えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・日差しだけのぬくもり

2021年01月31日 | コラム
 新しい緊急事態宣言のあと、気が抜けたように雨が降り雪がちらついた。部屋の中ですら指がかじかむ寒さに外へ出る気は失せている。一方で普段着込んでいる半纏は外の湿気へ鋭敏に反応し、毎日着るごとに誰かを肩に背負っているかのように重くなった。予報が外れたので窓を開けて掃除機をかけるついでに半纏をハンガーにかけて表に出す。薄く粉をはいたかのような水色の空から明るい光が降っていた。山椒の木や金柑の木の真緑が金色に光っている。電車には乗れない。駅へも行けない。人は歩いている。
 半纏を干とため息のように物干し竿がたわんだように見えた。そうそう華奢ではないので多少湿気を吸った半纏ひとつでどうにかなるほどのものではないが、毎日羽織っていた私から蒸散するあれやこれやを吐き出すかのように半纏はぶら下がっていた。掃除機をかけている間も陽の光は曇ることなく射し続けている。明るい午後で、明るいからこそ外に出られないという半ばの善意と諦めが日に日に目も頭も曇らせる。また喫茶店が閉店した。
 近所のチェーンの喫茶店の駐車場には車がみっちりと詰まり、店内はキャンペーンのおかげか子連れで賑わっている。入り口のドア越しに見た斜向かいには席待ちの塊が座っていた。諦めて帰宅する。帰宅する椅子は仕事と変わらない。手を洗うと冷たい水で指がしびれた。街にも店にも設置されているアルコールよりも手は指先から皺くちゃに乾き、それでいて朝しぼった雑巾はまだ乾いていないほど部屋には見えない水が滞留していた。
 日が陰った。窓を開けて半纏を取り込む。外の冷気よりもふんだんに光を吸った半纏は柔らかに温まっていた。
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・没収されることば

2021年01月16日 | コラム
 放送禁止用語のことではない。電源を入れたときに「更新をインストール中です」と不穏なメッセージを出したのちに日本語の入力を受け付けなくなった道具の話である。

 パソコントラブルに見舞われた人のほぼ全員が言うだろう「自分は何もしていない」を信じ込むには心が擦れっ枯らしてしまった身の上が振り返っても覚えがなかった。唯一それらしき原因はWindowsが自動的に行なった「更新」だが、更新内容を元に戻したところで気がついたときに再度インストールされている可能性を考えてやめた。何度「半角/全角」のキーを押そうが、「カナ/かな」キーを押そうが、「変換」「無変換」キーを殴ろうが、キーボードの入力を画面は受け付けず半角英字だけを執拗に表示し続ける。同様の現象に見舞われた被害者たちの戦いの記録を当てにして検索した方法を試してもメモ帳を開いて恐る恐る叩いた母音のキーは無慈悲に「あ」ではなく「a」を表示し続ける。「つい先日まで何もなかった」PCの体たらくがこれだ。

 思い返さずともGAFAにMicrosoftを足した世界の中で、パソコンへ日本語をタイプする権利というそれすらも彼らに握られていることはとどのつまりこういうことで、いつ何時気まぐれでローマ字から日本語へ変換する機能が失われたとしてもおかしくはないのだ。おかしくはないとはいえ、レジストリの怪しい値の削除から言語の基本設定の見直し、キーボードの配置設定から日本語IMEの再インストールを試みてまで四時間の格闘の挙げ句におっかなびっくり押したキーから表示される「a」は、本格的に言葉が奪われたときの日本語の現実を突きつけるものだと再確認させられる。なお、そう簡単に直らない場合のパソコントラブルの対処法としてレジストリの操作はありふれた手段の一つとして紹介されているが、レジストリに保管されているファイルはどの記事でも必ず赤字と太字で注意されている通りOSの起動に関わる部分なので、パソコンを物理的にもソフト的にもOS的にも壊すことに慣れていなければ素直に修理を頼むほうが懸命だ。

 最終的に私のパソコンはGoogleの提供するIMEをインストールすることで日本語の入力を取り戻したが、支配者がちょっと変わっただけでいち企業に日本語の入力権利が握られていることに変わりはない。幸いGoogleのIMEのインストールは公式サイトからダウンロードできるドライバを使用すれば簡単にインストールできるので、同じ症状にお悩みの方は試してみてはいかがだろうか。いつかまた来るだろうWindowsの「更新」に邪魔されるまでは日本語入力を手元においておくことはできる。
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・朝方の歩調

