えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・終わり明日の今日始め

2018年12月31日 | コラム
 何かを書くと言う事はたとえ架空のことでも自分のかけらを外に出すことであり、そこに自分がいない文章はいない。という前提は一見文章や会話を自然言語で構築するAIの登場で覆されたように見える。けれどもAIは人間という原料がいなければ動かない。言ってみればこの機械は人間を燃料に動く機械であって、人間がいなければ当然ながら存在意義やデータという動力源を失う。そしてこの機械は人間が野生動物を家畜へ都合よく飼いならしたように、人間を自分の原料としてよりふさわしい方向へ変えてゆく。ただし、今のところその変化をもたらそうと判断する権限は人間がまだ握っているので、人間が人間を変えてゆくという構図はたいして昔から変わっていないだろう。
 それでも人が直接やり取りする人と人との関係の数は減り、介在という行為そのものがしょうばいになり、さらにそのしょうばいは効率化され過程の見えない「ブラックボックス」に織り込まれてゆく。見えない過程を読み解く作業は人の心対言葉で行われてきたが、そう遠い話ではなく、人の心対人の心を操る機械対言葉対人と大量の交渉人を挟みいつしか、自分が話している主体と自分の主体すら己にはわからなくなるのかもしれない。
 それはそれで新しい人生であり、新しい人生から加齢という形で徐々に人は退場するようにうまく、とてもうまく出来ている。

 二〇一八年はいかがお過ごしされましたでしょうか。言葉が年を経るにつれて短く、また軽く、意味も薄まるただなか、未だにインターネットへ長文のブログを掲載できる場が存在することはまだ運があると言う事なのでしょうか。いつかはサーバのバイト数で掲載文字数も知らぬ間に切り詰められる日が来る、或いは唐突にサービスが終了するといったことも起きるでしょうが、少なくとも今年一年は文字という形のサービスが保たれたこと、そして来年もまたこうして自然言語のツールがあり続けることを願いつつ、今年一年の納めといたします。
 あと少々の今年をよく過ごされつつ、よき来年がそれぞれの皆様へ訪れますように。
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・やり残しのゆうべ

2018年12月29日 | コラム
 目が違うよと笑われた。昨晩一杯いただいた飲み屋の主人は寒さで赤くなった顔をほころばせ、ベランダで吹き曝しの段ボール箱から泥のついたレンコンをいくつか取り出し、あずき色のビニール袋に入れて狭いカウンターの後ろを通り、階段を下りて行った。
 意地でも明日来ますと宣言したものの、仕事納めもろもろの疲れをきれいに酒が抜き出した調子の悪さは正直だった。眠って起きると既に日は高く、行くと言い張った喫茶店はとっくに店を開けていた。喫茶店が夜になると小さな飲み屋になる店は少し角を入った見つかりやすそうで見つかりづらい場所にあり、とつとつと電車を乗り継いで店に入ると普段よりも明らかに多い客が席を占めていた。幸い空いていたカウンターへ席を占め、注文して昨晩も読んでいた本を読み続けていると飲み屋の主人がやってきていた。
 入れ替わり立ち代わりに客が喫茶店の店主に挨拶する。クリスマスをものともせず掃除を済ませたらしいマダムが、網戸を早く洗い過ぎてもう汚れちゃっているのよ、と愚痴をこぼした。左隣ではたつくりをストーブで作っていた昔の話を懐かしそうに、頭へ白いものが混ざった老婆が隣の客へ話しかけている。店のあちこちには彼女たちが置いたと思われる買い物袋が整然と積み上げられていた。さつまいもを買い忘れていたわ、と、また客が一人立ち上がり勘定を済ませる。彼女たちのいちいちは窓の下を歩く人たちよりも余裕を持って、余裕の合間にいきつけの店へ次から次へと挨拶しているらしい、と、会話からうかがえた。そんな中、そういきつけにしている客でもない自分は義務が済んだ後の気の緩みに任せて本のページを捲っている。
 帰宅する列車の網棚にはちょくちょく松の青い葉を見かけた。夕方に近づいてピークに入る直前の空いた時間、車両で響くのは「おりる、おりるの」と泣きじゃくる少女の声ばかり、うんざりして車窓へ目を向けると雲に頂点を隠された富士山が青黒い影になって過ぎ去っていった。
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・物のやりとり

