えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

金谷治訳注「荘子」全四冊 読了・・・した。

2009年07月30日 | 雑記
きょう電車の中で、「荘子 第四冊[雑篇]」を読み終わり、
いざ感想文をば、とパソコンにむかった私を、
よれたデカパン+タンクトップの叔父が呼びました。

叔父:「おいなめ子(仮称)、ちょっと来い。いいもん買ってきた」
なめ:「なに?」
叔父:「ふっふっふ」
なめ:(立ち上がる)「なに買ったのさ」
叔父:「まあ見てみろ」

大ていこの叔父が「いいもん買ってきた」と言うときは、

・なんかすごい(ネタ含め)酒
・なんかよくわからん食べ物
・なんか動くもの(生物除く)
・なんか微妙な話題の本
・なんか高橋洋介の新刊
・なんか諸星大二郎の新刊

この6パターンなのですが、今日はそのどれとも違いました。

なめ:「で、どれよ」
叔父:「開けてみろ」
なめ:(ダンボールをこじあける)

  (紫のホース登場。両端にコブラの頭のようなプラスチックの筒、
   円錐形の木。円錐のおしりの方がホースに接続)

なめ:「なんじゃこりゃ」
   
  (近くに日本語・中国語・韓国語・英語・その他ヨーロッパ系
   言語以外の言語で書かれた箱)

  (箱にはまだ何か入っている)

なめ:「水パイプ?」
叔父:「あたり」

水パイプセットでした。
トルコとかアラビアのイメージイラストで、金きらのソファにふんぞりかえり、
金持ちそうなおっさんたちが口にくわえているあのパイプです。
普通のタバコと違い、さまざまな香料の入ったタバコを炭で燃やして、
出た煙を水に通してから吸うらしいです。

叔父:「コーヒー味だ」

なめ:「(なんでわざわざふつうの味を買う・・・)」

いちご味とかバニラ味とか、あんま煙の形で味わいたくない味もあるようです。

叔父:「いいだろう」

叔父がタバコをふかしていたところは見たことがありません。
でも「シーシャ」という水タバコを吸う道具は、底が水を貯めるガラスで
出来ており、管も最初はビニールかと思いきや、糸を巻いた重いもので、
そうそうチャチな出来ではありません。
ガラスの土台の上に、燭台のように細く、節のついた管が取り付けられて、
頂点に手のひらくらいの大きさの、穴の無い植木鉢のような素焼きの壺を
とりつけて完成です。

なめ:「どーすんのこれ」

吸うのか。吸わんのか。

いや、吸うに決まってる。

今日は吸わないけど、いつかは必ず吸う。
使わないものは買わない、そういう合理性はある叔父です。

・・・・なんで買ったんだろう?

とりあえず近くにあったトルコの邪眼のお守りキーホルダーを
かっぱらって帰宅しました。(叔父の家は隣なのです)



「荘子」の感想は、かけませんでした。
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おくれながら

2009年07月27日 | 雑記
炎天下の古本市を帽子無しで歩き詰め、結果はバタンキュー、
やたらと「チェン・ウェンの三国志」(ゲームアーツ)
(「グランディア」シリーズ作ったとこです)をやれと勧めてくる
弟に、むしょうにニマニマしてしまう週末でした。

このゲームは学校でなかなか話題に出来にくかろうなあと姉心に
思うのです。


さて古本市の収穫は、暑さもあってレーダーが働かず、あまりいい収穫
とはいえませんでした。
エドワード・リアの「ナンセンスの絵本」が3冊セットで売っていたのは
迷いましたけど。買いませんでした。うーん。2000円だったら買い時
だったかもです。

代わりに古雑誌を一冊。「少年/少女SF漫画競作大全集②」(昭和54年)
漫画スーパーギャンブルの7月増刊号です。
ちゅーとはんぱな買い方です。でもしょうがなかった。


