沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩531 考察 20

2014年05月29日 19時29分46秒 | 政治論

 沖縄県知事仲井眞弘多が9月上旬訪米するというのだが、稲嶺名護市長の訪米は5月上下旬に2週間程度行われ、米政府関係者乃至識者などの「合意案の撤回、見直しは困難だ」という認識と「計画は元々無理がある」という意見が混淆する内容で示され、市長は「県民の多数が辺野古移設に反対し、計画は混迷する」と状況説明し今後の動向が一筋縄ではいかないことを伝え、「手続きだけ先行していっても地元住民の反対のなかではうまくいくわけがないし、一層市民力が結集されるだろう」とも述べている。県知事の埋め立て承認が米国側に移設の進展を印象付けているのだが、その知事が知事選3か月前に訪米する狙いは恐らくは選挙対策乃至その出馬意思の自己確認という意味合いがあるのだろう。ただ彼の中では辺野古の問題は解消済みになっている。明らかに日本政府に下駄を預けたのであり実際あの時点での承認の意味合いはそのようにしか取れない。言ってみれば、琉球沖縄が18年以上の間、意地と矜持のうちに己の立地を固守してきた精神的な持続力を、知事は安倍晋三はじめ政府幹部連中の籠絡懐柔の嵐にあっていかにも雑然と投げだしたのだった。こういう県知事により米国に行って語られる浮薄な本土追随の文言の数々を、我々は苦々しく眺めているしかないのか。(つづく)



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