えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

河井雅夫「サルの目 ヒトの目」読了

2009年03月31日 | 読書
久しぶりに行きつけの古本屋にいくと、
お風呂屋さんの番台のようなレジの前に、
大量の「三国志」(横山光輝)の単行本が積み重なっていました。
こうした本は売れてゆくのに、たぶんオヤジの趣味なのでしょう、
レジの左側の本棚を上から下まで占める、澁澤龍彦の本たちは、
もう6、7年近く通っている間に、増えてゆくばかりなのです。

:平凡社ライブラリー「サルの目 ヒトの目」河井雅夫著

二年ほど前に亡くなった河井隼夫のお兄さんです。
文化人類学者で、サルの生態学を専門に調査している方だそうです。
やっぱり長兄だけあって、隼夫さんよりもかっちりした、でもリズムのよい
日本語の、学者さんらしい言葉の使い方です。

「サルの目 ヒトの目」は、サルの社会の仕組みを丁寧に語りながら、
そこから見出したステップを、ヒトの進歩の過程と比較して結びつける、
学術書よりのエッセイです。
サル、とはいえ、ここで主に語られるサルはチンパンジー、ゴリラの類人猿達です。
いずれも、人類の進化のプロセスを辿るための資料として、
その暮らしぶりや社会が重要視されています。

そして、河井さん描く、ゲラダヒヒという、エチオピアに住む
サルの行動がほほえましいです。
河井雅夫さんは、1973年から74年まで、一年かけてエチオピアに住み、この
ヒヒの仲間の群れを観察しました。

『朝、断崖で寝ていたゲラダヒヒたちは、崖を登って上の草原に出てくる。
 それを待ち受けて、私は彼らの仲間に入れてもらう。
 そして、彼らが歩けば歩き、停まれば停り、休息する時は休息して、
 彼らの生活のリズムの通りに動く。』

彼らはオス一頭とメス数頭の、「ユニット」という小グループが集まり、
さらにその小グループがいくつか集まって「バンド」という大グループを
形成しています。
この大グループの中では特定のリーダーがいません。
つまり順位がありません。(ユニットにはあります)
そして、大グループも小グループも、なわばりを持ちません。
これはどういうことかというと、群のメンバーがとっても自由だと
いうことなのです。

出るのも自由、入るのも自由。
チンパンジーなどの類人猿、ニホンザルなど普通のサルたちも、
こうしたシステムを持ちません。

現在地球上での絶対数が多いサルの大半は、なわばりを持ち順位があります。
太古から現代へと続いてきた種のシステムの大半がこれを採用している、
つまりなわばりと順位制は種にとってとても効率的なシステムなのです。
でも、効率的なシステムをとらなかったゲラダヒヒも今に残っている。
数こそ少ないですが、エチオピアの高所を選んだ彼らの天敵はいません。

そうしたところで育った社会性を、たぶん、河井さんはいとおしみ、
穏やかなサルたちは河井さんの中に深く残ったのだと思います。
ゲラダヒヒを文章に落とし込む、動きの語彙よりも生活のシステムを淡々と
解説してゆく過程がとても熱っぽくて暖かいのです。


最後に、平凡社ライブラリー版には、かつて単行本の装丁を担当した
安野光雅があとがきを書いています。
このあとがきが、またよいのです。
「ゲラダヒヒ」を「ゲダラヒヒ」の方が言いやすいからとこれで突き通し、
とどめのまとめのせいで、ある東洋文庫を読む気にならされました。
違う書評してますよね、安野画伯。

*一部のヒトへ
ちなみに、今回のゲラダヒヒの話を引用した
『「なわばり」の無い世界――ゲラダヒヒの高原にて』
の章の初出は、1975年1月の「諸君!」(文芸春秋)です。
どっとはらい。
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似たものどうしたち

2009年03月30日 | 雑記
お別れラッシュも今日が最後なのかも知れません。
いつもの人たちだけで集まって、交差点でさよならした時も、
また来週、普通に会えそうなのに不思議な気持ちです。

