沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩514 到底許し難い日米両国とその民 9

2014年04月20日 08時51分09秒 | 政治論

 個人があり社会があり村があり島があり国はない。個人が抱える感情と理性の生活「苦」は一切から途絶されて孤独な日常と集団的思惑の狭間に揺れ動く。

 国、というと、本土という言葉が出てくる。ここ琉球沖縄には国というものはない。勿論政府もない。安倍晋三もいないし菅も下村もいない。国家主義なんて知ったことじゃない。それはナチスの代名詞みたいなものだ。ナチスはヒトラーという気違いが国民をだまくらかしてアーリア人絶対優越主義で有頂天にさせ、熱狂のうちに国家運営した先は地獄だった。地獄とはありていに申せば自分のしていることが殺戮、絶滅、殲滅、弱い者いじめ、効率的抹殺、絶滅計画のお先棒担ぎ、であってもそのことに気づかない状態を言う。与那国に勝手に自衛隊基地を持ってきたあの連中は、そこに住む人々の思惑など一顧だにしない連中だ。辺野古破壊の防衛局は、シロアリの様なものだ。彼らはおじいおばあが老体下げて抗議しても知らぬ存ぜぬの、ただの物体と化す。

 辺野古の海辺では海上抗議パレードが行われ、10年前の海底調査ボーリング阻止行動の再現事態に直面している今、いよいよ意気盛んに「非暴力で戦い抜く」シュプレヒコールを上げた。「怒ったら負け。平和的に抗議活動を続ける」としている。(つづく)



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