沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩622 琉球独立戦争の端緒 12

2016年08月20日 16時44分19秒 | 政治論

 かつても今も日本人は「ノー」と言えない人種だと言われている。しかしこれは極めて皮相な見方でしかない。我々の見るところこうした言われようは欧米的な立ち位置で発せられた欧米的な評価にほかならず決して日本人の真髄には言及してないものである。ではおまえはその真髄を言えるのかと言えばこのようにしか言えない。つまり、日本人は元々曖昧さを基調として自己主張が苦手な、現状肯定的な生き方が性に合っている人種だと。こういえば、多くの民衆は大概保守的でおとなしく大勢に従う種族であり、日本人と限らず人間の本性がそうなのではないか、と言われるかもしれない。そのとおりでありそれだけを取り上げれば日本人は一般的な大衆的迎合主義を地で行く存在かもしれないのだ。

 この一般性という在り様は日本人にはどのように表象されるのかというと、ある単一な選択を迫られた場合、傾向として安全性、無難な選択肢、際立つことのない意見、といったところに手が動く、ということだ。これは勿論統計的なものであり、総合性の強い振り分けではある。勿論、心身に直に迫る感覚に関わる事柄についてはある程度バランスを破って自己主張しないこともないが本音のところを隠し、あるいは曖昧にし、一般性に仮託する傾向は日本人に顕著に見られる。

 何故、こうした日本人の、あるいは人間にとって特徴的な表象とは真逆な、民衆の強い自己表出が沖縄県でははっきりと打ち出されるのか、という疑問がある。簡単な話で、それは全て米軍基地の問題性から導かれた、直に生存生活あるいは環境に影響し被害化される実体験が、ここでは絶え間なくあったからであり、放っておけばこのまま未来永劫同じようなことを繰り返すのではないか、と大きく危惧している民衆がいる、ということだ。これは民主主義がどうこういう問題ではなく、まさに人間の差し迫った死活問題である。

 一方、島津侵攻で王府が日明(のち日清)両属的な地位に甘んじた(そのこと自体には本質的に重大な隷属実質はなかった)後、琉球処分という明らかに武断的強迫的に行われた一独立国の隷属化が、沖縄の民族的逆境実質を準備したことは恐らく疑いようもない事実だ。

 明治維新以降の大日本帝国が欧米風近代化という歴史的進歩主義において失敗した(近代化路線としての帝国官僚体制から生じた机上企画の強国主義が結果として欧米を敵に回しアジアにさえ敗北させられた)のは、琉球沖縄にとっては二重の不幸であった。この錯綜する歴史的境遇(近代化とこれの失敗、アジア独立解放と日本の閉塞的孤立.....米国傀儡化)が現今沖縄の運命を熾烈な悲劇的空間に導いていることは今我々が目撃している通りではある。つまり、近代化の失敗と共に米国の傀儡国家に落ちた日本国の、そのまた一種の属領となっているかつての琉球国沖縄県、という状況では、複相化し縺れ合って様々に入り組んだ関係性が発生し、一筋縄ではいかない将来を暗澹たる予感のうちにぼんやり見ていることになる。

 琉球沖縄の最終的な頼みの綱とは一体なんだろうか。ニライカナイ、ノロ、御嶽(ウタキ)信仰、歌舞音曲、エイサー、豊年祭、ダイナミック琉球、月々のウガン(御願)、拝所、......筆者にはこうした異質だが民衆的な諸々の仕草の中に漂っているマブイの息吹が、永続的で果てしなく思え、そこに自らも引き込まれる感覚に時折忘我する。

 何事にもにこにこしているおじいおばあを見ると、自分の身を守ろうなど少しも思わなくなる。この人たちの喜ぶ姿を見たくなり羽目を外して踊り出したくなる。(中野重治がどこかで同じようなことを言っていたっけ。)沖縄でそういう心持に成れたのは筆者の唯一の幸運、幸福であった。(つづく) 



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