2021年01月09日 | コラム
 掃き残された欅の落ち葉一枚を霜が縁どっている。自然と避けながら通る公園の芝生には霜柱が溶けかけて残っていた。雪こそないが冬らしい朝で、近くの中学に通う学生が部活の道具や教科書の詰まった袋を下げて行違う。緊急事態宣言は出たが仕事に差し障りのある用事なので後ろめたく駅に向かう。まだ八時を過ぎたばかりの駅前には平日よりも気持ち少ない人が駅へ降りたり駅からバス停へと忙しく歩いたりと、既に一昨年のものとなりつつある「普段」の人出が戻っていた。誰もが服のようにマスクを身に着けている。自分の身なりを振り返るとマスクに加えてニット帽で髪を隠し、手袋も嵌めているので、あとは手提げに包丁でも隠していれば強盗が似合うだろうか。ろくに棚へ手の届かない体たらくの身長では格好がつかないが。
 駅のホームには少なくない人が快速の電車を待っていた。ここにいる学生服の大半は参考書やノートを丸めて睨みつけるように読んでいる。あとはスマートフォンへ稲穂のように頭を下げて、時々ポケットへ手を突っ込みながら電車を待ちわびていた。電車が窓を開けながら走るようになってからあと数か月で一年経つが、暖房のきつさに辟易していた身としてはこれはありがたい変化だった。特急電車と待ち合わせるとき、座っているとふくらはぎから下が氷水に浸されたように寒くなる時間が気持ち早くなる程度で、電車の扉が閉じると暖かい風が天井から勢いよく吹き付けてほっとする。席は埋まっていた。
 土曜日なので背広姿はない。向かいの席では灰色のパーカーの男が問題集を抱えてしきりと書き込みを加えていた。電車が止まるごとに人はどんどん増えて、それでも吊革一つ分は間隔のとれる人数の距離感が「らしい」と思った。目まぐるしく移ろう現実への適応は意外に誰でも早いのかもしれない。外に出ない判断も、出るという判断も、それをする人数が釣り合っているように、少なくとも電車を一本乗ってみると感じる。
 電車を降りてエスカレーターの左へ寄り立ち止まって地階に降り、ふと後ろを見ると、段を空けることなく人が静かに一列を詰めていた。ただ足音だけが反響してざわめく構内を抜けてICカードを通すと、期限の切れた定期券への注意が残高と共に表示されていた。
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・呑飲薫香

2021年01月01日 | コラム
 凍える寒さに大晦日へ集中した掃除の疲れが溜まり、昨年から引き継いだコロナウイルスの猛威は各地の初詣に牽制をかけ、夜の寒さにかこつけて今年は朝食のあとに一家揃って初詣に出かけることと相成った。新年の朝の用意の中で後回しにされがちな洗濯物を干しつつベランダから下を見下ろすと、酒瓶を抱えたうろうろする人影を見つけて溜息が正月早々にこぼれた。朝の九時にも関わらず既に酒の匂いを漂わせ、そこはかとなく足元がおぼつかない二人はそのうちに玄関へ回ってチャイムを鳴らす。両親が出迎えると一升瓶と同じ大きさのビール瓶がリビングにやってきた。雲一つない晴天下に洗濯物が連なるところ、ビールの栓を開けるので入って来いと手招きされた。
 肌理の細かいビールの泡ときつね色のビールは引き締まった味で、朝一番にお酒をいただくことそのものは毎年のお屠蘇で慣れてはいたものの、これから初詣に行くためにそれぞれが準備していた只中の酒はおめでたいお邪魔虫だった。早速車の免許持ちの断った酒が私の下に回される。飲めないことは無いが強くはない。酒の匂いを口から吐きながら真っ青な空のもとの参拝の列には並びたくない。飲まない奴に呑むのを薦めるのはよろしくない、と既に顔が赤い叔父に真顔で言われたところで、その「飲まない奴」に私は数えられていないため飲め、飲めと繰り返しが耳に刺さる。目の前のグラスを干して洗濯物の続きをすると告げてベランダに逃げた。窓から覗くだに他の家族たちも絡み酒を避けて部屋に戻ったらしいが、叔母は酔っ払ったのよ、と言いながら母を引き留めている。
 早々にアルコールが体に回る。まだ体が赤くなるほどの量ではないが、指先が震えて洗濯ばさみのばねに指を引っ掻けた。新年の真夜中に振る舞われる清酒の、背筋を正す舌先の酔いがただ懐かしかった。

 新年早々に、夜中の参拝の受付をやめたお寺社へ朝から人が「集まる」こと自体が、予想は出来て気持ちも理解できなくはないだろうに、お正月気分を壊さない程度にラジオやニュースでまるで初詣そのものを責めるような言葉に胸が痛みました。「集まる」こと自体はまだまだ注意をし続けなければならないものの、それにかこつけて何かを責め続ける誰かは常に正しいのでしょうか。そうしたわだかまりを昨年に置いていけなかったことは心残りであるものの、だからこそ問題と向き合いながら厳しく律してゆくことが大切な今年なのかもしれません。
 ここをご覧になられている方がどれほどの物かはわかりませんものの、いつも閲覧をいただきありがとうございます。本年も拙文拙ブログをどうぞよろしくお願い申し上げます。
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