人と会うのに慣れるまでに時間が随分かかりました。
会う、から、会話する、まで、また時間がかかりました。
つまるところ不器用さを再確認していた4年間だと思います。
きわめて個人的で幅がせまいのです。

でも、でも、この4年間で、特に後半の2年間に会えた人たち、
そのままの私がそばにいることを許してくれた人たちに出会えたことは、
ほんとうにほんとうに感謝としあわせのきわみだと思います。

たくさんことばと気持ちをもらいました。
どれだけ私は返せたのでしょう?
誰かに何かを与えた覚えがまるで無くて、しょうもないこと
この上ないのです。

けれど、もっといろいろと、やっておけばよかった、とは思いません。
自分の段階がそういうもので、出会いたい人とそれぞれ最良の時に
会えたのだと思っています。
いろんな人に会わなくて、もったいないな、とは思いますが、
本気で後悔はしていません。


お世話になったいろんな人たちに。

会えてほんとうに嬉しくて、幸せです。今はこれしか言えません。
また会えたとき、とっくりと話しましょう。
これからも、よろしくお願いします。
頓首再拝、です。


以下私信。

当分は、もう会えない人へ。
たぶん、ああして笑っておしゃべりできたのは、互いに4年生になってから、
ではないでしょうか。ずっと器用なひとだと思っていました。華があって、
視点の切れ味がするどくて、人と関わるのに物怖じしない人だと。
うらやましくて、でもどう近づけばよいのかわからなかった素敵な人。

そういう人から逆に先にもらった、
「うらやましい」
ということばが、今ゆるやかにひびいています。


(過剰反応だったらホントーにすみません)



なぜでしょう。
よくわからないのです。
でもことばをもらった時、なんとなくピンとくるものはありました。
けど不器用なのでうまくいえません。
借りた言葉で、どうか返事にさせてください。


 あなたは私のしたい事をしてくれた
 あなたはあなたでありながら、それでそのまま私であった
 
 あなたのこさえたものを 
 私がしたと言ったならあなたは怒るかも知れぬ
 でも私のしたい事をあなたではたされたのだから仕方がない

 あなたは一体誰ですか
 そういう私も誰でしょう
 道ですれちがったあなたと私 
 
 あれはあれで あれ
 これはこれで これ
 言葉なんかはしぼりかす

 (中略)
  
 過去が咲いている今
 未来の蕾で一杯な今
  
  ――河井寛次郎「手考足思」より 』

卒業おめでとう。そして今日はありがとう。
こちらこそ、これからもよろしくね。
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過コラム:桐野夏生「メタボラ」

2009年03月28日 | 読書
PCに向かうとかきたいことが全部ふっとぶので困っています。
とりあえず、ヴィルヘルム・ハンマースホイの図録が欲しいです。
売り切れでした。
目が肥えている人ばっかりでしょんぼりです。

2007年6月の文章
:「メタボラ」 桐野夏生

 桐野夏生の顔を写真でみた。西川史子みたいにきれいできつくて、深い知性のある目をしているひとだった。もっと若いかなと思ったら五十を超えている。はじめは男かと思ったくらい、淡々とした文体のどこを探しても、極端な女くささはなくさばさばとした読み口だ。狭隘な関係をねちねちと追うしつこさよりも、会話の微妙な応酬と、ポイントを絞った状況説明でつづられる瞬間を、丁寧に描くことでくっきりと表現した関係性はむしろ、普段の生活に限りなく近い。よく練りこまれたこしあんみたいに、なめらかな舌ざわりだけど濃い味だ。
 ふたりの主人公、昭光とギンジ。若さの弱さを微妙に持ったふたりのそばには、誰かしら人がいて本当の孤独にはなかなかならない。部屋でつぶやく独白も、常にそばには誰かが眠っていることがほのめかされている。話の合間合間に移動する場面では、きっと彼らも一人寝をしているのだろうけど。一人になる場面がほとんどなくって、独白の場面でも強くだれかれと結びついているシーンが語られる。よく見ればからめとられて動けなくなりそうなほど、登場する人たちは彼らとむすびついてゆく。ヒモと化して女の家に転がり込んだかと思えば、ゲストハウスの人間に雇われたりとめまぐるしく人は登場する。
 沖縄という舞台の、言葉がもつイメージとしての暑さ、熱帯特有のまとわりつくような空気が関係をさらに深め、ふたりが関係にはめられてゆくさまは、川の流れのように、上から下へとさも当然に流れてゆく。物語を目で追う分は、ただ出会って、別れて、と、とても自然に続く。人のつながりは途絶えない。ゆるやかで絶対な流れに安心して身を任せば、さわやかな海へと広がり満足して本を閉じた。
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ぐらでゅえいたー

