった。知人が好きなので取っても無駄にならない。隣ではジャイアンとのび太が両替をするか店員を呼ぶか迷っていた。QRコードを読み込めば店員が来ることを教えたが、ジャイアンは短気にも私が来る前に助言を受けた店員を探しに筐体の光が眩しい店内へと消えていった所だった。
「そんな便利な機能があるんですね」
「すぐ来てくれますよ」
ジャイアンが戻ってきたので私はゲームに戻る。起き上がりこぼしのように安定しない景品だった。店員を呼んでもきりがない。しばらくゲームから遠ざかっていた事もあり、ゆっくり遊びたかったが如何せん一回が重なればそれなりに高い。気がつけば四千円ほどすっていた。のび太はジャイアンの手助けで無事景品を手に入れ、ジャイアンは続けざまに店員を呼んで新しい景品を置かせると「1000円で取るから」とゲームに挑み始めた。私はまだ取れなかった。
またジャイアンが両替に行くとのび太は筐体の前に回って動かし方を考え始めた。
「上手い方なんですね」
「はい、うまいです。ほんと・・・」
「私なんか下手すぎて殺されるかも知れませんね」
「いやあ、ほんとにうまいので、僕も殺されそうです」
のび太は見かけによらず物怖じしないのか、マスクをかけたワンレングスが静電気で派手に散らかっている様態の女から声をかけられても平然と返事をした。ジャイアンが戻ってきたので口をつぐむ。彼は確かにうまかったが、結局2000円ほど巻き上げられて「すぐ転売するぞ」と捨て台詞を吐いて去っていった。
「そんな便利な機能があるんですね」
「すぐ来てくれますよ」
ジャイアンが戻ってきたので私はゲームに戻る。起き上がりこぼしのように安定しない景品だった。店員を呼んでもきりがない。しばらくゲームから遠ざかっていた事もあり、ゆっくり遊びたかったが如何せん一回が重なればそれなりに高い。気がつけば四千円ほどすっていた。のび太はジャイアンの手助けで無事景品を手に入れ、ジャイアンは続けざまに店員を呼んで新しい景品を置かせると「1000円で取るから」とゲームに挑み始めた。私はまだ取れなかった。
またジャイアンが両替に行くとのび太は筐体の前に回って動かし方を考え始めた。
「上手い方なんですね」
「はい、うまいです。ほんと・・・」
「私なんか下手すぎて殺されるかも知れませんね」
「いやあ、ほんとにうまいので、僕も殺されそうです」
のび太は見かけによらず物怖じしないのか、マスクをかけたワンレングスが静電気で派手に散らかっている様態の女から声をかけられても平然と返事をした。ジャイアンが戻ってきたので口をつぐむ。彼は確かにうまかったが、結局2000円ほど巻き上げられて「すぐ転売するぞ」と捨て台詞を吐いて去っていった。
何をしに遠くへ行くのだと訊ねられた時の答えは相手に応じて変えている。そう親しくもない人には「遊びに」と応じ、ついでにお勧めの店や場所を教えてもらう。親しい人には「会いたい人に会いに」と伝える。納得してもらえることもあればしてもらえないこともある。相手にも私にも与えられた時間は平等でスタート地点が異なるだけだ。その日一日の時間の割り当てを私の為に少し割いてもらう。そのためには何かしらの代償を払うことは礼儀として当然ではないだろうか。実際それを売り物にするしょうばいも紀元前から存在している。私はその場所に取っては一過性のお客様なので、喋ってもよい。好きなことを適度に(これが難しい)話してもよい。ただし口に出して声に乗せて喋るので取り返しはきかない。人によっては打ち消せない。そこまで疑り深い人とは向こうの方から離れていくので遭遇したことは幸いにない。家族以外の人に会う時に抜ける息は年年増えるばかりだ。どれだけ身体の中に呼吸をため込んでいたのかと呆れるほど外へ出た私は喋る。どもりながら喋る。喋ることが無くなっても相手の時間をねだるほど喋りたがる。今日も忙しい相手を捕まえて三〇分もらった。いただいた。
メールやSNSなど文章を使うほうが楽ではあるのだが、書けば書くほど身体の中に余計な物が溜まっていく感覚を覚えることもある。それは相手に対してではなく、自分自身で文章を推敲するために繰り返している最中自分に向けられる視点が放り投げる夾雑物だ。伝えるための文章は伝わらなければならない。伝わりたいことを絞って伝わるように書く。当然のように求められる能力だが難しいと思う。伝えたいことと伝えなければならないことの分量に生じる差を自覚するには慣れと賢さと、それから親切な相手が必要だ。
今のところまだそれを指摘してくれる相手はいる。できる限り無くしたくないと思う。忘れられないように顔を見せに、どう見られるかは構わずに会いに行くそれはおそらくストーカーの心理に近いのかもしれない。昔はもう少しマシな言葉があったはずだが、今は古びてしまった。
メールやSNSなど文章を使うほうが楽ではあるのだが、書けば書くほど身体の中に余計な物が溜まっていく感覚を覚えることもある。それは相手に対してではなく、自分自身で文章を推敲するために繰り返している最中自分に向けられる視点が放り投げる夾雑物だ。伝えるための文章は伝わらなければならない。伝わりたいことを絞って伝わるように書く。当然のように求められる能力だが難しいと思う。伝えたいことと伝えなければならないことの分量に生じる差を自覚するには慣れと賢さと、それから親切な相手が必要だ。
