えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『翔んで埼玉』 ごとうち哀歌

2019年03月30日 | 映画
 たぶんいくつかは埼玉県在住の方も知らないだろうお話まみれの『翔んで埼玉』は、映画館で何も考えずに笑うことが許される映画だった。諸事情で群馬県に辿り着いた主人公の目にする「秘境」にプテラノドンを飛ばすところは、魔夜峰央の漫画をかたっぱしからめくればどこかにありそうな風景で少し笑みがこぼれた。

 冒頭で魔夜峰央本人が登場し、本作が必ずしも特定の県を悪くいうものではないといった注意とともに映像が始まった。美少年役を演じる二階堂ふみが「埼玉県民は草でも食っていろ」と顔をゆがめて叫ぶシーンは意外と少なくて、もっと罵るところは見たかった。顔をゆがめるアップはさすがに女性のものやわらかい顔の線があらわになるものの、怒鳴るという表情を作るために動く眉根や頬の筋肉のおかげでうまくごまかされていた。主人公のパートナーのGAGTOと、その父親役の京本政樹については突っ込む言葉が見当たらない。二人が真顔で見つめあい、親指と人差し指で丸を作った手を交差させる「さいたまのポーズ」で意思を疎通させる場面でほぼ説明は完了してしまう。はまりすぎていて笑いをこらえている周囲の空気が重かった。

 基本的に埼玉県を全方向から攻撃するスタンスで、パンフレットにも埼玉県の人に頭を下げる二階堂ふみとGAGTOが登場しているが、一通り見るとあやまるべき対象はどっちかといえば東京都ではないかと思う。二階堂ふみの本拠地である白鵬学園のクラス分けは23区とその他大勢に分けられ、八王子と田無がきっちり差別されていたのに対し三鷹と吉祥寺にはノータッチである。最終的に埼玉県の民たちは東京都庁目掛け一揆を起こすが、武蔵野市に青梅市や奥多摩、桧原村に小笠原諸島もついでに加わってもおかしくない「他県から見た東京は23区と三鷹と吉祥寺」を象徴するような東京の使われ方だった。ついでに西葛西が東京都内ということはこの映画で初めて知った。

 こうして文章をものしてしまうことで映画としては十分に効果があったわけだが、ご当地話とともに魔夜峰央の漫画の表現を実写にした時のシュールさは原作を読みながら楽しみたい。中心人物がきらびやかすぎる服装で登場するジャブとともに、いじめられる埼玉県をもんぺや国民服、野暮ったいセーターとスカートで象徴してしまうところはあっさりとしながら見どころだと思う。とりあえず関西以西には間違いなく通じづらいせせこましい格差だが、「ごとうち」に狂気的になるさまを他山の石にする心持で映画館に向かえばほほえましい気持ちになれるかもしれない。そのほうがむしろうらやましい。


※新しい一万円札の柄が渋沢栄一に変わった。『パタリロ!』映画版の後はこれを受けた続編を見てみたい気もしなくはない。
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:観客の視線と

2019年03月23日 | コラム
 五条坂から清水寺に続く坂道は何本かある。バイパスと高速道路の交差する、日本橋とそう変わらない道路の交差点を渡れば間違った七五三のような大人の群れが市バスを待って狭い歩道にたむろしている。その人混みを避けるならば、入り口付近にたむろすタクシーのおかげで妙に大きい駐車場と見まがう大谷祖廟の坂を上れば通らしく見えるだろう。親鸞聖人由来の墓所だが建物は無個性に新しいので構えることはない。目指す道は御堂の裏手にある。
 山肌一面に「南無阿弥陀仏」と彫られた浄土真宗の墓石が新旧入り混じって林立する坂道は、ご本尊を祀る本堂を舞台に見立てると巨大な劇場のようでもある。この舗装された道をずっと登っていけば、静かな環境に包まれながら清水寺へ行くことが出来るのだ。少なくとも看板にはそう書いてあった。
 鞄を肩にひっかけてジーンズにTシャツでのこのこ墓地の傍を登る観光客に突き刺さるのは、ところどころに配置された仏花やろうそくやお線香を売る店からの視線である。そこここの水場も、夏場でのどが渇いていようが手を差し伸べる親切はなさそうだ。幸い自販機とゴミ箱は先の店の近場に据え付けられている。
 清水寺と大谷祖廟の丁度中間点にはちょっとした休憩どころがあるので安心だ。小さな神社の拝殿の傍らにはベンチと屋根があり、鬱蒼と茂る木々がうまい具合に日除けになって心地よい。そこらをねぐらにしているらしい明るい茶と白のぶち猫が、うさんくさそうにつかず離れずの距離の茂みからこちらを伺っていた。
 登るにつれて坂道は急になり、右手にはずっと墓石が連なっている。宗派が違うとはいえ、夏の日光を浴びて明るく清水寺に背を向けている佇まいはいっそ清々しく見えた。道は徐々に細くなり、墓を取り囲む森が近づいて先は暗い。いぶかしみながらも来てしまったものは仕方ないのでとぼとぼと歩みを進めると、鉄格子のような金網の隙間から小さく赤い塔が見え隠れしていた。
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:雨天啓蟄

2019年03月09日 | コラム
 雨が降っていたのでタクシーを使った。金を支払い早足で玄関へ向かう途中、分にも合わない悲鳴を上げていた。足の裏から平たい水風船を踏んだような感触がじみじみとやってくる。恐る恐る足をあげて地面を見ると、手のひらより二回りは大きいがまがえるが雨の路上に蹲っていた。鞄から携帯の懐中電灯を取り出してこわごわ照らす。幸い胴体ではなく手足の水かきを踏んだようで、一見してカエルは無事な様相だった。この近所には蛙が出る。

 近所のどこかに池でもあるのだろうか、何年かおきに見かけている。夏場の夜にぼんやりと散歩をしていると、公園の砂場を取り巻く草むらで向こうさまもぼんやりと電灯を見上げていたりする。背中の毒のおかげで野良猫の牙からは免れているようだ。昼間に見かけることはない。どこかで寝ているらしいが、昼間に見かけたことはないのでわからない。とにかく道路を平然とのし歩きながら近所の土のある庭を住処にしているのは知っていた。三月にしては温かかったせいだろう。今年は二月も温かかった。春雨にふさわしくぬるい雨だった。そうして冬眠から覚めたのだろう。

 懐中電灯に照らされた蛙はしばらくぼおっとアスファルトに座っていたが、そのうちにのそのそと歩き出して数センチほどの段差を億劫そうに乗り越えて近くの家の門の隙間からその家の庭へと這っていった。

 とりあえずは安堵して踵を返そうとすると、かかとを見上げるように先のやからよりも大きいもう一匹のガマガエルがどっかりと座り込んでいた。
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