諸星大二郎が描いていたので。


短編「海の中」、しかもカラーページ付き。
松本零士と竹宮恵子の対談とかはどーでもよい。
他の作家と比べても明らかに異質な、水の中でぼーっと浮かぶ
青年の絵がちいさくど真ん中にある、それだけの絵です。
前のページと後のページを見た後だと「あれ印刷ミス?」と
思えるくらい余白が残っています。

そしてとどめにタイトルページの紹介が「ノスタルジックメルヘン」。

昭和、すげえ。

「海の中」だし「ノスタルジック」。女の子と男の子がしずかに出会って、
やさしく手を握り合って水中を漂ってゆく。「メルヘン」かもしれない。
でも二人は水死体だ。流れ流れて出会ったのは死んだ後だった。
こういう風に字にしてみると「メルヘン」もうなずけるかも知れない。

が、初めて読んだ時、メルヘンとは思わなかった。
なんか調子が違うなー、と思って読んでいたのだが、
そうかメルヘンだったのか、とちょっと納得させられた。

これと似たようなわからなさに、同じ本の杉本容子の
「まぐろフレークの缶けり」とゆうものがある。
気がつくと女の子は缶を蹴っている。突然、話に「報告」という
かたちで女の子のモノローグが挟まる。
ウェーブがかった髪に、チェックのワイシャツ、ジーンズと、
つま先のあいたヒールで缶けり。
誰も背景に人が登場しない町で缶を蹴る。
見えなくなるほど高く蹴り飛ばして、機嫌よく駅の階段を
二段とびで駆け上がる。

「こんな日はなんでもできそう
 階段だって二段とびでいっきにかけあがれるし
 空だってとべそうよ
 
 ほらね!」

無理やり笑った時のような寂しい笑顔のアップの後、
電車が正面から彼女に迫る。
ぶつかったのか、と思って次のページをめくると、
何事もなく、彼女はホームへ突っ立っている。
下手なのかどうかは分からないが、看板も床も一律に白くて、
「ホームの端の黄色い線」すら距離感の無い平行線の連なりで、
女の子はどこに立っているのか分からない。
そしてやっぱり人がいない。
最後のページも、猫がまぐろフレークの缶詰を舐めている、
それだけで終わる。

これで「センチメンタルジャーニー」だそうです。
ヨクワカランです。
あまりのよくわからなさについ筆をすべらせてしまいました。

諸星大二郎の「海の中」は、まとまりのよい掌編です。
先の「まぐろフレーク~」と比べると、彼の場合は、
描いてるもの自体はよくわからなかったりするのですが、
漫画として絵と話、セリフがまとまった一群としてみた時に、
そこで一つの話がキッチリ出来ている、完成度の高さがあると思います。
杓子定規って分けでもないのがまたおそろしいのですが。

また漫画の話になってしまいました。

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荻野真「孔雀王 曲神記」10巻 読了

2009年07月23日 | 読書


:集英社 「孔雀王 曲神記(まがりかみのき) 10巻」 荻野真 2009年7月

このまんがをひと言で言うと、
「かわいそうなおとうさんたちのまんが」
である。

一番最初の「孔雀王」はおろか、
(そもそも孔雀のパパが主原因で最後は・・・)
「退魔聖伝」の時でも脇キャラのおとーさんたちは
えらい目にあっていたし、
「曲神記」でも、いろんな意味でかわいそうな
おとうさんたちが登場するのだ。

情けなさと腹黒さ爆発の、由緒正しい日本のパパ
イザナギ父さんと、
家族思いに誠実一閃、悲劇の道士黄海峰父さん。
この二人が、愛のプリンス黄明星ぼっちゃんを
取り合って争うのが「孔雀王 曲神記」の壮大な主軸である。



うそをついてしまった。

いちおうこれはサブのお話。
(でも個人的にはこっちを楽しんで読んでいる)