2009年03月23日 | 雑記
ぺかぺかの証書と引き換えに学生証を渡して、
とうとう私も卒業生――
ぐらでゅえいたーの一員になりました。

ここからが勝負どころなのに、未熟なまま病院を出てゆく
新生児のような気分がします。
実際生まれた時はひどくちっこかったそうですが。

でも今も、その時とそう変わっていないのでしょう。
せめてちっこいままでも、背伸びはしないようにしたいと思います。
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カポーティ「遠い声 遠い部屋」読了

2009年03月20日 | 読書
口調がちがいます。
でも、コラムではありません。

書ききれなかったことを先に。

T・カポーティと言えば、村上春樹が『ティファニーで朝食を』を
訳しています。ちらりと見ましたが村上春樹はアメリカの感性が上手いので
やっぱりしっくり合うのだと思います。
けどこの作品ばかりは、河野一郎のウェットな訳のほうが
合うのじゃないかと思います。


:『遠い声 遠い部屋』 新潮文庫 トルーマン・カポーティ作 河野一郎訳

カポーティが本作を書き終えたのは、二十二歳のとき、
筆をとったのは、二十歳歳のときだという。
二十歳を越して、初めて髪を巻き上げてパーティに出た私は、
巻き上げた髪のもとでこれを読み終えた。
そして巻き上げた髪をくしけずって元にもどしながらこれを書いている。


主人公、十三歳の少年ジョエル・ノックスが、離れていた
父親のもとへ戻り、そこで過ごした短い時間のうちに、
そこにあるもの全てがゆれうごき、変化する様子を
ジョエルの歩調で描いた『遠い声 遠い部屋』は、
きわめて作者の感情があふれる小説だ。
インスピレーションでも、論理でもなく、
ただカポーティの感情が、小説を組み立てる言葉のつむじから
つまさきまで裏打ちしている。

小説のストーリーが感情的、ということではなく、
あくまでそれをいろどる言葉の使い方に、
このときのカポーティの感情があふれているのだ。


『やがて夕闇が空をぼかしはじめると、ちょうどやわらかな
鐘の音が三階を知らせてでもいるように、愁いに沈んだしじまが
すべてを静寂一色に塗りこめ、にぎやかな声も夕べを急ぐ鳥のように
静まり返ってゆく。』―p25


十三歳のジョエルを取り巻くもの全ての描写が、
こうした丁寧な比ゆと、河野一郎が選ぶ古めかしい言葉で
描かれている。
その描き方はとびぬけて美しくありながら、誰よりも冷静に
言葉を見つめ、選び、話とともに組み立てた構成物であるところが
ほんとうにすごい。

そしてここで語られている一連の変化すべて、最後に……る
ジョエルの目線の先にあるものに集約される一瞬(文章なのに、
確かな一瞬があるのだ)に、

おとなになる、という瞬間へのカポーティの思い、疑問、
煩悶が取り残されている。

だから、たいがいの読み手は、十三歳のジョエルよりも十やそれ以上
もう年が離れていると思うのに、この作品がそうした人たちを
ひきつけるのは、ジョエルの変化に自分を回顧するのではなくて、
もっと近場、二十二歳のカポーティ自身のゆらぎが(特定は出来ない
けれど)ジョエルに託されているからこそなのだと思う。
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みなもと太郎:「ホモホモ7①、②」読了

2009年03月16日 | 読書
あっ、タイトルでひかないでください!そんなマンガじゃありません!
(どういうマンガだと勘違い) 


