沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩371 敗戦 3

2012年09月01日 10時17分10秒 | 政治論
 世界一危険な軍事基地というラムズフェルドの感想が日米関係者たちに共有されているかどうかはともかく、すべての出発点はそこにあったと解釈していいのだろう。当時の太田知事は基地全面返還の取っ掛りを普天間に定めたのであり、それが状況的には普遍妥当な方向だということは誰の目にも明らかなことだと思われるのだが、この、沖縄の基地公害意識とアメリカ世界軍事戦略構想との齟齬は、植民地主義と民意との確執という本質の典型的な表徴であり、と同時に、経済大国であり民主憲法国家であるはずの日本政府が傀儡的にでもある日米安保同盟関係堅持路線を一歩も出てず、米植民地主義同断の沖縄軍事基地偏重姿勢を決して崩さなかったという、当事者にしてみれば明らかな「差別政策」と難ずる根拠は十分にあるわけだ。ここにはアメリカの、「沖縄戦」により「分捕った領土」という意識乃至感覚が未だに露骨に継続されているのであり、「軍国主義」乃至「戦争経済主義」が明瞭に合目的化する人命軽視国策優先のあらゆる「こじつけ」を正当化する流れが形成される下地となっているのである。オスプレイはその具体例にほかならない。見よ、世界一危険な軍事基地といった舌の根がかわかぬうちに世界一危険な飛行物体をそこへ配備しようという、恐るべきでたらめを。これを軍人論理という。勿論論理でもなんでもない、ただの誤魔化し、こじつけ、ゴリ押し、机上作戦、欺瞞偽善、戦わない将軍たちの美酒美食、引くに引けない力の支配、などなど。かかる破天荒な粗雑な行為に血道を上げるこの国とアメリカを、沖縄県民は指をくわえて呆然と眺めているわけには行かない。ナチスに人間狩りを許したユダヤの無力を再現するのは人類史の汚点にしかならない。じわじわと民衆にひた寄せる国家権力に対し、日本国憲法前文にあるとおり「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。我らはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」(この場合代表者を含め選挙制度多数決原理等本質的に検証される必要があるのだが)ために堂々と、自己の住空間を確保しその恒久的使用を保証し、かつ頭上に我が物顔に飛来する戦争機器に対し、速やかに退去するよう命じていかねばならない。ロシア、中国、韓国にちょっかい出されても全く起動しない日米安保同盟という、無駄な国税負担関係外交は即刻廃棄処分にしなければならない。恐らく沖縄はじめ在日駐留軍を撤退してもアメリカにとっては屁でもなかろう。現に海兵隊はオーストラリアはじめ南西太平洋に分散移駐され始めている。つまり戦略上の方向性からは日本列島は余り重要とは言えない実質に変わりつつあるようなのだ。(中断)


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