正しいあらましは、神殺しの「スサノオの牙」に認められた
主人公の法師孔雀が、牙をひっさげ卑怯なイザナギ父さんに
天誅を下す、そうした話だ。
いろいろ省いたが、「退魔聖伝」のくらーいラスト
(主要キャラがほぼ行方不明、前作からのキャラ一人犠牲)
を祓うかのように、10年ほど別の作品で禊をした後の作品が
本作「曲神記」である・・・が、正直絵柄もテンションも
変わりすぎてしまい、続編というよりは別もんに近い。
内容はしっかり引き継いではいるが、
中途半端に軽くなった分、話の重みを支えきれないようで、
今後どうなるか、シニカルな意味で楽しみにしている。

何が楽しみかと言うと、「黄海峰はいつ殺されるか」
が楽しみなのだ。

この人は性格もまっとーで、子煩悩で、愛一直線な
とてもいい人だった。
その性格が幸いしたのか、多くのキャラクターが不幸を飲んだ
「退魔聖伝」で唯一被害をこうむらなかったキャラクターである。
今回は登場してすぐに
「幸せに暮らしていたが、突然の不幸で一家離散」
という、シンプルな不幸に見舞われる。
が、前の作品で不幸を飲んでない分、本作では
「生きて息子に会えないだろうなフラグ」
が立ちっぱなしという不幸っぷり。殺されない方が不思議、と見るのは
シニカルが過ぎるだろうか。
なんかこんな感じに。

不幸なおとうさんの結末-おそろしく単純な予想:

・肝心な所で、コミックスを10冊ぐらい遡らないと
 思い出せない設定「黄海峰にかけられた呪い」発動
・明星「おとうさん!」
 イザナギ「父を助けるためには孔雀を倒せ、明星!」
・孔雀「く、くそ・・・」
 明星「孔雀さん・・ごめんなさい!」
 孔雀「よ、よせ明星!」

・海峰、二人の間に挟まって二人の攻撃で死ぬ

 海峰「ぐはっ!」

・明星「おとうさん!?」
 孔雀「黄!?」
 海峰「二人とも・・ほんとうに倒すべき敵はヤツだ・・
    私にかまわず、ヤツを倒せ・・・がく」
 明星「おとうさーん!!!」
 孔雀「黄ーっ!!!」 


・・・・。

ともあれ、当面はこの決着を作者がどうつけるか見るために、
漫画は買おうと思っている。

私見だが、荻野真の絵は、最初の「孔雀王」が完結した時の
青年誌向け劇画時代の絵が、いちばん格好良い男の人を
描けていたと思う。
今から見れば、ちょっと「北斗の拳」が入った濃ゆいタッチは
受け入れられないかもしれないが、
その分、テーマの重たさはしっかり受け止められていたし、
作者も読者も納得の話の面白さを持っていた。
ただ、次の「退魔聖伝」では、話の幅を広げすぎて途中から
回収も出来ず、後半は作者自身が「あの頃は精神的に追い詰められていた」
(曲神記一巻・あとがき参照)と言う状況が見事に反映され、
主人公の仲間が全員行方知れずとなる、ある意味思い切ったラストを
作ってしまった。その尻拭いが本作「曲神記」か、というと、
そうとも言い切れない。
前作が13年前ということもあって、新しい読者のためのリスタート、
先にも述べたように、半ばは「別もん」との位置づけもあるようだ。
話も練られており、内容も明るく、以前とは比べ読みやすい面白さは
ある。

とはいえ、公共の雑誌をつかった作者による作者自身の同人活動を
読まされてる感が解けないのは、どうしたものだろうか。

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ふつうのこと

2009年07月21日 | 雑記
考えているようで、考えていない。

文字に埋もれて、やっと落ち着く。

誰かと話すと、こぼれてしまう。

そんな感じです。
いろんなひとへゴメンナサイな日々です。


気を取り直して。
土曜はここに行こうかな、と思っています。

鬼子母神通り みちくさ市

商店街で古本フリマ。
ふつうの古本屋さんと、ふつうの人が開く一日だけの
青空市です。雨がふらないように。
何が出てくるか、分からないので面白いのです。

あとちょっと楽しそうですが散財が怖い。
いつものことですが。

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近松秋江「黒髪・他二編」読了

2009年07月19日 | 読書
ちゃんと書こうと思ったら、
「おじゃマクラ」(たちいりハルコ作・1992年)で吹っ飛びました。
つい最近まで仕事をしていたことにびっくりです。
ついでに萩尾聖都と同い年でびっくりです。すごいぜたちいりハルコ。