:「愛蔵版 ホモホモ7」 さくら出版 みなもと太郎作 1999年

この人の作品では、『風雲児たち』が有名でしょうか。なにしろもう20年以上も
連載を続けている漫画です。
関ヶ原の戦いから始まり、明治維新で終る予定の本作は現在『コミック乱』
(リイド社)にて連載されています。最近は結構ちょんまげが減ってきた
気もしないでもないような。
『冗談新撰組』これは三谷幸喜版「新撰組」をごらんになっていた方は
どこかで耳にしたことがあるかもしれません。
コメディータッチの黒鉄ヒロシみたいな漫画家です。歴史漫画家の印象だけを
見れば、の話ですが。

昭和45年初出の『ホモホモ7』は、いっぽうで歴史のレの字すら出てきません。
女だらけのレスレスブロックと、男の威信をかけて戦う
ホモホモブロックの情報員、セブンが活躍するお話と、まとめられれば
いいのですが。

「それは、サインペンで描き殴ってあった。
実にいい加減な3等清のキャラクターと、リアルな8頭身のお姉ちゃんとが、
同じ画面に収まっていた。」(二巻 いしかわじゅんの寄稿より)

いしかわじゅんだけでなく衝撃を受ける作画です。
第一話「ホモホモ7 只今参上!」の表紙、足先がはみ出した小粋な構成の
8頭身のお姉ちゃんを左半分に(お尻がちょっと大きめで、すこし線を下めに
やわらかそうな描写はムネよりも気合が入っています)、右下の倒れる男の
手、劇画調の集中線の奥に、ホモホモ7らしき帽子を被った男の影があります。
お姉ちゃんと手よりも圧倒的に単純化された線の影に不安を覚えながら
ページをめくると、夜の街と銃声の劇画が始まります。

お、大丈夫かな、と思いながら数ページ。

ホモホモブロックの構成員がやられてしまいました。もっと腕利きの
彼を載せた車が基地へとやってきます。
集中線とブレーキのオノマトペを下に、下りてきた男、ホモホモ7。
刑事コロンボばりのくたびれたコートとガニまた、長すぎるモミアゲとネクタイが
チャームポイントのいい男!

仮にニコニコ動画でこの画像を上げたら、この時点で
「作画崩壊」のコメントが大量に流されるかと思います。

最近の魔夜峰央の作品でよく使われるような、四コマ体型とシリアスの
使い分けに手法はよく似ていると思います。ただ、魔夜峰央がコマ割自体を
一つの作品の中で四コマとシリアスにわけ、キャラクターの作画の同一化を
護っているのに対し、みなもと太郎はそんなことしません。
先のいしかわじゅんの言葉通り、劇画と3頭身が同じコマに容赦なく登場します。

でも、魔夜峰央も『パタリロ!』で、
3頭身のキャラクターと8頭身のキャラクターを同じコマでわやわやさせて
いるのに何故ホモホモ7がおかしいのか、と言うと、
『パタリロ!』の場合は、初期の作品を追うと分かりやすいのですが、
もともと同一化させていたキャラクターを、話が進むにつれ整理した結果
としての混在がなされているのに対して、
みなもと太郎は初めから混在させており、画風の統一をする気がない、
というところが、いしかわじゅんも指摘していますが斬新な挑戦だったと
いえると思います。
何よりもこれを、「少年マガジン」という大舞台で行ったのが、
みなもと太郎の面白さをのぞかせる一幕でしょう。

斬新な作風が人気に直結しない不合理なものである限りは、排除される、
そういう運命をこの作品も免れず、単行本二冊程度の分量で連載は終りました。

連載は終ったものの、こうした実験作を打ち出す根性、そして
『風雲児たち』まで続く、みなもと太郎の節回しの発端を
垣間見ることの出来る一作です。
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過コラム:松浦理恵子「犬身」

2009年03月15日 | コラム
昔書いたコラムです。
女性作家つながりで出しました。

書き終えたのは2007年の12月となっています。
:『犬身(ケンシン)』 松浦理恵子著/朝日新聞社 2007年

「わたし、あなたのしっぽよ」(NHKみんなのうた『しっぽのきもち』より)

