えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:見ておくべきこと『九日~Nine Sols~』

2024年08月24日 | コラム
*作品のネタバレが記載されています。未プレイの方はご注意ください。

 発売から約三ヶ月が経過した『九日~Nine Sols~』には日本人プレイヤーはあまりおらず、やりこみ動画も専ら台湾のプレイヤーが多く投稿しており、私的な話題としても説明が何かとまだるっこしいので控えているものの、ひとつの上質な中編SF小説を読了したような感覚でゲームをプレイし続けている。
 本作はゲームとしては短めで、収集要素を無視して通常エンディングを見るだけならば慣れたプレイヤーならば数時間でクリア出来ると思う。実際自分自身二週目のプレイでは同じ条件を満たしながら一週目の半分ほどの時間でクリアすることができた。現在三週目をゆっくり読みながらプレイしている。

 赤燭遊戯社がヒットを飛ばした処女作『返校』はクリックアンドポイント式のゲームとしては簡潔な操作のアドベンチャーだが、叙情的な音楽や映画・演劇などの舞台の演出を意識した表現を使い「白色テロ」という台湾にとっては難しい時代を描いたシナリオが高く評価された一面がある。私も知人から勧められてプレイし、文章にすると冗長で薄口になりかねない微妙な感情の機微に唸らされた。同時にゲームが表現の方法のひとつであることを改めて教えられた感も覚えた。
その会社の三作目となる『九日~Nine Sols~』は静的で操作の少ない『返校』『還願』とは大きく方向性を変えたアクションゲームでありながら、ゲームは物語を語るための表現の一つである、という距離感は先の二作と変わらず、より多角的な表現とゲーム制作の技術を磨くための段階のように思える。なるべくシナリオの中核を語ることを避けてきた理由は本作がアクションゲームでありよりプレイヤーの操作がゲームの表現に直結するためだが、先述の通りストーリーの面白さが魅力に繋がっているゲーム会社のためそれを語らないまま面白さを表現することが難しい。

 まず主人公の羿はこの物語の全てを知っている。けれども同居している弟分にもプレイヤーにも彼が強行に赴く理由を語らず、プレイヤーは彼に語らせるために彼を捜査しなければならない。上手いと感じたのは羿が話の出し惜しみをせず、ステージを攻略すればそのステージやステージボスに相対して自分の意見や経緯をきちんと説明してくれるため、プレイヤーはストレスを考察の楽しみに転換して話を進める事が出来る点だ。彼が語らない場面も経過をきちんと追っているプレイヤーにはその理由が分かるように作られているので、プレイヤーと羿の意識にずれは少ない。たとえば弟分の「猿人」軒軒(けんけん)にアイテムのレシピ本を与えると料理を作るイベントが発生するが、一つだけ「材料が足りずに作れない料理がある」と言われる。羿はその材料を知っているが語らない。何故ならば「猿の戯れ」というその料理の足りない材料は「ハツ」つまり心臓であり、「猿」ということは・・・・・・と言った具合に、イベントやアイテム説明などから羿の思考とその変化をプレイヤーは読み取ることが出来る。文章で語るには冗漫になりすぎる部分を絵や音楽、そしてアクションで補いながら物語を読むという感覚が強い。

 方向性を急激に変えながらも得意部分をより進歩させ、アクションゲームとしては若干親切過ぎるかもしれないがその分丁寧に作られているということはここ数ヶ月何度も繰り返している評価だが、話という点に着目しながらプレイすると話を妨げないぎりぎりを見極めながらゲームが作られていくことが分かると思う。そんなややこしいことを考えずにプレイしてほしいというにはPCが必要というハードルがあるものの、出来ればコンシューマーに来てほしいゲームの一つでもある。誰かとこのゲームの話をしたいが為に機会があればこのゲームのことを書いている程度には好きなゲームになった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

