沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩514 到底許し難い日米両国とその民 8

2014年04月19日 13時50分28秒 | 政治論

 余りに「本土対琉球沖縄」局面が多岐にわたるため大方の記憶は渾然と一体化し析出するのは一事に尽きる。それでそのことはさして重要なことではない。国家と米国が突き進んでいるのは、現実には北部訓練場過半返還代替ヘリパッド建設行為であり、手続き上は普天間飛行場返還(代替?)辺野古新基地建設行為である。前者については野生種保護、ノグチゲラ営巣期(3月~7月)の現在条例通り工事音はストップされている(2基目のパッドは完成されてないのに、ほぼ完成したと県の認識)。但し、例えば先日米軍ヘリが「誤って着陸した」とされた未必の故意事件があったように、いつ何時供用されてない一基目ヘリパッドを米軍が密かに使わないとも限らず監視の「座り込み」はその後も継続されている。一方、辺野古については調査設計に関し続々と入札公告が防衛局から出されていて、既に落札業者が決まったものもあって、先ごろその調査業務につき辺野古漁港使用許可申請が名護市に提出された。ところがその提出時書類について何の説明もなく余りに無礼でコソ泥まがいのやりかただったため、例の県提出「環境アセス書」事件並にうさんくささばかり際立って、稲嶺市長にあってはこの国とその手先どもの低劣なモラル性に辟易する思いがあったようだ。

 これとは別に八重山地区中学公民教科書選定を巡る文科省と竹富教委との確執は、傍らで見ていても極めておぞましい国家主義の横行を、この美しい島々に見なければならない不幸として、同じ県民には悲しくも腹立たしい経過を辿っているとしか思えないのである。いずれにしてもしつこいばかりの国家主義者下村文科相の脳天に鉄槌が下されんことを。(つづく) 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。