2018年12月24日 | コラム
 クリスマス・イブが来ても年を取った現在に気にするものは明日の朝よりも明々後日のゴミの日の予定である。だいたいのおつとめ場所が指定している今年の勤め日の最終日28日を過ごした後に「ゴミ箱を空にしてすっきりと」新年を迎えるための掃除の最後のチャンスがクリスマス・イブなのだ。
 外は風が強い。埃がどこの家の窓からも飛び出してゆく。燃えないゴミの日は明日、瓶や缶はとっくに終わり、段ボールはまだ。布もまだ。処分のために動かなければならない日にわざわざ物を増やす行事がクリスマスである。大人になるにつれて、ひょっとしたら大人同士では物を贈りあうのが鬱陶しくなったのかもしれない。だからテレビの特番の大半はその場で消えてなくなるおいしい食事や、その場にモニュメントとして佇み家に持ち帰る必要のない名所ばかりなのだろう。
 邪魔にならないものを贈ることは難しい。ものが邪魔にならないことも難しい。そうしたらこの時期の一番良い贈り物は贈り物をしないことではないだろうか。たとえ贈り物が無くなっても何も思わなくなることは互いが大人になったということなのだろうか。
 汚れる白いおもちゃを手遊びに、細い髪を雲間から差し込む光にすかしながら、母親にしりとりをせがむ電車の隣の席に座った少女には、まだクリスマスの贈り物があるのだろう。
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・きみの土曜日

2018年12月22日 | コラム
 曜日の感覚が久しぶりになくなっていた。目が覚めたら日曜で、自分への言い訳にもならない朝だった。けれども眠ってもいられないので目覚ましに合わせて起きる。年末だからと人の多い日曜だった。クリスマスを前にして贈り物探しに足を速めるデパートの6階では、脈絡もなく登場したサンタクロースがハンドベルを鳴らしながら「メリークリスマス!」と人々に呼びかけ歩いていた。

 土曜日に何をしていたかはあまり思い出したくない。せいぜいが数十時間前のことなのだけれども、2時間程度歩いただけで痺れる足と合わない布団にやられた形の寝不足からくるどろりとした疲れ、下腹から突き上げるような鈍い腹痛はお手洗いに行けども止まず、とぼとぼと冬になりかけたぬるま湯の空気の道路を歩いていた。目的はあったものの、その目的地に辿り着くにはまだ時間に余裕がありすぎた。

 丘に登って山をくるむ霧を眺めた。横手の道からジャージ姿の中年の夫婦連れが登ってくる。「前を向いて歩きましょう、そうしないと仕方ないもの」とピンク色のジャージの妻が黒と青のジャージの夫に声をかけて足を進めさせていた。おはようございますと挨拶をすると、戸惑った様子でおはようございます、と二人は返事して私の歩いた道を下って行った。視線を感じて振り向くと、夫の方が私をちらりと振り返って見ていた。

 携帯電話にはメールが一件届いていた。勤め先の友人からだった。今は子育て中でとても遠出はできない彼女はのんきな独り者からのメールにも、たぶん笑顔が見えそうな文字の並びだった。少しだけその朝の心がほころんだ。

 ほころんだ心もすぐに12月の冷たさに落ち込んで、夕方になるころには数年前に椅子から落ちて痛めた左足の膝が老人のように歩くことを嫌がっていた。バスの窓へ顔を持たせかけるのも鬱陶しくなった自分の姿勢は良かったのだと思う。その足で電車に駆けこみ、ようやくまともな睡眠を得たのも束の間、乗り換えに乗り換えて家に辿り着いた頃にはとっくに普段の帰宅時間を過ぎてそろそろ寝ようかともいう時間だった。荷物と共に疲れがほどけるようで、ぼんやりと着替えぼんやりと夜を過ごして眠った。

 そしてこれを書いているのは月曜の24日。ただ疲れただけとも言い切れない背骨の疼痛が収まらないまま、座り込みながらNHKの2002年に作られた「ボヘミアン・ラプソディ」の特番を聴いている。
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・野良猫の歩く庭

