えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:第九回日経能楽鑑賞会 狂言「清水座頭」 シテ 野村萬 2015年6月4日  国立能楽堂

2015年06月13日 | コラム
・酒と仕草と男と女
 幕の奥から杖が床を叩く音がした。鼠色の装束に白髪の老人――アドの野村万蔵の山吹色の帯の腰元までしかない背が杖で足取りを作りながら舞台中央へ足早に歩いてゆく。シテの野村萬の座頭はなんとなく人の良い金貸しを生業にしていそうだった。

 男女二人の盲のすれ違いを笑いの軸に据える「清水座頭」はたった二人の舞台だ。京都の清水寺へ縁結びに参詣へ訪れた若い瞽女と壮年の座頭が夢のお告げのままに結ばれる、ちょっとした恋愛譚である。野村萬演じる座頭は盲の実を嘆きながらも「二世代に渡り盲は遺伝しないだろうから、目明きの子どもに老後の面倒を見てもらうためにもお嫁さんをもらって子どもを設けたいものだ」とのたまい、いざ観音様のお告げで妻となる女が待つ場所を知らされても「人違いだと恥ずかしいから向こうから声をかけてくれないかなあ」と嘯く世帯じみた図々しさが憎めない。

 そして当然のように酒が登場する。袴に吊り下げた朱色のひもの瓢箪を両手に持ち、床に広げた金の扇へ「どぶ、どぶ、どぶ」と、見えないどぶろくを一杯に注ぐ。いざ酒を注がれた扇から酒を飲み干すにあたって、手つきこそ指を揃えた整った所作であるものの飲み干すごとに力強く跳ね上がる両肘のテンポで飲む酒は大変に幸せそうで酒が欲しくなる。ワキ座のアドは女らしく扇を縦にして傾け方も水のようについと滑らかな色っぽい飲み方で、これも喉が渇いて仕方ない。酒に酔った放埓な調子で歌う平家物語も多分こちらの聞き間違いだとは思うが「踵に毛が生えて」などところどころに妙な歌詞が混じるもので、少し間違えば下品に落ちそうな仕草を野村萬はさっぱりと演ってのける。大いに清々しい。

 結ばれることが分かった最後、アドの瞽女の手首を取り多少前に重心をかけ、一歩に重みを与えつつ舞台中央へ歩く姿は男らしく、また妻を披露する男の胸を張った気恥ずかしさと披露される妻の慎ましやかな足取りを以て終わる。演者の年の差を意識するこちらが恥ずかしくなるような、いい男ぶりだった。

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