1959年6月30日は、当時米国占領下にあった沖縄で、現在のうるま市(旧石川市)にある宮森小学校に嘉手納基地から飛来した米空軍ジェット戦闘機F100Dが墜落し、児童、住民ら18人が事故に巻き込まれ死んでいった日、である。操縦士1人は機外脱出して無事だった。賠償はすったもんだの末死亡者一人当たり4500ドル(被害者要求の1割、当時のレートで162万円か)、重傷者2300~5900ドルだったらしい。
先ず驚くべきはこうした事故が沖縄でのその後の反基地思潮をいやでも促したのは当然としても、米国政府なり日本政府があのような些少な賠償で事足れりとしたこと、その後いよいよ益々居丈高に居座った彼等の倫理的な悪辣さがひしひしと伝わってきて殆ど呆然とするほどの厚かましさと感じないわけにはいかない、ということであろう。米国の一般的な国情なのか、日本的な在り様からは想像すらできない気組みとしか言いようもない。彼らは大体が不祥事に関し、喉元過ぎれば、の感覚でやり過ごしている。しかし歴史は正当にこれらを裁いて止まない。彼らがいかに言い抜けようとイラク戦争の大嘘はばれているし、普天間返還が新基地建設に化けたこともわかっている。
こうした米国に追随するもの(日本政府)が、同じような厚かましさ、倫理性欠如状態にあることは既に明白である。彼らが今、辺野古崎の海でしようとしていることは、日米合意という名の住民抹殺、非戦の地に敢えて軍拡を決行しようという狂気、沖縄戦戦没者冒涜、そして現代琉球人に対する看過し得ない人間侮辱の行為にほかならない。(つづく)