沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩519 過去と現代 2

2014年04月28日 08時50分31秒 | 政治論

 4月28日、屈辱の日。サンフランシスコ講和条約締結の日。

 日本本土政府においては昨年、安倍晋三の大きな勘違いでこの日を主権回復の日とし米国占領体制からの独立を宣した日、とした。ハーグ陸戦協定違反事例に過ぎない米軍基地の沖縄展開を、国内7割分ここに集中させつつ、半端な主権実態も見逃して本土民の大方がノホホンと平和ボケに包まれ赤子、幼児、精神年齢12歳程度の意識で過ごした70年弱の戦後は、かくして間違いなく琉球沖縄をつんぼさじきに追いやって自分たちだけが良ければ、のエゴイズムにのめり込んでいた歴史である。

 本土の戦争体験者の人たちでさえ沖縄の戦争実態に触れればその恐ろしさに身を震わさずにいないという話をする。ある米側の映像には地べたに座り込んだ幼い子供がブルブルと震え怯えている姿があった。あれがこの島の普通の一般人の置かれた真相であり、象徴だ。ここではあの体験を語りたがらない人たちがいる。むしろその息も詰まるような瞬間を想起し言葉も出ない、ということであろう。これが琉球沖縄にとっては最初の決定的な出来事であり、肉声を伴った「非戦」の願いの根底であり、あらゆる基地反対闘争の動機そのものだ。本土の人間はこのことを含め、自分らが図らずもしてきたこの地に対する未必の故意事案を見逃してはならない。それは差別的にこの地を遇してきたあなたがたの責務だ。(つづく) 



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