今のところまだそれを指摘してくれる相手はいる。できる限り無くしたくないと思う。忘れられないように顔を見せに、どう見られるかは構わずに会いに行くそれはおそらくストーカーの心理に近いのかもしれない。昔はもう少しマシな言葉があったはずだが、今は古びてしまった。
恩師が亡くなってふた月を経て同窓生と集まった。年齢こそ皆近いが年次は微妙に異なり、冷静に数えると私が一番上だった。先日の氷雨に打たれてひいた風邪が治りきらないと幹事に伝えると、日付が変わる直前に「レンタル会議室を押さえました」と手早い仕事が返ってきた。ありがたかった。皆姿は若々しく変わらない。変わったのは私くらいだ。それでも、変わらないと思っている彼等の隣へ若いときの写真を並べると、姿形以上に重ねた年月と経験が被さっていることが分かる。その雰囲気だけは成長していないだろう私は変わらないと思う。もっと卑屈になっているか、もっと鬱々としているか、いずれにしても私は私の重要な部分を変える努力を怠っているのだろうと皆と並びながら常に引け目に思い続けている。
恩師といえども私の場合は遠目から眺めて思い入れを強めていた程度で、皆のように先生へ直談判したり、食事に誘って頂いたり、人生の行く先を心配されるほど近くで喋ったことはなかった。無かったと思いたいのかもしれない。友人たちの間に自分がいて良いものか、変わりすぎた自分の姿を誰も触れないし攻撃しない、かといって気にしてはいるがそれを隠しているといったこともなく、自分だけが疑い深くて厭になる。独りだけ来なかった。彼は手紙だけを渡していた。訃報直後に書かれたその文章は意図的に句点をなくした詩のように激したリズムが流れていた。悲しさや悔しさや動揺、狼狽、表情は見せたくないが感情を共有したいといういいとこ取りのずるい彼らしいやり方だった。
今日私はさよならをした。側で流れている言葉たちがさよならを告げていた。
恩師といえども私の場合は遠目から眺めて思い入れを強めていた程度で、皆のように先生へ直談判したり、食事に誘って頂いたり、人生の行く先を心配されるほど近くで喋ったことはなかった。無かったと思いたいのかもしれない。友人たちの間に自分がいて良いものか、変わりすぎた自分の姿を誰も触れないし攻撃しない、かといって気にしてはいるがそれを隠しているといったこともなく、自分だけが疑い深くて厭になる。独りだけ来なかった。彼は手紙だけを渡していた。訃報直後に書かれたその文章は意図的に句点をなくした詩のように激したリズムが流れていた。悲しさや悔しさや動揺、狼狽、表情は見せたくないが感情を共有したいといういいとこ取りのずるい彼らしいやり方だった。
今日私はさよならをした。側で流れている言葉たちがさよならを告げていた。
世間がロマンシングサガ2をプレイしている中でこつこつと『九日~Nine Sols~』を遊んでいる。最近のパッチで対応言語が増え、本作が世界中に広がりつつあることは素直に喜ばしい。けれども日本では相変わらずプレイヤーは少ないことを勿体なく思う。アドベンチャーゲームからアクションゲームへの方針転換のための気遣いを行き届かせる一方で、習熟すればするほど装備品による細かなアクションの変化を楽しめるようになる。たとえば「速落玉」という装飾品をセットすると空中で下キーを押して素早く着地できるようになる。装飾品はセットできる数に限りがあるので、アクションを増やして行動の選択肢を増やすか、既にあるアクションを強化するかの戦略が重要となる。何に使うのか分からなかったり使いづらい装飾品でも相手を選べば途端に大化けするものもある。そして便利な装飾品ほど手に入れやすい。この辺りもアクション初心者が諦めないように作られている心遣いを覚える。一番最初に手に入れられる「金縛り玉」には誰もがお世話になるだろう。効果は「お札を貼った敵の動きを一瞬止める」という強力なもので、敵から連続攻撃を受ける頻度を減らすことが出来る。またアクションに不慣れなうちは飛び道具の弾き判定を緩める「跳返し玉」も有効だ。とりあえず装備しておけばざっくりした操作でも事故を減らせるのはありがたい上に、拠点でいつでも購入することができる。困ったら拠点を覗けば種類は限られるが使いやすい打開アイテムが売られているので、序盤は拠点のアイテムを集めるようにプレイすると遊びやすいかもしれない。勿論道中をくまなく探索したり、特定の場所に出現する商人が売るアイテムの購入を目指してもよい。ただしやられると集めたお金はパアになるので注意は必要だが、これもお金を集めやすくなるアイテムを装備して敵を倒せばレベルアップも兼ねられて一石二鳥となる。けれども戦っても上げられるのはスキルの種類のみなので、最大体力を増やすにはまた別の方法が必要となる。ついでに本作には防御力を上げるという甘えはないので、どんなに強化しても食らうダメージは変わらない。「弾き」に成功すればダメージを受けることはないためだ。やはりこの辺りもバランス感覚の良さを覚える。周回を重ねて終わりが見えるほどに次はどのようなルートでクリアしようか、何を使おうかで頭がいっぱいになる。気がつくと冒険を中断してやり直している。ラスボスの顔を拝んだ回数がそんなに無いことに気付いたのはついこの頃のことだった。