 ふりふりとわたしの頭のてっぺんでしっぽが揺れている。前髪をはじめ全部の髪をきゅっとひとつにまとめた髪束は、尾骶骨のないただの「ポニーテール」。でも『犬身』の主人公八束房恵はヒトでありながら犬であることを望んだ結果、毛だけのモドキしっぽなんかではない心にあわせてぶん回せる尻尾を、犬の体ごと手に入れることとなった。

 松浦理恵子という作家は、二十年近く前に文学界新人賞を受賞したのに現在まで刊行されている作品はやっと十冊と、寡作の作家だ。小説は六冊、長編は十四年ぶりらしい。その割に文体は昨今の女性作家に共通する口当たりのいい読み口なので違和感を見せない、なかなかの腕前だ。
 
 そんなさらさらした筆致で、大好きな玉石梓に犬としての名前「フサ」を与えられた八束房恵は、梓の犬として過ごす姿が描かれている。けれど、せっかく新しい器官を手に入れたのにフサはあまりしっぽを振らない。感情はことばと口を中心にした表情を中心に構成され、犬特有の無意識のしっぽの動きは文中ほとんど無視されている。『犬身』なのに犬のからだには付加的にしか触れず、鳥の皮を生で口につっこむようなねちねちした食感を押し付けるヒトの描写に力点が置かれているのだ。小説中八束房恵は「人の魂と犬の魂を半分ずつ」持っているとされているがどう転んでもフサは彼女、という代名詞にぴったりの人間で、雄犬のからだに入っているという設定をすっとばしてフサは「彼女」のまま突っ走る。その姿ははっきりと人間的だ。
 
 たぶん作者は自身、このキャラクターをどうしたいのか最後までわからなかったんじゃないだろうか。犬と人間、オスと女のはざまで迷う前に、傍観者か主観者かという物語の役割の時点でフサは宙ぶらりんだ。しっぽの振りより身の振り方を考えなければならないWeb連載、作者の焦りが犬としてのフサを失わせてしまい結果、全体続き物ながら違和感を覚えてしまう。(787文字)
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民芸うんどうをかんがえてみる。

2009年03月12日 | 雑記
「保存て何?」

再度アーツ・アンド・クラフツを訪れた後に、一緒に行った
友人の問いかけた言葉に深く考えさせられていました。

イギリスの、ウィリアム・モリスらが目指したことと、
日本の、柳宗悦が目指したことの違い、というものについて
つれつれ述べていた時です。

私は、モリスらの活動の目的は、あくまで技術の伝承、
伝統の技術を使い現在有益なものを作ること、つまり思考の方向性としては
未来に向っている、ととらえています。
これに対して、柳宗悦たちは、民間に伝わる技術ではなく、無名の作家たちの
製作したモノ自体に興味の方向性が向っている、つまり、作るという現在から
未来にかけての活動ではなくて、あくまで過去のモノに対して視点がむいている、
と捉えることができます。

柳宗悦たちは昔のモノ自体を保存しようとする目的が、モリスたちとは
全く違うね、という話をしていた時、先の友人の問いかけが現れたわけです。

彼女が訊ねたいのは、「保存の方法」ではなくて、
「保存の意義」についてでした。
何故人は、過去のモノをとっておきたがるのか。
どうして過去のモノをとっておくことは、意義があるのか。
過去のモノをとっておこうと考える人は、何を持ってそれを正当化するのか。
誰のためにとっておくのか。

(言葉で誤解を与えてしまっていたら申し訳ありません。)

大意としてはこうしたことを彼女から問いかけられ、
まだ回答が出ないままもどかしい指で文を書いています。

ただ、美術のことだけについていえば、保存することの奥底にあるものは、
「個人の美意識」
突き詰めて言えばこれだと思います。
たとえばブリジストン美術館の所蔵品が「石橋コレクション」であるように、
誰か一人の、力を持った個人が、
「後の人にも自分の感じた美しさを感じて欲しい!」
と思うところが保存運動のスタートだと思います。