:岩波文庫「黒髪・他二編」1922年 近松秋江作

 黒髪を自慢と思い始めたのは、何時頃だろうか。それでも大学に入ってからのような気はする。ストレートの黒は自慢である。京都でつげ櫛を買って調子に乗っていた私の目に止まったのがこのタイトルだった。
 解説で正宗白鳥が述べているが、
「…ところが、秋江は痴情小説に独特の妙技を示してゐても、他の種類の作品では、作者自身で持て扱ひかねてゐると云ふ有様なのだ。―中略―たゞの自然描写はそれほどでないのだが、痴情と融和したところに、京の山水でも風物でも生きて来るのである。」
 これそのものズバリが、近松秋江という作家だ。
 
 京の芸妓に惚れた主人公は、東京に住みながらも彼女を忘れきれずに文と金を送り続ける。それは、彼女が借金を返したら、彼と一緒になる、という約定のために、送り続けたものだった。しかし、芸妓は返事をあいまいにしながら、男のそばから離れてゆく。男は理由もわからないまま、彼女ほしさの一心で行方を尋ねてゆく。作者近松が、ほんとうに思いつめた遊女へ送金し続けた事実を基にして描いた小説だ。
『「あの、喰ひ付いてやりたいほど好きでたまらない女は、しまひには本当に自分の物になるのか知らん。いつまでこんな不安な悩ましい思ひに責め苛まれてゐなければならぬのであらう。もう何時までもこんな苦しい思ひをさせられてゐないで早く安らかな気持になりたい。」』
 描写も何もひっくるめてずっとこれ一本である。悩んでは行動しモメごとを起こしのエンドレス。ただ、最初の30ページほど、女になぜ惚れているのか、どこがすきなのか、そうしたことをつれづれ語りながら過ぎてゆく京都の風景は、主人公を押し付けてくる作者の影が薄くて、京都の空気がもっと濃かったころを覗かせてくれてよい。
 主人公はひたすらに「真情」があるのだと彼女に迫る。だがきわめて子供っぽい独占欲と、果たされない約束、相手のことをきちんと見ない自己中心的な懊悩の日々は、どことなくこそばゆくて可笑しい。だが、作者が自身もそれを可笑しみと感じて書いていたかは疑問である。本書には「黒髪」のほか、続編の「狂乱」「霜凍る宵」の二つが収録されているが、「狂乱」以降は「黒髪」の序盤のような描写の面白さではなく、主人公と巻き込まれた人々の、グダグダのテンポを見事に掴み取ったやりとりである。客の域を超えたものを要求する客を、早く厄介払いしようとする遊郭の女たちに、自称「誠心誠意」でぶつかる主人公。なんだかどっかで見かけた気がしないでもない構成だ。
 生きたやり取りを忠実に移しあげる点で、近松秋江の腕は冴えている。いっぽうでこれが完全に創作になると、自身で描いた主人公のように、どうしても自分しか見えなくて、結果何も書けなくなる人だったのだろう。風俗と語彙の豊富さが、互いに結びついた時代に救われた作家だ。

 で、「黒髪」はどこに?
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「澤さん」

2009年07月15日 | 読書
ほんとのタイトルは「ザワさん」です。

描いているの、女のひとだなー、と思うのです。
高校の硬式野球部に一人、入部した女の子の日常を描いているもの、
なのですが、特殊な状況をたんたんと日常として描く、というのは、
けっこう我慢がいるとおもうのです。
この書き手は、編集者も、かもですが、モノを見る目が良いうえに
カメラの距離がほとんど変わらないので、こちらも作者と同じように
すこし離れた距離からこの「ザワさん」という女の子をたどって
ゆくことがやりやすいのです。

