今年も67年目の敗戦記念日を何げに通過してしまった日本国なのだが、かつて「チャンコロ」と馬鹿にしていた中共に経済大国世界第二位の地位を掠め取られ、「朝鮮人、朝鮮人とパカするな、同じメシ食ってとこちかう」と言わせていた国の首領に我が物顔で領土内を闊歩させている。おまけにどう見ても殺人的環境破壊飛行物体(と、自国ハワイでの訓練計画を中止したのだ)にほかならぬオスプレイ沖縄配備を、「アメリカ様が仰るところですのでこちらからは何も言えません」といって平然としているし(オスプレイ配備計画は米国軍部のこじつけ理論で推し進められているもので、沖縄はじめ日本国はその人体実験に供されるわけだ)、つまるところ、「敗戦」を内面的に受容し検証し総括するごく当たり前の精神労働を怠って(戦後復興と高度な経済成長に血道をあげながら)、対外的には旧態依然の「敗戦国待遇」に甘んじて倦むところがないこの国の保守停滞主義こそ、日本人にとって最大の敵だという証拠ではある。
欧米に追いつき追い越せで発進した近代日本がある意味偉大な明治精神に則り(それがなぜ偉大かはわからない)自国内で急速な進歩を遂げたときは、確かにアジアの後進国の範たるべき要素を十分に持っていたのだが(アジア各地から留学生が押し寄せていたのだ)、不幸にも貧国が、勝つべきじゃない相手清国露国に偶然にも勝ってしまったのが運の尽きであった。途端に欧米列強の圧力と干渉の嵐にさらされ不平等な講和条約を結ぶはめになってしまった。不平等とはいいながら当時の国際情勢からすれば力の差は歴然としており、むしろ大いなる外交的成功を収めたと解してもそんなに違和感はなかったように今では言えるのだが、どっこい「日比谷交番焼き打ち事件」のような民衆の反発反応に国内騒然となり、やがて大正デモクラシーとともに「大時代」的な明治気質(それがどういうものかは判然しない)は影を潜め、混沌とした自由(価値概念による理念的淘汰を経ない自由)が齎らす翼賛化しやすい大衆的エネレルギーの横溢、という傾向が主流となっていく。つまり「統帥権」という法的曖昧さを温存してしまった結果、軍部の暴走を食い止めることができず、昭和の悲劇を齎す量的な集積回路をこの時点で準備したと言える。天皇制国体の周辺に現人神の強制的盲信によって盲目に集結する国家総動員体制が、国中に自然醸成されるのに手間ひま要しなかったのだと思われる。
さて敗戦が、半ば初っ端から決定づけられていたという太平洋戦争の後付け論の一理は、ABCD包囲網による物資の枯渇、という全くの物理的理由に基づくものである以上、翻って戦略的有効性の研究による「勝利への方程式」はゼロだったのかと問うと、「やってみなきゃわからない」程度のところで妥結していた参謀本部の実態があった。これを見切り発進というが、国家の大事を決定する最高戦争指導者会議の実情がこの有様では奈落への一本径は原爆2発でピリオドを打つ方向へどこまでもまっしぐらだったわけではある。これを今の大飯原発再稼働によく似た流れと見るのは一人二人ではあるまい。オスプレイにしても同断である。「落ちてみなきゃわからない」、では人の頭の上を飛んでもらうことは到底受け入れられないに決まっている。(中断)
欧米に追いつき追い越せで発進した近代日本がある意味偉大な明治精神に則り(それがなぜ偉大かはわからない)自国内で急速な進歩を遂げたときは、確かにアジアの後進国の範たるべき要素を十分に持っていたのだが(アジア各地から留学生が押し寄せていたのだ)、不幸にも貧国が、勝つべきじゃない相手清国露国に偶然にも勝ってしまったのが運の尽きであった。途端に欧米列強の圧力と干渉の嵐にさらされ不平等な講和条約を結ぶはめになってしまった。不平等とはいいながら当時の国際情勢からすれば力の差は歴然としており、むしろ大いなる外交的成功を収めたと解してもそんなに違和感はなかったように今では言えるのだが、どっこい「日比谷交番焼き打ち事件」のような民衆の反発反応に国内騒然となり、やがて大正デモクラシーとともに「大時代」的な明治気質(それがどういうものかは判然しない)は影を潜め、混沌とした自由(価値概念による理念的淘汰を経ない自由)が齎らす翼賛化しやすい大衆的エネレルギーの横溢、という傾向が主流となっていく。つまり「統帥権」という法的曖昧さを温存してしまった結果、軍部の暴走を食い止めることができず、昭和の悲劇を齎す量的な集積回路をこの時点で準備したと言える。天皇制国体の周辺に現人神の強制的盲信によって盲目に集結する国家総動員体制が、国中に自然醸成されるのに手間ひま要しなかったのだと思われる。
さて敗戦が、半ば初っ端から決定づけられていたという太平洋戦争の後付け論の一理は、ABCD包囲網による物資の枯渇、という全くの物理的理由に基づくものである以上、翻って戦略的有効性の研究による「勝利への方程式」はゼロだったのかと問うと、「やってみなきゃわからない」程度のところで妥結していた参謀本部の実態があった。これを見切り発進というが、国家の大事を決定する最高戦争指導者会議の実情がこの有様では奈落への一本径は原爆2発でピリオドを打つ方向へどこまでもまっしぐらだったわけではある。これを今の大飯原発再稼働によく似た流れと見るのは一人二人ではあるまい。オスプレイにしても同断である。「落ちてみなきゃわからない」、では人の頭の上を飛んでもらうことは到底受け入れられないに決まっている。(中断)