沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩406 米軍は去れ

2013年05月26日 19時02分59秒 | 政治論

 そうだ、ここには、これまでもこれからも、人殺しを正当化する戦争論理に誰も異を唱えないはずの軍隊、米軍のなかの海兵隊という、殺人訓練に人格を変質された暴力集団がいつでも隣り合わせに蠢いている。

 攻撃用ミサイルは、いつでも弾薬庫やら兵器貯蔵庫あるいは戦闘機爆撃機が犇めいている米軍基地にこそロックオンされるだろうことなどバカでもわかる。「南西島嶼」の防衛という言辞は、つまりこの島嶼を確保するがそこの住人の安否は保障しないということなのだが、このような殺人的矛盾に出会うのはここでは日常茶飯事なのだ。

 「普天間返還」に条件を付け結局同じ島に新基地を拵えるという、この「辺野古移設」の逆転発想は、日本外交がまさしく45歳の大人に12歳の小生意気な小僧が丸め込まれた図にしか見えない。このような性格の日米同盟にあるものだから、安倍晋三内閣は「負担軽減」などといって「嘉手納より南6施設返還」合意を満面の笑みを浮かべて得意げに吹聴したのだが、蓋を開けてみれば何十年も先の話だというので仲井真知事は「それじゃ固定化と差違がない」と怒ったが、こんなことも県民の半ば呆れ返った心情に今更微風ほどの揺らぎも起こさない始末だ。

 この島々の決して解決しない問題を「ネタ」に糊口を潤す議員報酬泥棒どもの、この何十年もの悪政は日本国の歴史に汚点としてしか記述されまいが、誰も100年後の世界を見てきてないので彼自身はおろか我々人民でさえ精神的路頭に迷うことがザラにある。

 辺野古崎大浦湾における環境影響評価(環境アセス)の内容は数十件に及ぶ知事意見が示すとおりほぼ評価の質に到底達しない拙劣極まるものだったが、その環境影響の度外視された軍事施設がもしここにぶち上げられたとしたら、暴虐の植民地主義を代表するバラクオバマは自身の現実的戦争肯定論がついに人間業では考えられない地球環境の人為的回避可能な破壊行為を実践するに至った事態にどう向き合うのだろうか。

 この大統領になんの実績もないうちに賞賛の美酒を振舞った大馬鹿野郎の選考委員どもは、かつて日本国総理大臣佐藤栄作に同じ過ちをしたことなど少しも憶えてないだろう。亜熱帯樹林の保護こそすべき「世界自然遺産」候補南西諸島に殺人飛行物体オスプレイを配備する神経とは、かつてベトナムで「枯葉剤」をぶちまけたあの気違いじみた覇権国家の狂熱を思い起こさせる。その「枯葉剤」もまたこの島を汚染しているし、彼らがビキニ環礁他でやった核実験の放射能は確実にここを襲っていると言われる。(つづく)