沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩321

2011年05月13日 10時17分44秒 | 政治論
 嘉手納統合案も岡田元外相が鳩山政権の初っ端に沖縄に来て口にしていたものだが、爆音訴訟の真っ最中にあるこの町がそんなめちゃくちゃな案を容認できる道理はあるまいし、どうして彼らは沖縄に恋々としているのか、連中から出てくるもの全て沖縄県民の心情を正面から刺激してやまない理由を沖縄県民はよくよく冷静に探る必要があるのかもしれない。普天間問題の火種を消すことは彼らには勿論出来はしないが、「国内問題」だとする彼らの立場からいわせれば日本政府がウロウロしている現状で「辺野古断念」はすでに確定的ということになり、しかも東日本大震災による財政的窮状が現実味を帯びてきた今、いかに「オトモダチ作戦」が上層部の画策した戦略的効果を多少なりとも挙げたと自負したにしろユスリタカリの相手にするには倫理的現実的に不可能と踏んだのだし、かといって究極的に沖縄を手放す有利性がはかれぬ以上「この際ひとつにまとめちまえ」(ひとつじゃないが)と思うのが自然か。つまり所詮は沖縄執着であり日本政府の無能機能不全がアメリカにおいてさえイライラの原因になっているという現状が見える。いずれにしろアメリカは自国の財政事情に鑑みやや沖縄問題に焦りを感じてきたともいえるが、日本政府の執るべき外交方針は「安保破棄」を切り札に強硬な押し返し、つまり国内問題のそもそもの原因たる戦後処理的意味合いの日米関係抜本的見直しを提言すること、(地位協定はもちろん軍事同盟的内実の安保の憲法整合性検証まで)であろう。この政権がこれをする可能性はゼロだし期待もしないが間接的民主主義的代議制的議院内閣制のもとでは多数決原理に基づき際限なく無駄な官僚的愚昧による屈辱外交的性格を払拭できないこの恐ろしく民主的でない付け焼刃の近代日本?沈没を黙視するわけにもいかず、「正論」ではない「ひとりごと」で自足するブログに成り果てるということだ。なんとも歯痒い。(中断)