沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩348 その4 現代日本という視点 4 

2011年09月13日 10時51分43秒 | 政治論
 現代日本とは、21世紀の日本のことで、少なくとも平成以降の現代を標定しているが、しからば昭和は、明治はというと明治が近代と称するなら昭和は恐らく日本史のうちに、かつてない重大なブラックホールを作ってしまったという評価が最もふさわしくかつ大正は近代と昭和の間に、転げ落ちる急坂を生んだ名状しがたい奇妙な時代としかいいようがない。つまり日本史は、日本の近代化を準備したが近代化自体に失敗した結果現代があり、この地点で見据えねばならない現実がある、という認識と覚悟を強いる。世界が「カソリスム対コミュニズム」という対立構造を曲がりなりにも突き崩しベルリンの壁をソビエトを官僚社会主義を放逐した「前現代」のある潮流を導いた時代評価はともかく、侵攻するアメリカ主導軍事警察的「民主主義」=「覇権主義」強硬路線を是とするヨーロッパの凋落ぶりは目を覆うものがある。このへんの歴史学的評価は「地球滅亡」「人類消滅」といった禍々しい極論さえいよいよ現実味を帯び始め、環境問題とコラボして由々しき深刻さを醸している。今更「原子力平和利用」なる大嘘つきの偽善的欧米的倫理観など誰も信じちゃいないがぬけぬけとしたり顔に多くの無辜の民に危害を加えて平気なアングロサクソンの野蛮な性向にはアジア東洋弱小国後進国こそ大挙して国際協調し強固に対決していく必要がある。つまり古来大航海時代より延々と継続し世界に繰り広げた、白人系征服民族の内に根差した、反民族自決主義的、侵略駆逐征服精神を打ち砕き、個々の民族的価値観の復興と再生を目指すこと、恐らくは世界史的に大きく変動する可能性がここに垣間見られる。こうした世界事情のうちにあって日本がどうだということではなく、日本の置かれた世界史的地位が敗戦国であり敗残の天皇ファシズムであり矛盾に満ちた混濁した戦後を「エコノミックアニマル」として食い潰したのであり抜け落ちた度し難い精神的堕落を苦々しく凝視せざるを得ない環境にあることを想起しておくことだ。(中断)。


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