沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩488 検証 41 天皇、皇室

2013年10月31日 23時53分36秒 | 政治論

 明治維新は「王政復古」であったし、昭和維新(2.26事件)は「尊王討奸」による「天皇親政」であったし、敗戦と「現人神」天皇の「人間宣言」は付き物であったし、少なくとも近代以降、この国は絶えず天皇の周辺を経巡る形式で起承転結していた。江戸幕府は陽尊陰卑を旨としこれを廃絶することなく征夷大将軍という臣従名称に甘んじて、黒船渡来の折には京都の朝廷にお伺いを立てた。この史実の諸々を凝視すると、時の権力者たちは事実上この国の最高権威を必ず「天皇」に回帰する形で認証する奇妙な傾向にあることを思わずにはいない。「権威付け」というような生易しい対応ではなく、心底、この「国体」において日本国を維持する要とすることに、内心自足していた。それが民の感情、意思、と齟齬しようがすまいが、彼等はほぼ間違いなく天皇乃至天皇制を拠り所としてきたと言える。恐らくはそうした官民一体の実を挙げ得た時代が明治時代というものであったのかと思われるが、残念ながら敗戦に至るその後の歩みは、「統帥権」の問題を度外視しても天皇と共に墓穴を掘った歴史にほかならず、近代化は根本において失敗した、といわざるを得ない。そして誰が起草しようがひとつの反省「戦争概念を国として捨てる」という誓いのような内容を得た日本国憲法にあっては、又しても「象徴天皇」をまつりあげ、天皇と皇室の存続を決定付けたものとして戦後を支配したのだった。にも拘らず、この法文化した天皇と皇室が、あらゆる局面で、権力者の責任性を有名無実にしている、悪しき習性のそもそもの因源ではないかと疑われる、いくつかの例示を我々は見たのである。(つづく)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。