えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

おもかげのほほえみ

2012年01月10日 | 雑記
 それは梅の花がほころぶような淡く暖かなほほえみをたたえていた。目頭から目じりにかけてふっくりと描かれた目、通った鼻梁にそれを支えるような小鼻、紅をさし鉄漿の派の先を覗かせてひらいた口のすべてがほほえむことに尽くされている。たおやかでいてそこはかとない落ち着きを保つ、体温のある面がそこにいた。

 幼さの残るふくよかな小面が年をとり、すっきりと痩せた年頃の姿が孫次郎の面ではないだろうか。三井記念美術館所蔵の孫次郎・オモカゲはそんな顔だちをしていた。この面が生まれたのは室町時代のころで、作者の孫次郎が先立たれた妻をしのんでその「面影」を映したといわれている。真実は確かではないけれども、面の裏へ書き入れた「ヲモカゲ」の四文字は確かに今へ伝わっている。

 能の流派によって同じ演目でも使われる面の種類が異なるが、『孫次郎』という種類は「井筒」「松風」「二人静」など、深く人を愛したことのある女がかつての恋をしのんで舞う演目も選ばれることを知った。人がつけて舞うことで、能面の表情はやっと息づいてくるけれども、恋を舞うにはオモカゲの面はあまりにもすがすがしく穏やかで、現された表情そのものが既に充ち足りている。

 だからこそ、舞でほんの垣間、見せなければいけない恋への執着がたいへんに怖ろしくうつくしいものとして面に映えるのかもしれない。ただそれは人あっての表情であり、この面がたたえている以上のものを現そうとする演者の難しさははかりしれない。昭和三十七年に重要文化財の指定を受け、今はガラスケース越しにしか会えないオモカゲの面は、ただただ純粋なほほえみを浮かべ続けてそこにある。
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最初の辰年

2012年01月01日 | 雑記
あけましたおめでとうございます。

このブログで拙文を読まれているみなさま、いつも同じ人なのかは存じませんがありがとうございます。

知っているひとはあらためて、知らない人ははじめまして、
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

毎年、宅では年が変わるとすぐに初詣にゆくのが恒例となっております。
父曰く、参拝客の多いときは不況のときだ、とのことですが、今年の初詣は昨年にくらべると倍近くの列でした。
一方で列の進みは早く、30分そこらで参拝することができました。

毎年手を合わせるたびに一瞬沈黙。何を祈ったか願ったかは誰もなにも言いません。
願いの仕方はそれぞれです。かけたり誓ったりすがったり。
ただ手を合わせて頭を下げることで、なんとなく慎み深い気分になります。

手を合わせたあと、昨年友人から聞いた宗教を学ぶことと、信仰することはちょっと違うよな、
と帰りの車の中で思ったことを書こうと思いましたが、思うだけにしとこうと思います。とりあえず。

めんどうなことはあとあと、今日はお正月です。

晴れ着を着て、うかれて、それで十分です。みなさまもどうか楽しまれますよう。



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