一見むしろかなりの程度で知的に、普通並に正常な反応を示す老人がいる。所謂ボケと呼ばれる、通常の知的反応の欠如、が殆ど見当たらない認知症というものもあるらしい。特異なケースと医師はいう。かつて、自分が頭に思ったことを現実のことと思い込み実行に移す行為を指して「気違い」と言ったものだが、老人性の狂気というのはそういう傾向のものを指すのであろうか。兼好法師の「あやしうこそ物狂おしけれ」とは、心に浮かんだよしなしごとをそこはかとなく書き作れば、から来た。老人の独り言はしばしば「狂気」じみて聞こえるが、要するに人間の心内の微妙な揺動というのは、それを表に出せばおよそこの世に相応しからざる様態を示す、ということであろう。人を見たら泥棒と思え、という俗諺は、大概人は、それほどお人好しでなくとも意外に簡単に人を信じてしまうものだ、という事実の裏返しにすぎない。だからこの俗諺は一種の際どい警告にほかならないのだが、老人の「物とられ妄想」はこれをあらゆる場合に当てはめて確信してしまう、というような病的なところに落ち込んで起こる。しかもそこには近親者、世話を受けている人、など、本来感謝こそすれ泥棒扱いなどとんでもないような人に限って、疑いの矛先を向けるという、「精神、性格の弱さ」からくる自己責任否定行為が垣間見られる。物とられ妄想は、明らかに記憶の欠落、記憶違い、からくる亡失事象への患者の対応の仕方が、自身の過失の無意識の否定と、近在他者仮託という精神の崩落によって決定してしまう心的状態のことであり、本人と近在他者の間に生じる軋轢が最大の問題点となる。(つづく)