沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩305

2011年03月30日 17時07分24秒 | 政治論
 極東裁判の功罪はすでに様々な論議の中で論点が洗い出されたのかと思うが、一方イラクやアフガンあるいはリビアなどと勿論反対に結果としては真逆な不成功に終わったばかりかその後遺症さえ引きずることになったベトナムやら、所謂近代から現代に至る欧米列国の世界史における歴史的行為につき公明正大に率直に論議することは意外と疎かだという事実から、国際連携などという欺瞞、グローバリズムなどという取って付けた偽物の世界史観を大鉈でぶった切って、はっきりと実態を見極めようとするとどうやらこうした物質世界に決定的に欠けている精神の優位性こそ、哲学文学人文科学が命がけで奪取すべき最大の目標だといっていいのだ。恐らく政治への絶望を精神の崩落と勘違いしている。むしろとりわけ21世紀における10年ほどの世界の暗澹たる情勢は精神の無力感によっている。カフカの箴言「この世には精神の世界しかないという事実は人間から希望を奪って確信を与える。」東北の無力な寒村農漁村を無慈悲に襲撃した大地震大津波は未だに発見覚束ない遺体の捜索さえ放射能に阻まれ、磐石に見えた東日本の岩盤を徹底的に根こそぎ揺るがして、未だかつてない悲惨な歴史を刻もうとしているが、殊更大関東震災を脅威視するものではないとはいえ、「日本沈没」だけはどうにか食い止めているとして、今ここに思考するに世界は一体その精神の歩みをどこに定めているのかと、沖縄のヤンバルの森を眺めながらただただもどかしい思いに地団太踏む感じだ。何故なら多分現今世界を席巻しているだろう欧米的精神についてアジア的東洋的観点からして大変な不条理矛盾を見るにつけ事は極東裁判に始まってその見え透いた不当性、は勿論、評価のなかにつきまとう非妥当性やみるからに欺瞞を抱懐する彼らの主張などは柔軟なアジアの目にも余るということだ。つまりは敗戦国たる日本の当時の事情が拙速に戦後を選び取ったという功罪は別として、裁判が持つ「人道的規範」のでっちあげがもしそうでないというのなら当然アメリカの無差別爆撃、沖縄住民絶滅戦闘、そして原爆に関してまさに重大案件として争点化すべきだったに関わらず一切不問に付されたこのでたらめさは、戦後世界の精神的堕落を準備した大罪といっていえなくない。何故このような偏頗で不公平な世界史が現代の開かれたはずの自由で民主的な精神において何食わぬ顔で横行するに至ったかについては多分多くの世界の著名な文芸作品やら論文がいみじくものたまうているように人間の行為はその複雑怪奇な部分において古代からなんの進歩も改善も勿論革命もありえなかったのであり、その残虐さや嫉妬偏見妄想の類には本然の性根に巣食っているものとしてとらえるしかない事実だ。(中断)


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