沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩491 問題 12の3

2013年11月29日 09時35分18秒 | 政治論

 シジフォスの神話はまさに今ここにある。この神話の際限の無い劫罰は勿論神が存在するからあり得るわけで、神がないとすれば、ある人間の手が働いていると考えるのが自然だ。で、仲井真知事は神ではない。従って、彼が神のようにこの擬似神話をストップさせるということでもない。彼の右手か左手の動きで決すると断言することはできやしない(県民はこの国の政府を決して信頼するに足るとは思っていないからだ)。何がここにはあるのか。アメリカ合衆国があり財政危機を抱えていて、日本政府とその実質的政治主導の担い手たる官僚がいて、この官僚のスポークスマンたる政治家がいる。しかも忘れてならないのは、多くの人民があり、大半が地元の不如意に悲嘆し、オスプレイの脅威に慄いている。大雑把に言って米国米軍基地に関して、又その実際上の展開内容において、アメリカ合衆国はやりたい放題をやっているし、やってきた。その本質的な有り様においては全く変更がないし、なかったし、今後もそうであろうと、思われている。勿論県民は大概、このことを望ましく思っていない。むしろ積極的にこれを受容、強化、深化させようと言うのがこの国の政府の方針であり、それは県民の反感を買っている。ひとつは基地の偏在性であり、これを是正しようとしない差別された関係性に対してだ。本土の日本人は一般に、琉球沖縄が置かれている多面的な現状について殆ど無知で、無関心で、おのれらが70%以上賛同している日米安保体制の不動産担保(米軍基地施設)の74%を負っている事実については、概ね見て見ぬ振りをする。これを政治的無関心というがそればかりではない、実はこういう実情の過半は、理不尽な政府対応に対し帯同して抗議の声を上げないその同胞感のなさ、同一民族の窮状へのドライすぎる態度によって引き起こされているのである。しかも対中国、対北朝鮮、対テロ、といった眼に見えない仮想の敵を想定した軍事的展開を実践する米軍自衛隊の訓練を、しばしば「沖縄近海」でやっていることは、それだけでも非常な不安感と危惧感を県民に起こさせている。ましてや事実上米中日が海上で小競り合いするに至ったなら、真っ先にその流れ弾が県土に突き刺さるのだ。誰が好んでそのような危険地帯に安閑と通常生活を送りたいなど思うものか。彼等は間違っている。あいつらはみんな滅びてしまえばいいのだ。(つづく)



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