沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩348 その3 現代日本という視点 3 

2011年09月11日 15時58分34秒 | 政治論
 人の一生はまさに光陰矢のごとく過ぎ去り余生を削り取って忽ち崖っ縁に立たせる。それでも多分人は未決の独房に大方はむしろ気が遠くなる程長い時間という鎖で縛り付けられ死刑執行の待機状態を不思議に苦もなくお過ごしになる。そしてやがて誰でもこの世にオサラバするのだが、亡霊というやつはどうやらこの世に何かしら言い残してしまった悔いがあり中有に漂いながら時々我々生存者に語りかけるということがあるらしい。こうなると立派な神秘主義だがランボウに言わせれば「見たものは見たのだ」見てないということはできない。妄想、独善、幻覚、錯覚、なんでもよい、人はいずれ間違いを犯す、パスカルの賭けは損する方には博打たぬ。何が損で得かなど一体誰が量るのか。
 間違いなく言えるのは普天間の代替飛行場を辺野古に移設する話というのは、アメリカと日本政府が合意して決めたことで本来なら常識的には最高国家意思決定案件として有無言わさず実現されるものと思われるのだが、何故この国家意思は16年以上かかっても通されないのか、そのことになんらの顧慮も示さないアメリカと日本の同盟関係というのがまず理解しがたい。つまり最初の動機「沖縄基地負担軽減」という理念は見え透いた嘘であり「普天間危険性除去」だけが宙に浮いてしまったのだが、この現実的処理の停頓はそもそもその危険性発想そのものが日本国国土における事実上の基地受け入れ拒否という「藪蛇」をつつき出してしまったのさ。橋本君はこれに気がつかなかったのだろうか。否、日本国中この重大な実質に無頓着だったというにすぎない。それほどに日本人は日米安保体制というものにドップリ浸りきりそこにある落とし穴に気がつかなかったのさ。かくして沖縄という格別の地に米軍を集中させそのことに安んじ自らの沖縄差別体質を封じ込めてしまったというのが真相である。従って明確に言えるのは普天間危険性除去という課題は「どこに移設するか」という問いの前に単独に考慮すべき事柄であって、普天間という地が明確にその危険性を明かしてしまった以上世界中どこにも人の住む場所に軍事基地は有り得ない、まして沖縄に新設するなど狂気の沙汰だといっているのさ。これは原発事故から日本人が仕方なく否応なく学んだことだ。危険性を決して担保しない施設を命懸けで受け入れる気はないと沖縄ははっきりと意思表示している。おまえさんがたの戦争準備やら訓練やら防共最前線思想に基づくあらゆる軍事行動は沖縄の非戦意思によりキッパリ拒絶されている。で、このわかりきった論理展開を無視し現民主政権はあくまでも防衛外務官僚どもがいうままに現行合意案を押し通そうとしているのだが、相手がアメリカでは彼らの言うとおりアメリカのご機嫌を損ねぬよう現状のまま行くのが最善なことは彼らの論理では至極妥当な見通しではあるので要は政治主導の本筋からいえば沖縄県民意思をアメリカに首相自ら伝えかつ民意を無視できない現日本国内輿論傾向を説明し、敗戦国日本が沖縄を筆頭に如何に戦争を忌避し軍拡を食い止め世界に平和国家たることをアピールしようとしているか切々と訴えればいい。「沖縄返還なしに日本の戦後はない」といった大見得が嘘でないなら日本国家に属する沖縄を米軍基地で支配する構造そのものに異を唱え安保体制を見直し最終的に駐留なき安保を主張することだ。で、鳩山は初っ端からこれで首相の座を追われた格好だが、それならば最後に日米安保破棄を断行しなければなるまい。ここまでが政治論理に適う筋と思われる。政治主導というならマニフェスト通り「沖縄基地負担軽減」を引っ込めるがモノではない。恥ずかしくないのか。子供たちが呆れ返るぞ。そしてここからが国内政治の領域だ。アメリカにシノゴノ言わせないし、内政干渉こそ密室政治の悪しき弊害だったのでホットラインを公開性にしろ。ウイキリークスが素っ破抜くのはいいが事後公開は彼らの言い訳の温床だ。前原のやりかたは改革をあきらめた堕落した政治家の成れの果てにすぎない。今やこいつも安倍政権並みに右傾化してやがる。アメリカに尻尾を振り再び日本を身売りする気だ。いずれにしろアメリカ抜きでもアメリカありでも事実上の本格的な国防論議乃至国家志向基準の展望はここからしか始まるまい。(中断)


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