えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『BOX』 諸星大二郎 2017年10月 講談社

2017年10月28日 | コラム
全三巻の最終巻が発売された。総括として賑やかしの「キョウコ」という登場人物に頼ったような話の終え方だったものの、
絵という二次元を利用した仕掛けの進め方そのものはそれでちょうどよかったのかもしれない。
表題通り『BOX』は、唐突に出現した謎の箱に閉じ込められた主人公たちが、箱の提示するパズルを解いて脱出を目指すという
命のかかった『リアル脱出ゲーム』の物語で、登場人物はそれぞれに隠し事を抱えつつその隠し事に振り回される形で
一人ずつ箱に囚われてゆく。
そこへ登場するのが著者の小説『キョウコのキョウは恐怖の恐』が初出となるトリックスターの「キョウコ」で、
奔放ながら話に対しては親切に謎を一刀両断してゆく。彼女が登場するまでは箱に翻弄されていた主人公たちは、
著者も含めて彼女の発想に助けられ、謎を次々と破り箱の奥へ進んでゆく。

三巻は特に彼女が大半の謎を解きながら説明する場面が大半で、主人公達は解かれた謎から現れた選択肢をただ決定する
役割に徹してしまっている。主人公が箱に囚われる大きな理由となった問題が、重みを失ってしまう。
話の最後で箱が示す決断も重みが薄れてしまい、箱のナビゲータである少女とキョウコの一騎打ちに巻き込まれるという
様相で、少々勿体無さを覚えた。
「錯視」を組み込んだトリックを違和感なく書き上げる仕業は見事で、トリックを円滑に見せるためにキョウコという
便利なキャラクターに話を任せてしまったのは、トリックを描くか話で見せるかを選んだ結果なのだとは思う。

ただ、女性の目が美しくなくなった。見栄を切る場面がところどころにあるが、三巻でついに少女が正体を現す場面の
目は線こそ多重だがものは球体のようで、勢いや怖さはかけてしまっているように見えた。
絵として美しいのは二巻の、融合した老夫婦のカットで、穏やかに箱へ閉じ込めらることを選び半身が溶けあう老夫婦の
微笑みは彫像のように静かだ。『西遊妖猿伝』の人参果の樹の夫婦や、もっとたどれば『生物都市』の金属と人間の
境目を失った物の曖昧さと完全さは著者の線でなくては魅力的に見えない。

不法投棄のようにトリックを使い倒すさまは小気味よいものの、あっさりとキョウコが暴力的に解いてしまうおかげで
後から思い返してようやく良さに気づくといった具合、話のテンポは丁度良いものの、どうにも語るに歯切れがよくない
一作ではないかと思う次第だ。
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・隣席スケッチ

2017年10月14日 | コラム
「三年になったらクラス替えないよ」と高校二年生の娘さん二人がスターバックスの丸テーブルを間に挟んで喋っていた。「テヅカ」という、後ろ髪をひとまとめにした自称「コミュ障」の娘と、彼女が親友と呼ぶ娘が向かい合って座っている。「こっこ」と「テヅカ」は呼んで机の下の彼女の手を取り、机の上に置きなおしてつないでいた手を覆いかぶさるように重ねた。左手同士が娘らしいふくよかな指を以て重なっている。「テヅカ」はさかんに「ひとり」を「こっこ」に理解してもらおうと早口にまくしたてる。親兄弟が邪魔で家は場として「愛している」のだ、と「テヅカ」は言った。肩口まで伸ばした下ろし髪の「こっこ」は肯きながら「今まで依存してきた人に次々連絡を取ったら」と優しくいった。「テヅカ」は一人暮らしをしたいらしい。(それはそうだろう)

「テヅカ」は枯れない早口で自分を語り続けているが自分をどうしたいかは捉えかねているようだった。「こっこ」もそれを適度に察しているようで、どうしたものかと頬に流れる髪を後ろにかきあげながら右足をぶらぶらさせている。彼女は親身だ。周りにいる人間へとりあえずいら立ちを覚えるという「テヅカ」へ、「こっこ」は言葉を変えながら何度も何度も彼女の側にいる、と言い続けている。

 神経質って親は言うんだけどさ、親だって神経質なんだよ。何かと、こう、指をくるくるさせるのね。あたしそれが嫌でしょうがないの。と「テヅカ」は両手の指を糸巻きのように回して見せていた。それから学校の誰それの話がまた繰り返される辺りで席を立ったので、空のプラスチックカップを挟み左手をまさぐりながら話し続けることばの行方はわからない。
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