個人をスタートラインに据えると、柳宗悦たちはモリスの影響を受けたとは
いえ、それが自分の感覚に適合した上で、「価値がある!」と強く思った
からこそ、全国を行脚して木喰の像たちを発見したり、大津絵や李朝を非常な
熱意で集められたのだと思います。
当然、単なる個人の思い込みではなく、そこには美術を通して彼ら一人ひとりが
学んだ美意識と言うものが人に通じるものがあったからこそ、今にも残っている
ということは重要ですが。

では、何故昔の人の美意識が現代にも通じるのかな、という問いがのそのそと
ここで出てきました。

で、民藝運動で柳たちが示したものを、私たちはどういう感覚を持ってキャッチ
しているのかな、と考えると、実は、「美しい」と感じた時点でもう彼らと
同じ感覚を持っている、つまり彼らは非常に先鋭的な考え方をしていた、という
ことがやっと実感できました。
後世に残る理由は、先を見ないで先を捉えるという感覚にあったのかな、と
つれづれ考えていました。

言いたいことが多すぎるのですが、うまく文にできません。うう。
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チェン・カイコー監督『花の生涯――梅蘭芳』鑑賞

2009年03月08日 | 映画
民芸運動の本を熱く語る予定が(予定があったのか)、
すっかりこちらに気を飲まれていました。
宮城谷昌光の「花の歳月」と名前を混同するアホーにも、
ピカデリーの受付嬢は冷静に対応してくれました。
パンフレットを買い記念品をもらって映画館です。

『花の生涯――梅蘭芳』09年公開 チェン・カイコー監督 新宿ピカデリーにて先行公開

『さらば、わが愛――覇王別姫』という映画をご存知でしょうか。
もう15年以上前の映画となりますが、やはりチェン・カイコー監督の、
京劇役者をテーマにした作品です。
本作は、この「覇王別姫」という演目を十八番とした実在の名花旦、
梅蘭芳(めい・らんふぁん)の限りなくノンフィクションに近いドラマを
描いたものです。

梅蘭芳は、「覇王別姫」の演目自体が彼の実力を最大限に引き出すため
製作されたり、彼の演じ方が敬愛され、「梅派」と呼ばれる新風を
伝統芸能である京劇の世界に吹かせたほど、実力と華のある名優でした。

映画は、パンフレットの写真にもありますが、非常に華やかな前半と、
戦火やアメリカ公演の大舞台に際する梅蘭芳の穏やかな抵抗の後半と、
まったく色が異なるつくりとなっています。
そのつなぎに、梅蘭芳をバックアップするオリジナルキャラクター、
邱如白(スン・ホンレイ)を上手く狂言回しとして入れることで、
前半と後半で役者が変わることを(当然似た人物を使っているのですが)、
抑えており見やすい印象を受けました。

往年の梅蘭芳を演じる、レオン・ライの無表情がよいです。
「芸を極めるものは孤独でなければならない」
という、(おそらく)作品のテーマに沿って、舞台を降りてもキャピキャピ
していた若年から、「舞台を降りたら一人の男」に、変化してゆく過程、
階段の上から見下ろすシーンがいくらかあるのですが、どれも口の端があまり
動かず、目の色も変わらず、映画が進むにつれてどんどん孤高になる空気を、
こまやかに演じている気遣いが感じられました。

本作は『覇王~』に比べるとハードな恋愛など感情の動きが乏しく、
宣伝媒体の美しさに比べて通してみれば一見、地味な出来に仕上がっているかと思います。
ですが、意識しているのかしていないのかは分かりませんが、『覇王~』と
同様、梅蘭芳と対象の位置に邱如白を置いた構成として捉えると、そこには
かなり激しい動きがあると思います。
梅蘭芳が動から静へと心が静まってゆくのに対し、人生をかけて彼を支え、
手段を問わず冷徹な判断をくだしながらも最後には、
憤り、悩み、絶望する動的な変化を見せる邱如白という人物の姿は、
カメラこそ梅蘭芳に向っているけれどもその影としていつも傍にある、
二人を同時に見ることで改めて、名優・梅蘭芳の生涯が浮かび上がる構造に
なっているのではないでしょうか。