ヘルメットを被った横顔がアップになったとき、すっととんがった
鼻筋の傍で、まつげがふわふわしています。ショートカット、
昔厳しい剣道の部活に入っていた友人の、短い襟足と耳元が
そのまま絵になったような。
「ありがとうございます」をつぶした一礼をしている時の
朴訥さも、うっかり着替えを忘れて、それをマネージャーに指摘されたときの
「やっちゃった!」も(これがものすごくかわいらしいのですが)、
雰囲気に落差がなくて、ほんとにたんたんと描かれてます。

衝動買いでした。

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いろいろ読んだ。

2009年07月13日 | 読書
堂ヶ島で、温泉につかってゴロゴロしている間に
本を片付けたのでぺぺっと所感をかきます。

:岩波文庫 「朝鮮民芸論集」 浅川巧著

本業は林業技手。日本で生まれ朝鮮の土となり、朝鮮に慕われた
日本人のひとり。
その人品の、まじめさ誠実さがすてきだ。

『すっかり暮れてから二里位も歩いたでしょう。しかし月がよくて仕合せでした。』
(窯跡めぐりを終えて(2)より p178)

一文を読んだだけで、この人はこのときほんとに仕合せだったんだなあ、
と思います。朝鮮の窯跡を地道にめぐりあるいたときの一文です。
が、読むべきは旅行記ではなく「朝鮮の膳」を始めとした研究4本。
とにかく筆がのっています。何か民芸モノで一冊読みたいんですけど、っと
言われたら、推す本の一冊に挙げます。読みやすく熱く身がぎっしりつまった、
上等の鯛の塩焼きのような一冊です。


:平凡社 「六朝・唐・宋小説選 中国古典文学大系24」 前野直彬選

六朝から唐にかけては種々の志怪小説が生まれ、今の「小説」のかたちに
向って収束してゆく過渡期をみることができます。
難しいことは置いといて総括すると、
「不条理」
がこの時代のお話のキーです。

とりあえずへんなモノが出てきたり、
とりあえず人が死んじゃったり、
とりあえずへんなモノが出なくなったり、

けっこうぷっつり終るものが多かったりします。
時代が下るにつれて、起承転結が生まれ、因果応報譚も
増えてきますけれど、やっぱり気づくと「とりあえず」な
展開になっていたりします。お話の奔放さは後の時代のどこよりも、
想像がはじけていて面白いです。なんといっても「へんなモノ」が
出まくるので。

個人的には「仁氏伝」が好きです。
きつねのお話なのですが、中国の女ぎつねはフツーの女よりも
純な時があって非常に可愛い、そんな味なお話です。


:岩波文庫 「荘子 外篇 (第2巻)」

荘周萌え。

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曇りがちな日々

2009年07月10日 | 雑記
明日から諸事情で堂ヶ島のほうに脱走します。週明けには
帰ってきます。

堂ヶ島は、後ろは山、前は海で、逃げようがないです。
遊び場も歩いて10分でコンビニすらありません。
海と景色しかありません。

でも、乗っけてもらう車でさーっと通り過ぎるスカイラインは爽快で、
横を過ぎ去る山々の間に海が見えた、山と山の間の扇状地を
家が埋め尽くしていて地形がわかりやすくなっている、そこを見下ろしながら
やがてそこへたどりつく、ルートを頭の中で空想しながら見下ろす。
着いたら、見上げてももう道は見えない。

囲まれていて、海が前、山が直ぐ後ろ、狭いのに広い。
堂ヶ島はけっこうおもしろい場所です。

今日、電車の窓によりかかって、西の空が染まってゆくのを見ながら、
昨晩ぼーっと頭の中においていた「ジェネラルなもの」に、
とりあえず「動くものからの窓辺の景色」を入れておこうと思いました。
死ぬほど好き!とかそういうものでもなくて、むしろクセの一つかも
しれないですが、目は流れる外を見ながら頭を空回りさせてぼーっと、
風景が頭に入ってくる瞬間は無性に好きなのです。
今枕元にあった風景が、気づくとずっと遠くなっている。
電車や車で、自分の歩く速度よりも早く道をたどってゆくと、
道と時間の境目がなくなって、降りた後自分の速度に戻ったとき、
遠くへいるのだ、と思うのが好きです。(トーゼン運転していただいている
方になるとまた違う感覚だと思うのですが)