:知らないことは調べるままに『九日~Nine Sols~』

2024年08月10日 | 雑記
*作品のネタバレが記載されています。未プレイの方はご注意ください。

 何だかんだとやられ続けながらもラスボスを討ち取ることに成功した『九日~Nine Sols~』はパソコンのみの展開であることが惜しいゲームだ。今後PSやSwitchなどのコンシューマーに移植する話もあるらしいが、具体的な予定などは発表されていない。話の深さに対してゲームは短めで周回もしやすく、有志によるMODでボスだけと戦い実力を磨くものもあるらしい。それはプレイしてみたいが、私のプレイ環境はあまり良くないので黙々と周回を続けている。最初よりは死ななくなったと思いたい。
 現在は似たようなゲームをプレイしているが、比較すると前回の日記で指摘した『九日~Nine Sols~』の親切さが痛いほどよく分かる。特に前回書き忘れていた中に、マップのアイテムの個数が全て分かるという機能がある。取り逃しの数をすぐ確認出来るので、無意味な探索はほぼ不要だ。とはいえ別のゲームの方は一マップを切り分けることで対策しているので、そこまで極端な差は感じないものの、アクションに集中させるために探索へ余計なストレスをかけさせないという工夫がありがたい。
 インターネットでは再生数がそこそこのYou tuberくらいしか日本人の実況動画はなく、なぜだろうなぜだろうと考えながら自分が楽しめた理由を振り返ると、なんとはなしに元ネタの神話や古典に親しむ度合いが問題なのではないかと思った。私は羿の神話や登場人物の一部の名前を中国の古典文学や志怪小説などから知っていたので、換骨奪胎のうまさを楽しみながら遊ぶことが出来たが、たとえば主人公羿の逸話でありゲームタイトルの『九日』の基である「后羿射日」神話の「十の太陽のうち九つを射落とし、一つだけを残した」という点を初めから知っているかいないかでは物語の緊張感が異なるのではないだろうか。「太陽」が一つしか残らないのであれば、その「太陽」は果たして何なのだろうか、という謎を解くために私は冒険を進めていたが、このゲームにおいて「太陽」という言葉には複数の意味が与えられている。そこを理解した上で「太陽は一つ残る」ということを振り返ると、最後の場面に至るまでの羿の冒険の意味を知ることができるのではないだろうか。
 意味を説明してしまうとエンディングの重要なネタバレをしてしまうことになるので口をつぐみたいが、このゲームに触れる人は増やしたいという気持ちもある。けれども話を全て説明してしまうと面白さが半減する。広めることの難しさを痛感する次第。さて、三週目を始めるとしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

:射貫かれる太陽のもとへ『九日~Nine Sols~』

2024年07月27日 | コラム
*作品のネタバレが記載されています。未プレイの方はご注意ください。

『九日~Nine Sols~』をひと月かけて真エンディングまでクリアしたと書くとこのゲームの難易度が相当のものに見えてくるかもしれないが、それは単に私が毎日ゲームする時間が無いだけでゆっくりと進めたためである。ゲームの作りはアクションゲーム初心者でも順応できるよう丁寧に作られている。赤燭遊戯のヒット作であり処女作『返校』は2Dホラーアドベンチャーであり、複雑な操作を組み込まない代わりに演出や物語を徹底するという作りであるため、継続したファンにアクションゲームの経験が少ないことを考慮して『九日~Nine Sols~』には気配りが行き届いている。

たとえば複雑な操作がどうしても必要となる戦闘では、大半の状況で敵とは一対一で戦うことができる。ラスボスを含めた全ての敵には攻撃の前の予備行動が(時間はどんなに短くとも)存在するため、予備行動を見て次に自分が取るべき行動を選択することが出来る。もちろんゲームが進むにつれて敵の行動と行動の間隔は短くなり、素早い判断と操作が求められるが、どんな敵でも行動パターンが定められているのでゲームの肝である「弾き」を決めやすい。「弾き」とは敵の攻撃に遭わせてタイミング良く防御ボタンを押すことで、ダメージを受けずに防御することが出来る操作だ。この操作を軸にして主人公羿を動かしていくことが本作の基本的な操作である。ボスなど行動パターンが複雑だったり素早い敵は何度も死亡しながら覚えることになるものの。

他にも地味にありがたい点が全てのマップの全ての部屋に後から戻れることだ。もちろん一回で探索を完了してしまうに越したことはないが、集団の敵を対処しきれずあきらめた場所や、クリアを重視して先に進んでしまった場合でも、再度探索することができる。ありがちな「一度しか行けない場所のわかりづらい場所にアイテムを隠す」といったことはなく、一度しか行けない場所には一切アイテムが無いという徹底ぶりだ。一度行ったチェックポイントへ自由に移動できるツールも中盤で手に入り、なおかつこれを手に入れるタイミングでほとんどの技能が揃うので、これを手に入れてから探索し直してもよいし、限られたスキルで進めるだけ挑戦しても良い。探索すると手に入る宝を持ち帰ろうとした道中で予想だにしない強敵に出くわしてパアになるのはご愛敬だ。それも探索の楽しみである、というには少々辛いかもしれないが。