歳をすこしとったせいか、丸メガネのインテリ・邱如白という人物の見せる
人間臭さを好もしく思います。「ダメな文化人」そのものの見かけですし
ほんとうはそこまで強くないのに、壮絶な喧嘩別れをしながらも、義兄として
手を差し伸べた梅蘭芳を拒絶した時の目、まったく強くないんですね。
とても弱っちい往年の姿です。ひどく情けない老いの姿です。
でも弱い彼がいるからこそ、梅蘭芳の強さが分かるのだと思います。

日本人として見なければいけないところは当然あるのですけれども、
まずそっちへ目を向けてしまう、これは人間を濃密に考えて作っているから
出来ることなのかな、と思いました。
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民芸うんどうはおもしろい。

2009年03月05日 | 雑記
とはいえ言うほど読書量が多いわけではないのですが、
リーチと同時に河井寛次郎のエッセイ2冊を読了しました。
そして火曜日のひなまつりに、ひなをまつる気持ちゼロの日本民藝館へ
吶喊(突撃、のかっこういい言い方)いたしました。
東大の近くにあるんですね。

日本民藝館は、東大の西門を出てまっすぐとろとろと歩いていると、
突如角に出現する不思議な建物です。
旧柳宗悦邸と向かい合って立っているこの建物は、
昭和のコンクリートと瓦屋根、木造建築がうまくかみあった、
一見質素ですが細かいところに気配りのあるあたたかい建築物です。
さんざん書いた「アーツ・アンド・クラフツ展」に今展示物を
貸し出しているせいか、現在は大津絵という、江戸時代に東海道大津宿の
名物となった絵をメインにした展示を行っています。

大津絵の画題は、ある程度決まっているようで、仏画のほかに雷神さまや、
藤娘が有名です。個人的には顔が隠れているところがまた色っぽい女虚無僧も
いちおしなのですが、無名の画家達の腕は、シリアス・写実を目指したものでは
腕のほどがちょっとアレかなあと思ってしまいますが、
逆にへんなものほど完成度が高い、鬼とかなまずとか、
綺麗に書こうと思わないものは筆致がのびのびしていて見る人をまったく緊張させません。

こうした人を緊張させないところが、日本民藝館のつぼだと思います。

普段着を買うときと、ブランド物を買うときを考えてみると、緊張、という
意味がお分かりいただけるかと思います。
ブランド物って、使うにしろ飾るにしろ質草にしろ、覚悟がいりますよね。
ところが西友とかのセールで、一品900円ほどで売られているものは
わりとのびのび割り切って使うと思います。
こういうものを主に誰が買うのか、というと、普通の人の方が圧倒的ですよね。
日本民藝館が保存しようとがんばったのは、普通の人に使われていた
普通のものだったんです。

リーチや寛次郎に触れた後で考えると、やはり、
「人が使うものを作る、無名の匠の芸のすばらしさ」を伝えることが
そもそもの民藝運動で柳宗悦たちが目指した柱の一つだと思うのです。

だから、日本民藝館に展示してあるものは、
皆「使ってくださいね」という謙虚さを持っています。建物から中身まで全て。
(あ、ミュージアムショップは省きます。はがき以外高くて)
アイヌの首飾りから李朝の巨大な壺まで、
普通のひとたちに使われていたという誇りがあります。
絵ですらも、床の間や壁にかけられて、普通の人の吐息の下にいたんだなあと
ほっこりさせられるのです。

絵は美術品じゃない、飾りと言う道具なのだ!
なんて叫んでみたりします(実際は道具全部に友人とボケツッコミしてました)

ですが、そうしたことを、表現とか芸術とかむつかしいこと抜きで、
身近なものを普段着のまま作り、使ってゆくことは、
ほんとうに難しくなってしまったと思います。
過去のものを今と比べてどうこうするわけでは全くありませんが、
心根のたいせつな部分で、こうしたものを振り返り、感じる心はせめて
後世に伝えてゆくことが今は大切なのかなと思います。

なんだか説教臭くなりました。
あと私は、日本民藝館と東京都美術館のまわしものではありません。
念のため。

リーチと寛次郎の本に関してはまた後日書きたいとおもいます。
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