えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・何気ない悪意(読書記:『七つの仮面』横溝正史 角川文庫 改版版)

2015年11月28日 | コラム
 他の本が何冊も鞄の底に溜まっているにもかかわらず本を手に取る気分がない時に図書館へ寄り、借りて、何度も読んだ筋を飛ばし飛ばしつまみ読みする。表題作をはじめ七つの短編が収められた横溝正史『七つの仮面』は探偵の金田一耕助が主人公、あるいは狂言廻しを務める作品集のひとつだ。短編の量ならば角川文庫の『金田一耕助の冒険』のほうが十一篇と多いのだが、図書館には置いていないので『七つの仮面』を手に取ることのほうが多い。どちらも女が主軸となる事件で、女が登場したらだいたい被害者か犯人というとてもわかりやすい設定だ。スターシステムのように犯人役の女、被害者役の女、ミスリードの女とみごとに決められた役回りは歌舞伎の型を眺める落ち着いた予定調和がある。

 『七つの仮面』の収録作は他の作品と比べると何となく地味である。奇抜な道具立てに対してそこで起きたことを綴る筆調は淡い。猫に囲まれた死体や矢の刺さった死体は派手だが複雑な仕掛けを解きほぐしてゆく調子はなく、場面場面を「さて」で区切る講談のようだ。その中で女の殺人犯の独白を通した語り口の表題作『七つの仮面』が華をそっと添えている。

 目を通せば通すほど『七つの仮面』はえげつない。「じゃま者は殺せ」とためらいなく人を墓場に送り込む女は横溝正史の作品中で数えればきりがないが、一周回って潔さすら感じる殺しっぷりや欲深さを隠さない女達に対して『七つの仮面』の主人公美沙は最後の最後まで自分を飾り続ける。「あたし、ちっとも己惚れなんかしないし、」と書いた数行後に「両手を血でけがされた呪わしい罪の女……恐ろしい殺人犯人の烙印をおされたこのあたし」と書いてのける態度はりっぱな己惚れである。この己惚れは『七つの仮面』の話そのものだ。己の首を己惚れで徐々に締め付けてゆく主人公はそれを自覚しながら責の全てを他人に押し付けて、とうとう己惚れの仮面を脱ぐことなく物語の幕を下ろす。死にたくないと抵抗し逃げ続けるしぶとさよりも諦めの潔さを演出する八方美人の主人公の同情の押し付けは手管が分かりやすい分、気楽に読みやすいのかもしれない。
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・芝居の仕草

2015年11月14日 | コラム
 古谷三敏『寄席芸人伝』の一篇に、食べる仕草が拙いと諭される場面があった。芸に慢心する主人公の若い噺家はその理由が分からない。拙い理由が理屈では腑に落ちない彼に師匠は、お前の噺が終わったら帰る客の流れを見ろ、と言い放つ。しぶしぶながら彼は喝采を受けて楽屋からぐるりと表に出ると客の後ろ姿を見た。彼らはどこにも立ち寄らずまっすぐに帰路へつく。それの何が悪いのか。分からない彼に師匠は独言する。今日は屋台の噺をしたはずなのに、みんな真直ぐに帰ってしまうなあ、と。そこで若手は己の芸に伴わないものに気づき、次の舞台で饂飩を食べた。架空の饂飩を観た客は帰り際に饂飩の屋台に立ち寄り、なんだか饂飩を食べたくなった、という言葉を若手が耳にして一段落、といった話だったと記憶する。

『新春浅草歌舞伎』のパンフレットを差し出しながら「『来年は食べ歩きだなあ』って浅草の人が言ってた」と歌舞伎好きの友人は苦笑い気味に言った。演目と役者を見比べた私の微妙な表情を汲み取り、「そんな感じでしょ?」と明るい声で続ける。
「むかしは歌舞伎を観て、演目に扇や櫛が出てくると仲見世でそれを買う人もいたそうだけど、そういう楽しみ方をする人って大抵新橋に行っちゃう」「歌舞伎座ですか」「そう。たとえばここ、『与話情浮名横櫛』って演目があるでしょ。このお話には櫛が出てくるから櫛屋さんにとっては縁起がいい演目なんだけど、これじゃあね」パンフレットに目を落とすときれいな顔をした若手の演者が並ぶ。対して演目は『三人吉三巴白波』『歌舞伎十八番』『義経千本桜』等、派手な演目である。見比べながらそう大して観慣れていない自分にも、パンフレットに漂う諦めのような気配は見て取れた。年に数回行くか行かないかの連中にすらそんなことが感じられるのだから、新橋の歌舞伎座で花道脇の席を取るような人々の想いはいかようなものだろう。

 そもそも芝居を演目から役者から仕草から小道具から丁寧に観て、それから今年の櫛や扇子を買う通人はまだ生き残っているのだろうか。煽り煽られる広告の加速に慣れてしまった身を振り返り、舞台を通した遠い時代の架空の物語を通してなごやかに買い物をする感覚にどうしようもなく憧れながらパンフレットを折りたたんで鞄の底にしまった。
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