沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩407 日本の生き死に 3 日本文明

2013年05月29日 14時36分45秒 | 政治論

 15年戦争、大東亜戦争、日中戦争、太平洋戦争、これらの呼称は「先の大戦」という総称で屡々一括される。この「戦争時代」に向けて19世紀末、封建社会あるいは幕藩体制の崩壊、開国、王政復古、明治維新、欧化、文明開化、近代化(富国強兵、殖産興業)という流れの中で、日本国は世界のなかのアジア東洋圏に属する島国として先ず「産声」を上げた。

 それは鎖国と限定的通商によって極端に閉鎖され、武士階級による階級支配の固定化された社会性に人民を囲い込んだ、ひとつの特異な性格の封建時代が、支配階級に属する下級武士たちの倒幕運動を通して「近代社会」に脱皮するというエポック、「革命」(フランス革命とかイギリス無血革命、ロシア革命)でなく「維新」という質の改革活動(大政奉還)によって「近代化」を成就したことを意味する。

 日本の「近代化」は同時に国際社会の一員になるという「空間の拡大」化でもある。あるいは国際関係においていかに生きるかという問題の回答を用意する必要が生じること、でもある。

 この「近代化」と「国際社会参画」ということが、「文明の開化」と名付けられるひとつの歴史的意味をこの国に生じさせた。ところでこの文明の新たな出発が別の文明にとって終末を意味することは容易に了解されよう。文明を定義するならそれは「国家体裁を持つ文化形態」とでも言うべきところであろう。その具体化された内容については既に多くの文明論に詳しいものと思うのだが、今重要なことは例えば近代以前の「江戸文化」についてあるいは一般に古代以来の種々の文化的展開についてこれを文明とは言わないものかというと、必ずしも明確に分明された質にないことを気づかずにいない、ということだ。

 これを伝統文化と称するなら日本の所謂世界史上の近代化は、言葉の正確な意味で「文明開化」と価値付けることはできないということに想到する。むしろ生産手段の技術的向上を含んだ物質的増産体制が確立する過程を開化というべきで、本来的な意味での日本文化乃至日本文明は古代以来連綿と続いている文化遺産の中に脈々と息づいていた、と評価しなければならない。

 我々は極めて象徴的に例えば商品を包む紙に北斎広重等浮世絵の包装紙を発見する欧米人を通して、自身の自己認識が痛切に陥っていた自己喪失の最たるものに気づかされたのではなかったか。(つづく)