沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩491 問題 12の2

2013年11月28日 09時08分17秒 | 政治論

 井上ひさし氏の仙台一高時代の同級生で憲法学者樋口陽一氏の話として大江健三郎氏が九条の会の講話で語っている中に「立法事実」という語があった。言わば憲法制定事実なのだが、今の日本国憲法が作られた動機、といったものだ。そしてこの憲法を根本から変えようという安倍政権の画策に、こうした憲法制定を「決意」した日本人の当時の心境、思い入れ、意気込み、あるいは並々ならぬ反省といったものに対する軽視、忘却、「目をそらす」行為を見、我々日本人は厳しく警告し諫止し抗議し、こうした軽挙盲動を食い止めるためにもう一度原点に立ち戻る蛮勇を奮う必要がある、ということだ。あの時何があったか。この度の大震災原発爆発事件は為政者らの無反省、居直り、開き直りによって真逆の方向へ走り出した。原発技術の軍需的拡散、再稼動ありきの情報操作、がまかり通り、あの2011/3/11は一体何だったのかわからなくしている。米国連合国戦勝国押し付け憲法という見方は、結局、15年戦争に対する何らの反省も後悔も当時の日本人にはなかったかのように考えることだ。歴史的事実に対する正当な認識のないところに未来などあるはずもない。韓国大統領が世界中でこれに言及していることを、「被害国」観点の当然の対応だということに気づかねばならない。一方、熾烈な、史上稀に見る悲惨な戦争を体験した琉球沖縄の思いのなかに、どうしてかくも明らかな戦争忌避の念が存在し続けるか、顧みることだ。この、極めて不快で肯んじがたい体験から、更に新たに軍事基地を設けようと言う「辺野古移設」は、明らかに馬鹿げた到底ありえない逆行行為だということに気が付かない日本人は、まことに度し難い民族だ。(つづく)



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