工事中断、とは言え埋め立て工事に限定されており、陸上部の準備工は引き続きこそこそと続行されるだろう。従って辺野古キャンプシュワブゲート前では工事車両の進入に備えて引き続き監視抗議座り込み活動が持続される。勿論海上でもその活動自体は継続される(なにしろならず者国家だから何をするやらわからない危うさは残っている)。
このように安倍晋三「和解案受け入れ」パフォーマンス(普天間固定化懸念詐術)に目くらまされて現実を直視しないととんでもないことが起きないとも限らない。しかし、要は、国家の強行工事姿勢は行政的司法的過誤があるという裁判所の見方が正当性を保った、ということだ。安倍晋三政権がごり押しし抑圧恫喝籠絡したが司法権は辛うじて生きているということになろう。それでいくらか希望が見えてきたともいえる。しかし砂川裁判が最高裁長官の司法権堕落によって決した前例から、児島惟謙くらいの気概を示す最高決裁が今の司法に下せるか、残念乍ら確証は持てない。だが、日米政府がいかに「辺野古唯一」と言い日米合意堅持と唱和しても、市民運動と沖縄県の抵抗は決して切り崩せない、と確信する。彼らは二進も三進もいかず暗礁に乗り上げ屈伏するだろう。それはあらゆる歴史的事実が証明している。沖縄における草の根運動に、上からの悪政、圧迫、恫喝、懐柔が通用する根拠はどこにもない。このことに気づかない政府官僚どもの眼識のなさが同時にこの国の国柄さえ貶めている。大日本帝国官僚体制の「官尊民卑」旧弊は恐らく日本国の戦後を最低のレベルで非民主化してきた。ポピュリズム?笑わせる。おまえ自身が下卑た下司な貴族主義に溺れているのだよ。(つづく)