えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・爪弾く指もと (ルパン三世・THE JAZZ 「大野雄二(piano)トリオ」)

2015年05月09日 | コラム
 指先まで見られるほど近くで音楽を聴く機会があるといつの間にか視線は演者の手元に向かっている。歌を聴く時は別だが歌のない音楽を聴きながら観る日は楽器を使う手もとを自然と眺めている。学生の頃ほんの一月所属していた吹奏楽部の先輩から習い覚えた運針のようなボタンを押す指使いや、手の大きさと握力のなさに諦めたギターの硬い弦をコードという和音に従って弦を押し続ける手指とは雲泥の差、玄人のそれはレメディオス・バロの絵のように指が楽器へ溶け込み人が演奏を能動的にしているのか楽器が自動的に鳴っているのか分からなくなる。

 三十分開始時間を間違えて到着した新宿JAZZ-SPOTでジンビームをちまちま口に運びながら並べられた楽器を見ていた。左端に据え付けられたグランドピアノの脇にアコースティックベースが電球でえんじ色に艶々と光りながら横たわり、その右手には真珠色のドラムセットが客と同じく黙って演奏を待っていた。入り口近くのカウンター沿いに設えた楽屋代わりの席で今夜の演者が笑顔を交えながら何事か話し合っている。大野雄二率いるピアノ、ベース、ドラムのトリオのうち、まだ大野雄二だけが来ていない。仕事のリズムがどのようなものであるかはわからないが、彼が最も遅く、開始時間のぎりぎりにふいっと客の会社員のような出で立ち(もちろん着崩れてはおらず着こなしは粋)で姿を現すとしばらくしてライブが始まるということだけはわかっていた。

 その大野雄二が酒の入った客の座る狭い席をすいすいと通り抜けてピアノの椅子に腰かける。軽い音合わせの後、特に際立ったサインもなしに曲が始まった。曲名の紹介やトークは一切無く、一曲終えたら息継ぎをしてすぐ次へと、休憩までが一曲のように音楽が流れ作られてゆく。「たぶん『ムーン・リバー』では」と当て推量をしているといつの間にか三味線のようにベースがバチンバチンと弾かれていたり、掌で叩きつけるように鍵盤が鳴り響いていたり、木の撥がシンバルを支える棒を小刻みにカツカツと小突いていたりするので耳は当然目も休む暇がない。

 席からはベースの井上陽介の佇まいが良く見えた。大野雄二のピアノが口説き文句で江藤良人のドラムが誘い文句ならばベースは既に恋人となった相手への語りかけのような音だった。なめらかなインクの筆遣いのように留まることなく両手が指板を上下に這い回り音をはじき出す。小柄な女性ほどあろうかというアコースティックベースを目をつむりながら抱きかかえ羽織った黒いジャケットの裾が翻るほど、エンドピンを軸に直線的な踊りのステップを踏むようだった。長い指それぞれの関節が瞬間瞬間彫刻のように型を決めては譜面を進んでゆく。それでいて三つの楽器全ての音が合わさって耳に届けられる。

 取り換える譜面が無くなると大野雄二はマイクを取り二人を紹介した後、さっさと奥の楽屋席へ戻る。それが幕間の合図だった。その背中に続くともなしに二人は道具を片付け、客の間をかき分けながら奥へ去った。客席へざわめきが戻る。入り口の傍に並べられているCDを眺めながら歩いていると、テーブルを挟んで正面にCDのジャケットに映っている本人がいた。井上陽介だった。目が思い切り合った。彼は照れの混ざったような笑顔でぺこりと軽く頭を下げると屈託のない笑顔を浮かべて言った。

「買ってください」
 
 直球だった。

「買います」
 レジで三千円を支払い本人手ずからCDの封を解いてもらってジャケットへサインを頂戴し、握手をした右手は眺めていたものよりもほんの一回り小さいような気がした。

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