えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・雑感 『はねろ!コイキング』

2021年02月27日 | コラム
 四年前のアプリケーションなのでむしろ安心してインストールした。『ポケットモンスター』系列のスマートフォンゲーム『はねろ!コイキング』はスマートフォンアプリの構造を知るには程よくうってつけのゲームだ。インストール無料かつゲーム内課金システムというアプリケーションの集金技術の基本を押さえつつ、ゲームの止め時が分かりやすく作られているので、大人ならばあまりのめり込まずに済むゲームに出来ていると思う。付け加えるならば現在はFacebook連動のランキングシステムのサービスが停止しているため、他人との競争による射幸心を煽られないことも現在遊ぶには利点だろう。

 ゲームのお話は至って簡潔で、『ポケットモンスター』の世界ではゲームボーイの頃から最弱の名をほしいままにしたポケモン「コイキング」版の『俺の屍を越えてゆけ』だ。コイキングの得意技「はねる」の高さを競うという鯉マニアの集う町で、プレイヤーはコイキングを育てるブリーダーとなり数多のコイキングたちを育て、空高く跳ねるコイキングを育ててゆく。だが、コイキングには成長限界があり、一定のレベルに達するとそれ以上育つことはできず引退してしまう。けれども一匹のコイキングを限界まで育てきるとプレイヤーのブリーダーの腕が上がり、次に育てるコイキングたちの成長限界を上げることが出来る。それを繰り返して何匹もコイキングの代を重ねてブリーダーを育て上げ、コイキングの能力をただひたすらに高めて各大会のライバルを蹴落としてゆくのだ。ちなみに引退したコイキングたちは他の生け簀で平和に暮らしているので、気が向くとプレイヤーが現在育てているコイキングの水槽へ様子を見に来てくれる。後輩を見守る先輩の心境なのだろう。

 アプリケーションとしては俗に言う「スタミナ式」で、コイキングを効率よく育てて早くゲームを進めるためにプレイヤーは課金することとなる。ただ、課金のみで入手できるアイテムなどは無いので、課金をしたくないプレイヤーは時間を掛けてのんびりと「一日一時間」ペースで進めればよし、早く進めたければ課金をすればよし、と、プレイヤーを焦らさないように出来ている。水槽の中をうろうろしているコイキングを眺めたりつついたりエサをやっているだけでもあっさり時間が潰れるものの、プレイヤーがゲームに干渉できる要素は限られているため止めやすい。丸書いてちょん、の目をした無表情なコイキングと液晶越しに見つめ合っているとこちらも無心になれるかもしれない。地上の大会で空高く跳ねている彼等はおそらく逞しい。

 とまれプレイヤーの出来ることが「選択」と「水槽内のコイキングの移動」のみに限られているので、細かい操作に悩まされること無くコイキングを無心で愛でて遊ぶ。それ以上でも以下でもない簡潔なところが、ゲームとして「遊ぶ」感覚の限界を攻めているようで何とはなしに好もしく思う。
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・パソコン壊しの話

2021年02月13日 | コラム
 在宅勤務への切り替わりにより機会の減って残念な作業の一つがパソコンの分解だ。ハードディスクの物理的な破壊が面倒で放りっぱなしの自宅のパソコンよりも、消磁装置が備え付けられている勤め先は分解だけを安心して愉しむことが出来る。台数が少ないから笑ってもいられるものの、要らなくなったパソコンはデスクトップでもノートでも手に取ると心が弾む。薄すぎて消磁装置に入るネットブックはつまらない。効率性から考えればドライバーを握るよりも装置に入れられるほうに軍配は上がるものの、分解の方法をインターネットで検索しながら小さな会議室を一つ借りて閉じこもり、裏返したパソコンの蓋を開ける作業は箱根細工をこじ開けるような心地がする。

 蓋を開けるとファンから侵入した埃が薄くフィルタやハードディスクに積もっている。ノートパソコンの場合はネジを取り外せばすぐにハードディスクを取り出すことができるので、そもさん蓋を外す手順がメーカーごとに異なるデスクトップのほうが面白い。NECなど日本のメーカー品はそれこそ秘密箱のように、コツさえ知っていれば実にあっさりと弾けるように蓋が外れるのだが、それに気づかなければ徒労の時間が過ぎてゆく。考えても仕方のない時は先人がたいがいYoutubeに分解方法を掲載しているのでそれを見ながらなぜこの方法がわからなかったのだろうと頭をひねる。壁一枚挟んだ机では先輩社員が急な決裁の入力に追われている。私はドライバーを置いて、ハードディスクを取り囲む金属の枠に力を込めながら少しずつ周囲を剥がしてゆく。

 最後にハードディスクを固定するネジを取り外せば今度は蓋が閉まるように中身を元に戻さなければならないものの、直す必要も再利用の予定もない金属の箱の蓋が多少浮き上がるほどの乱雑さが許されるところが、壊れるものを更に壊してしまった罪悪感を打ち消してゆく。
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・視覚の価値

2021年02月06日 | コラム
 貰い物でまだ一度も使っていない万年筆のためにインクを買いに行った。メーカー品なので使い方やインク以外に必要な道具があれば誂えるつもりだった。紺色のセーターにぱさついた茶髪の、おそらくマスクのせいで無愛想に見える店員は慣れた手付きで万年筆のキャップを外し、ルーペでペン先から透明なプラスチックのインク溜まりまで目を走らせた。一度も使っていませんね。倉庫の奥から出てきたものを頂いたので、何分。店員は基本的な万年筆の使い方を説明するとインクの売り場へ私を案内した。黒は品切れで、ブルーブラックを勧められたが、紫と緑で迷い緑にした。値段は税込みで千百円だった。思ったよりは安かった、と感想を口にしながらぞっとした。
 外出が憚られるようになってから、外の店で買い物をする機会がなくなるということは、商品そのものの姿と値段を見比べる機会が減ったということで、それはそのまま財布の緩みにつながってゆく。具体的にはあまり述べられないがスマートフォンは怖い機械だ。あの狭い画面に顔全体を押し込めてしがみついているとものの価値がずれる実感を覚える。外では財布の中身と相談して諦める値段をインターネットではあっさりと口座を開いて私は金を吐き出しているのだ。口座の中身もネットに掲載されている商品の重みも私の身体には伝わらない。そこにある写真のみ(親切な場合は寸法も)と他人の評価以外でしかものの良し悪しを判断することができない。この道具を使う場合は当たり前の注意だが。
 インクを一瓶とついでに細々としたものを買って重くなった鞄と軽くなった財布を下げて帰宅する途中、銀行に寄った。おっかなびっくり確かめる口座にはまだ数字が表示されていた。まったく大した量のない数字に振り回されてとにかくと生活を送っている。
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