沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 22の4

2013年03月10日 22時59分22秒 | 政治論
 ウィキペデアを読んでいたらエドガー・スノーの項で、毛主席にインタビューした際に、主席が自身を「破れ傘を差した孤独な修道僧」といった、と訳したところが、実は「やりたい放題」という意味の誤訳だったと書かれていたのだが、この間違いの所為で、もともとのイメージが変わることのないのを確かめたところで、毛沢東の基本的な思想が老荘にあっただろうことは容易に想像できる、ということだ。
 スノーの受け止めた毛氏の人間性が、彼自ら指向しているところに当てはまって、どちらかというと孔孟の道を指していることに気づかされる。
 ところが彼スノーの生涯を通覧すると、彼が贔屓目に見た中国革命乃至毛沢東思想というのは、実は毛沢東自身が否定し抹殺しようとした、儒教的モラルの理想像を見ようという試みのように思われる。
 ここに奇妙な東洋対西洋の関係性が湧きたち、相容れない文化的異種性を感得する。アポロとバッカスが混淆し両立する東洋の「道」概念が、ストア的な生き方のみ正論とするかのような欧米アングロサクソン的立ち位置を呑み込む。
 中国を理解するということは、この間の機微を了解することであって、およそ東洋へのアプローチは、日本・韓国・北朝鮮も含め、合理性という刀で根こそぎ国柄を外力で捩じ伏せるのでなく、外交的正攻法以外の戦闘的試みを排したところで、漸く対等のテーブルが置かれるのではないかと思われる。
 沖縄において、沖縄県民に否定される位置に不作為に確置し、軍事力を誇示するアメリカのやり方は実にナイーブさを欠いたものなのだが、その全責任はアメリカ大統領という米軍最高責任者にしかない。アメリカ合衆国の沖縄理解は、大日本帝国が琉球処分によって沖縄琉球を民族的に併合し、圧政を敷いたということに過ぎない。米軍民政府支配のもと何故祖国復帰運動が島ぐるみで生じたか、もとの「圧政主体」に帰属したがるか、彼らは理解できなかったに違いない。しかしながらもし基地も返還され米軍が沖縄を去っていたならこの祖国復帰運動はまさに沖縄琉球の、東洋への回帰だったといえたはずだ。残念ながら日本という国もアメリカもこうした機微には明察を欠いていた。(つづく)


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