明日は4時間車に揺られてドナドナしてきます。

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しなやかに、かろやかに、ならない思考

2009年07月09日 | 雑記
今日はちょっと考えすぎな日です。


――

ある晩もたもたと友人と話していたら、

「あなたは今まで人とモノにしか興味がなかったのだから、
もっとジェネラルなものを好きになるといい。
たとえば商店街とか、トイレとか、誰にでもわかるものを」

と、いわれる。
だいたいの要旨だからほんとにこういう物言いをしたわけじゃない。
大切なのは、そいつの言った「モノ」ってのが、たとえば本とか絵とか、
要するに人の表現した結果であるということなのだ。
モノであるモノでなくて、モノを指し示すモノでしかなくて、
そればかりが好きなのだということは、物理的なモノそのものをむしょうに好きだ、
そういうことが無いってことになる。

リクツはおかしいかもしれないが、ともあれそういうことらしい。

で、ジェネラルなもの、だ。これを言われてうーんとなってしまった。
モノとして好きなものはたくさんあるが、じゃあ、そういうものが
普段使いのものか、あるいは感覚か、というと、今まで好いて来たもの、
あるいは、自分が好きだと公言「したい」ものが、案外に普段使いのものじゃ
ないことに思い至ったからだ。
それを聞いて、けっこうなひとが「あ、それあるよね」というもの。

むつかしい。
でも意識的にひっぱりだす方法はちょっと分かる気はする。


ここで踏みたくない方向は、それを「自分のため」とマジメになって
求道してしまうことで、それは「ためになる」とわかっていても無理をしている
ことがはじめから分かっているのだから、最初から「ためにならない」
ことなのだ。

じゃあ何も手をつけないのか、というと、そうだ、としか、言えない。考えると
焦る。焦るから考えの中心から外しておく。ただし、頭の片隅にはずっと置いておく。
埋もれるかも知れないが気にかけておくことはできるからだ。

(と書いてみたところでも一つ気がついた。直視したくないから「荘子」なんぞ
すーっと読み進めてフムフムいえるんだろう。それは間違ったつかいかただぞ、
とその「荘子」に書いてあったし。うーん)
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晴れのたなばた

2009年07月07日 | 雑記
彦星と織姫が日本の空で出会えなくとも、
牽牛と織女は他の空できっと出会っているんじゃないでしょうか。
言葉変わればところ変わる。言いえて妙ですかね。

今の窓辺の夜空は、ちょうど雲が月の出ているところだけ隠していて、
あわびの殻のようにぼんやりと銀色に光っていました。
ほんとは夏よりも、空の澄んでいる冬の方が天の川、見えやすいそうです。
でも冬だと川を渡るのが寒そうだし、笹が似合わないのでやっぱり、
夏の方が涼しさのありがたみを受けられてよいのかもしれません。

一年に一度しか会えなくても、その日「かならず」会えることさえ
わかっていれば、人はけっこう待てるもので、その先もその後も
生きてゆく楽しみがあたえられるのならば、一年に一度と言うのは
なかなか粋な配慮なんじゃないかなあと思います。
だって、地上から見て雲っていても、ずっと向こうはいつも晴れている。
曇っていてもこっそり裏で会ってるんじゃないでしょうか彼らは。
ずるいずるい。

地上に生きてると「かならず」何かが起こる、ことは、
けっこう貴重なものなんだなあと思います。
そう例えば、朝の中央線とか、ひるの中央線とか、夜の中央線とか。

中央線と人間に「かならず」はない。

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