沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩323 その8

2011年05月27日 00時48分16秒 | 政治論
 相変わらず普天間を巡って魑魅魍魎が日米で右往左往している当の沖縄では、いつになく几帳面にして時節どおりの梅雨空がいつ晴れるともなく続いているが、この国のふざけた民衆不在の保守停滞主義(そんな主義があってたまるか!!)のおかげで、いつ果てるともない爆音と米兵犯罪連鎖(地位協定からくる免罪性)、為政者の対米追随依存体質により運命的に「日本(ヤマトウ)捕囚」境遇から脱出できずにいる。しかしながらエジプトでもバビロンでもない他ならぬ自己領域琉球の地にある沖縄が、なんで彼らに牛耳られねばならぬのか合理性を見出せない。アメリカに尻尾を振る日本(ヤマトウ)政府が日本国で唯一さほどの心情的気兼ねなしに、アメリカの意向どおりにおのれの国土を譲渡して顧みないで済むという怯惰で安穏な思考回路に立っているからだ。この情けない実情には本土からの移住者である彼も一人の同胞としてまことに申し訳なく沖縄が今の境遇から脱出することを心から願わずにいない。メアのいう辺野古拒否に伴う普天間自然固定化、という愚劣な反人道的政治停滞事態こそ、為政者の沖縄に対する人間的卑劣さに基づく蔑視行為と断じなければならない。アメリカはかつてのベトナム並みに、ひとつの民族、ひとつの人民的怒り、ひとつの民衆の声をこのたびも強圧と支配者精神と征服意欲によっておしつぶそうと、無数の無差別な姿なきナパ-ム弾爆撃を繰り返しているが、粘り強い辺野古の抵抗には未だにてこずって一歩も先に進めないという現状だ。しかもアメリカは、「普天間は日本の国内問題」といいながら結局自国の財政逼迫という事情から日本政府に対し「ユスリタカリ」的経済負担を臆面もなく要求しやがる。こういう外交的三等国をさも世界スタンダードであるかのように扱う現代世界のあきれ果てた不当性はまちがいなく「神」の怒りを呼ばずにいまい。しかも残念なことに自然治癒力という荒療治はいつも最弱な民衆部分に襲いかかり、あってはならない悲惨な痛苦のドン底に叩き落す。まさに国の落ち度は国民を直撃するということだ。だからこそ為政者は偽善的に渋面を作って内容のない責任論を隠れ蓑に己が失政をカモフラージュしのうのうと権力の座に居座ることの犯罪性に想到しなければならないのだが、如何せん奇妙な選良意識に人生を凌駕された女々しくもけち臭い「優等生」たちはなんらの痛痒もこれを感じないときた。(中断)