話が面白い。元ネタを崩さない神話の使い方が嬉しい。たとえば農園エリアを管轄する勾芒(こうぼう)というキャラクターの名前の元ネタが春の女神であったり、毒を渡すことで体力の最大値を上げてくれる神農は神話でも薬効や食用を見分けるために毒のある植物を食べている。あとから調べても面白く、元々知っていればにやりとさせられる。そして主人公の羿は太陽を射貫くのだ。
彼が太陽を射貫くのを見るためにはそこそこ複雑な条件を満たす必要があるが、探索を徹底して一見おまけのような要素も攻略していくタイプのプレイヤーならばあっさりと辿り着き、そしてやたら強いラスボスが中々クリアせずに悶絶するだろう。とはいえこれまでの敵と同様に行動パターンへ慣れてしまえば十分突破はできるので、焦らず気長に攻略すれば応えてくれるというゲームである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

:赤色燈の映すもの『九日~Nine Sols~』

2024年07月13日 | コラム
*作品のネタバレが記載されています。未プレイの方はご注意ください。

台湾の赤燭遊戯(Red Candle Games)が2024年5月に発売した2Dアクションゲーム『九日~Nine Sols~』は、アドベンチャーゲームの前作『還願』と前々作『返校』から大きく方針を転換した意欲作だ。近現代社会から架空の宇宙世界へ舞台を移し、これまでの幽霊的な恐怖から一転して人造人間や機械、奇怪な生物が蠢くSFの世界の探索の楽しみが中核となった。中国神話「后羿射日」を元に主人公「羿(げい)」が神話そのままに「太陽」と呼ばれる支配者達を討ち取る冒険は、慣れてしまえば爽快な戦闘と共に楽しみながら徐々に明らかになる謎に胸をときめかせるある意味王道の作りだった。だが物語中盤のボス「蚨蝶(ふちょう)」のステージは別格である。
彼女のステージはこれまでのステージと異なり、精神世界を探索する物語だ。そのためこれまでのステージでは巨大な人工空間という舞台設定上出来なかった演出が許される、私が進んでいる時点では唯一のステージである。ここで二つのホラーゲームの演出が一気に解き放たれていった。

最初にプレイヤーが蚨蝶のもとを訪れると桃源郷のような桃色の雲たなびく温泉の前に半裸の艶めかしい蚨蝶が歌いながら座っている。留まるよう主人公に語りかける蚨蝶を無視して先へ進むと何故か元の場所に戻ってしまい、温泉にも湯治客が増えている。構わず先へ進むとまた元の場所へ戻されるが、道中に散らばるガラスの破片のような欠片に蚨蝶の姿が所々見え隠れする。この記憶を鏡やガラスのような透明な画面に映し出す演出は『返校』にも同じ場面があり、プレイヤーは進むにつれて彼女の記憶を掘り起こしていることが暗に匂わされているのだ。

そして記憶の採掘が深まるにつれて湯治客の表情は固まる。かっと見開かれた瞳は宙を見つめ、温泉を堪能していた口からは誰かを呪う言葉が吐き出されていく。ステージも最初は何もなかった桃色の空間へ、その裏へ隠されたものを剥がすような黒い光が差し込み、暗闇の世界と桃色の世界を行き来する複雑なアクションと共に鋭いトゲや武器を持った敵が現われるようになる。とうとう全ての湯治客が呪いの言葉を吐き出すようになると蚨蝶は正気とも更なる狂気とも感じられる表情でプレイヤーに、自分を痛めつけるよう懇願する。彼女は自分を罰することを望んでいるが、それを果たすために他人の手を必要としているのだった。桃源郷は失われて血の涙を流す湯治客こと、彼女と共に働いていた仲間達の影は彼女を責め立てて止まない。

プレイヤーが蚨蝶を痛めつけることで彼女の精神世界から解放されると、相方のコンピュータから蚨蝶本人は既に死亡しており、その肉体は失われていることが改めて告げられる。何らかの理由で死亡した彼女の死を惜しんだ何者かが、せめて意識だけは保たせるよう脳を巨大な機械に移植したらしい。けれどもプレイヤーが欲しい情報を蚨蝶の精神がアンロックしているため、プレイヤーは彼女の精神を「殺す」為に機械を通じて彼女の精神世界へ再度飛び込むのだ。この時表示される彼女の脳と、それを取り囲むように配置された大量の脳が痛々しい。その痛みを抱いたままプレイヤーはボス「蚨蝶」と戦わなければならない。