2018年12月08日 | コラム
 物心ついたころには町の気風もあったのか、野良犬はいなかった。彼らは本や漫画だけの産物だった。一方の野良猫は近所を自由に闊歩して、容赦のない子供の集まる学校だけは敬遠して姿を見せなかったものの、公園や近所の庭やブロック塀の上に彼らだけの居場所を確かに作り上げていた。小学生の時に一度だけ、近くの公園に「段ボール箱に入れられて捨てられていた子猫」もいた。甲高い声をあげて兄弟猫を互いに押し合う彼らの周りには大小問わず人が集まり、かわいそうね、どうしたらいいの、どうしよう、と、責任を負わなければならない「拾う」という単語を避けるゲームでもしているかのように眉をひそめて声を交わしあっていた。

 子猫は目の端や耳にやにや垢の溜まったきたならしい姿だった。「拾ってください」の文字もない段ボール箱へ無造作に入れられ、そう高さはなかったと思われるが、子猫たちも自ら外に出ようとはしなかったし、周りの人間も抱き上げようとはしなかった。彼らを先に見つけた親切な人が置いたキャットフードも散らかされ、子猫たちは元々の汚れと相まってかわいさよりも汚さの方が目立っていたのだろう。私を含めた子供すら、誰も子猫に手を出すものはいなかった。「病気なのかしら」と、若い母親らしき女性の言葉を皮切りに、風も冷たくなってきたので三々五々集団は解散した。帰宅して母親に「捨て猫がいる」と告げても母親はどうにもできないといった返事を返した。

 そんな猫もいれば、猫嫌いの家に迷い込んで怒声と共にブロック塀と針金の塀の隙間から道路に逃げ出し、数か月後には立派な成猫になって勢いよく公園と道路を駆け回っていた白黒の猫もいる。朝、ガレージから出ようとする自動車の下から慌てて抜け出し、温かい寝床だった場所をうらめしそうに見つめる猫も見かける(自動車の下は彼らにとって安全で温かい寝床のようで、冬場に猫へ間違いがないよう車を勢いよく叩いて猫を追い出す「猫バンバン運動」なるものもあるそうだ)。狭さに強い体の柔軟さが幸いしてか、彼らはどこかで増えてどこかでえさを調達し、人の家の庭をどっしり太った体でのしのしと歩き去ってゆく。

 足の太いキジ猫が、窓の外を悠然と去っていった。夜の公園のベンチに香箱座りで居座り、近づくとこちらを黄色い目でじっと睨みつけるふてぶてしい面相の猫だろう。しばらく前までは華奢な体に不似合いな威厳のメス猫がこの辺りを陣取っていたが、その息子か娘かもしれない。いずれにせよ猫はうるさくなくなった世論と緑化運動により増えた茂みを立てにして、順当に彼らへ与えられた時間を使い代替わりを繰り返してゆくのだろう。庭一つをコンクリートへ変えないよう腐心する人の気苦労はいざ知らず、別の猫がまた茂みの下へと潜っていった。
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・ぷらっと自販機

2018年12月01日 | コラム
急にそれが飲みたくなったので自販機を探して歩いた。確かビルの裏側だったはずだ。
ドクターペッパーのアメリカンチェリー色の缶がないかとのぞき込む。無かった。
それ以来のこのごろ、自販機を見つけてはドクターペッパーが無いかのぞき込む癖がついて仕方がない。
もはや味すらも覚えていないのだけれども、確かに「ああこんなところで売っているのか」と無造作に無視をした
自販機のどれかにドクターペッパーが売られていたことは記憶している。
それだけに探し出せないことが惜しく、折角の休日も目線はだいたい赤い色の自販機に向いていた。
らしき姿を見つけたと覚えても「メッツコーラ」という別物で、ドクターペッパーは見当たらない。
とうとう繁華街を過ぎて観光地までやって来てしまったが、当然のごとく酷評される飲み物が置いてあるはずもなく、
無難な緑茶や温かい缶コーヒーを並べる自販機へそれでも目線を合わせざるを得ない今日に憎たらしさを覚えた。
ドクターペッパーはない。
こうまでして好きな飲み物ではないはずなのだが、道端の掘り出し物を買わなかった後悔に似た寂しさがたかだか
100円程度の飲み物へ執着しようとしている。
理由はともかくわからない。記憶違いを認めようとしない意地の話かもしれない。
理由はともかくも脇にして、次の自販機にドクターペッパーが無いか目を凝らしながら、気が付くと足は既に
自販機のない自宅近くへと進んでいた。
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