オスプレイ飛行違反の事実は確認されなかったと、防衛省は沖縄県に通達するというのだが、確認されなかった、のでなく、彼らの認識力では確認できないことにしたのだ(誰が見ても合意違反飛行をこれでもかと繰り返しているんだよ)。
つまり米軍に対する政府筋の抗議申し入れは不可能だということであり、そのことを沖縄県は額面通り受け取らねばならない。この国はアメリカ合衆国50何番目の属州にすぎずしかも限りなく非連邦制の実情に甘んじる自律性のない国なのだ。
アメリカ軍は日本国において自由な制海制空権を行使し、民間における危険騒音環境破壊回避の施策には全く配慮しないことになっている。橋下というウスラトンカチがいみじくも示したように、沖縄県の県民の人権乃至憲法上の基本的人権というのはあくまでも米軍展開の自在性を前提して「二の次」に置かれるのであり、さながらこいつが自ら墓穴を掘った「従軍慰安婦」への自由な?口軽な思考意見開陳が、世界中の顰蹙を買ったことに呼応して、日本国政府とその体制べったりどもの「反世界性」が如実に証明されてしまったってえ寸法だ。
日本の実情は極めて通俗な意味での鎖国状態に落ち込み始めた。幕藩体制が百姓は生かさず殺さず(沖縄は生かさず殺さず)で、諸法度は体制確保のためには無為徒食の特権階級からさえその自由を強奪し、人民を身分制度に縛り付けて行動の自由を奪ったし、全てのヒェラルキーは江戸の将軍に極まった。同様に今や日本国はアメリカという将軍に忠実なる君臣と化し民がそのためにくたばろうと知ったことじゃない、地位協定という身分制度で民の生き死には米兵の犯罪が「公務」にある限り「犬死」に堕し、中韓打ち払い令に則り攘夷か否かとすったもんだしている。与那国に砲台築こうと地元ともめているが落ち目の好戦家共は所詮民のしたたかさに辟易するがオチだ。辺野古に埋め立てはできない。一揆でもなんでもしてやれ。(つづく)