背景が素晴らしい。垂直に切れ目の入った彼女の後頭部を包み込むように、実験で死亡した彼女の仲間が指先から吊り下がる巨大な両手が門のように生えている。蝶が飾られた舞台の上に乗るプレイヤーと背中から蝶のような羽を生やした蚨蝶の対決が始まる。最初はこれまでのボスと同じようにボスの基本行動を教えてくれる練習段階だが、それを乗り越えた次の段階では後頭部の切れ目が開き、中から胎動する何かが垣間見えていく。三人に分身した蚨蝶の攻撃をいなすと幕が下り、もう一度開くと彼女の後頭部からは複数の目玉が嵌め込まれたような羽根を持つ巨大な蝶がリボンのように生まれて出てくる。悲鳴のような細い余韻を甘い声が延々と響かせるBGM「Smile at My Cursed Dream」も相まって、自由にステージを飛び回りながら蚨蝶の笑い声は泣いているかのような悲しみを湛えていく。精神世界の自由さを生かして彼女の記憶がプレイヤーに伝える物語は、先の二作の主人公達と同じ「罪悪感」であることがより切ない。

八人のプロジェクトメンバーを失い、さらに大勢の人が犠牲になることを知りながらプロジェクトの欠陥を表向き黙らざるを得なかった蚨蝶の罪悪感は彼女が死亡しても機械により終わらされることなく、数百年の時の中で自分を守るために蚨蝶は狂気へ陥った。誰かにその罪へ対する罰を与えてもらうことを望み続けていた。プレイヤーによって罪を痛みという罰で贖うことの出来た彼女は最後の最後で正気に戻り、穏やかに後を託して去って行く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

:『オッペンハイマー』クリストファー・ノーラン監督 二〇二四年三月 日本公開

2024年06月22日 | コラム
 広島の原爆の被害者とオッペンハイマーの非公式の対面で通訳を務めた方の、当時のオッペンハイマーについて語られた映像が広島で見つかったために映画『オッペンハイマー』の解釈にはまた新しい考察が浮かんでは消えるのではないだろうか。原爆の被害者と対面したオッペンハイマーは滂沱たる涙を流し、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と「ごめんなさい」を三回繰り返したとのことだった。通訳の方がオッペンハイマーの言葉として謝罪の日本語の中から「ごめんなさい」を選んだのは、あとから彼の涙を振り返っての心の混乱と表現を飾れないほど縁までいっぱいに迫り上がった感情を示しているようで、ふさわしいものだと思った。映画では時間の都合上オッペンハイマーの内心を強く描くまでは行われなかったが、この「ごめんなさい」の一言が、もし映画の撮影時にクリストファー・ノーランの耳に入っていたらなにがしかの影響は与えたと思う。映画のオッペンハイマーは人々から内心が分からず本音を掴めない、かといって掴み所はそれなりにあるややこしい人物として描かれてはいるが描写は淡く、彼自身というよりは原子爆弾を取り巻く時代背景を彼の口を通して語りかけているようだった。戦後の赤狩りに巻き込まれた失脚のための密室の尋問も、イギリスに留学して精神的に追い込まれた末に指導教師のおやつのリンゴに青酸カリを仕込む学生時代も、マンハッタン計画に参画してロスアラモスの巨大プロジェクトの責任者として働く戦中も、原子爆弾という理論が人間の手で現実に現われるまでを描いている。最初は特別な教育を受けた一部の人しか分からない文字列で表されていたものが、大学の一室で計器を使った観測に現われ、各国が競う中でいち早く世界に脅威を示すために場所と人員を集中的に集めた二年間で原子爆弾は形になり、そして日本へ投下されて数式は現実になった。おおぜいの学者がこのプロジェクトに関わる様が描かれてゆくが、オッペンハイマーがとくに取り上げられるのは計画の責任者というその立場ゆえである。原子爆弾を使用したという事実はその後のアメリカに取って有利なカードか不利なカードかわからない。いずれにしても当時の旧ソ連はアメリカが使うことを見越してしれっと自国で原子爆弾を完成させていたことはこの物語の裏拍として知るべき知識だと思う。なぜなら映画の最後にオッペンハイマーは「我々は世界を破壊した」と呟くが、それはアメリカだけではなく世界中の学者が世界を破壊したともいえることで、アメリカが最初の使用国にならなくてもいずれは原子爆弾の保持を各国は顕示したと考えれば、理論の時点で世界は破壊されていたのかもしれない。
 映画の中でも現実のエピソードとしてもオッペンハイマーは原爆の「結果」である広島の写真を直視できず目を背けていた。目を背けた彼が、死の一年前の1964年に「結果」そのものである被害者との面談に望み、「ごめんなさい」と繰り返した意識の変化は、彼の孫の精神に引き継がれていると思いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする